ハンセン病患者の救済に尽力した鎌倉時代の奈良の僧・ 忍性 ( にんしょう ) (1217~1303年)の偉業を知ってほしいと、奈良の若手僧侶が生誕800年となる16日、ゆかりの国史跡「 北山十八間戸 ( きたやまじゅうはっけんこ ) 」(奈良市川上町)で記念法要を営む。 忍性は現在の奈良県三宅町生まれの僧侶。当時は僧侶からも忌避されていたハンセン病患者の療養施設を奈良や鎌倉に建て、歩けない患者を背負って送り迎えしたとの記録も残る。北山十八間戸は、忍性が患者の宿舎として建てた。 法要を企画したのは、北山十八間戸の北約400メートルにある般若寺の副住職、工藤 顕任 ( けんにん ) さん(31)。「偉業をなした僧なのに、あまり知られていない」と感じ、「忍性は慈悲を説くだけではなく、先頭に立って行動した。自分もできることを」と思い立ったという。
10月11日から13日にかけて、平成28年度第1回全国人権擁護推進主事研修会が長野県上田市、佐久市において開催された。 1日目は、最初に部落解放同盟辰口支部長の深井計美かずみ氏より「歴史は問いかける」と題してご講演いただき、配付資料に掲載の差別戒名について解説された。 部落解放同盟辰口支部長 深井計美氏次に、NPO法人人権センターながの事務局長の高橋典男氏より、「差別戒名、部落差別はいま」と題してご講演いただいた。 氏は、自身が被差別部落出身ということを知ったときのことから話された。 「私が被差別部落出身と知ったのは小学5年生で、しばらくは、被差別部落出身ということを告げることが怖かったのですが、考え抜いて自分自身が被差別部落出身だということを名乗るようにしました」 人権センターながの事務局長しかし、高橋氏のその思いは、ある発言をきっかけに打ち崩されることとなった。 「高校の時の同和教育の
かつて国のハンセン病隔離政策に協力した真宗大谷派。東海地方の住職たちが教団の負の歴史に向き合い、療養所訪問と入所者との交流を四半世紀にわたり続けている。らい予防法廃止とそれを受けた教団の謝罪から20年。今なお出身地を明かせない人もいて、隔離の爪痕はあまりに深い。 「南無阿弥陀仏……」 骨になっても療養所を出られなかった人たち、3700人余りの遺骨が眠る納骨堂前で念仏が唱えられた。10月下旬、東海地方の住職や市民でつくるハンセン病学習グループ15人が、国立療養所・長島愛生園(岡山県瀬戸内市)を訪れた。納骨堂は園がある島の高台にある。 園内に1泊2日する日程では、21歳で愛生園に隔離され、今も園で暮らす津市出身の田端明さん(97)の講話を聞いたほか、島に隔離した患者の消毒や身体検査をした収容所などの施設を巡った。夜の酒席では入所者4人と夜更けまで懇親を深めた。 今回で24回目。愛知県西尾市の大
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