滋賀県の旧信楽町(現甲賀市)で信楽高原鉄道(SKR)とJR西日本の列車が衝突し、42人が死亡した事故から26年となった14日、事故現場近くの慰霊碑前で追悼法要が営まれた。遺族や鉄道事業者ら約100人が参列し、犠牲者の冥福を祈った。 参列者は焼香、献花し、碑のそばにある「安全の鐘」をついた。遺族の参列は10人。遺族の代表としてあいさつした吉崎俊三さん(81)=兵庫県宝塚市=は「出席する遺族は減っていくが、事故防止や安全を考える式典として法要を続けてほしい」と話した。 SKRの正木仙治郎社長は「二度と事故を起こさない取り組みこそが唯一の道」と述べ、JR西の来島達夫社長は「安全最優先の風土を築き上げる」と再発防止を誓った。 事故は平成3年5月14日、SKRの普通列車とJR西の臨時列車が正面衝突し、42人が死亡、600人以上が重軽傷を負った。
日航ジャンボ機墜落事故から12日で31年。遺族の高齢化が進み、風化も懸念されるなか、各地の事故や災害の遺族らが連携を強めている。国内の航空事故は1960~80年代に相次いだ。事故現場の地元は継承に取り組み、航空会社も安全教育に力を入れている。 日航機が墜落した御巣鷹の尾根がある群馬県上野村で11日夜、520人の犠牲者を慰霊する灯籠(とうろう)流しがあった。300個ほどの灯籠が水面に浮かんだ。 遺族がつくる「8・12連絡会」事務局長の美谷島邦子さん(69)=東京都大田区=は静かに手を合わせた。31年前、小学3年生だった息子の健君(当時9)を失った。 事故の風化が心配だ。8・12連絡会は85年12月に約280家族が参加したが、今は140ほど。高齢化が進み、連絡が途絶える遺族もいる。 次世代に語り継ごうと、今年初めて、健君が通った地元の小学校で事故を伝える授業をした。7月末には、授業を受けた6年
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