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ボスニアに関するJcmのブックマーク (2)

  • 「どこかで生きているかも…」 息子を待つ母親たちの苦悩 スレブレニツァの虐殺から25年

    ボスニア・ヘルツェゴビナのスレブレニツァに近いポトチャリの墓地を歩くメイラ・ジョガスさん(2020年7月3日撮影)。(c)ELVIS BARUKCIC / AFP 【7月13日 AFP】ファティマ・ムジッチ(Fatima Mujic)さんは毎日、夫と3人の息子に祈りをささげている。4人は、ボスニア・ヘルツェゴビナのスレブレニツァ(Srebrenica)で、25年前の夏に数日間繰り広げられたイスラム教徒の大虐殺で殺されたのだ。 だが、今も行方が分からない長男に祈りをささげることは毎回ためらってしまうと、ムジッチさんはAFPに語った。「どこかで生きているとまだ思っている。長男のために祈り始めると手が震えて、どうすればいいのか分からなくなる」 ボスニア・ヘルツェゴビナでは、1992年から始まった内戦が終わりに近づいていた1995年7月11日、イスラム系住民が多数を占めるボスニアの町、スレブレニツ

    「どこかで生きているかも…」 息子を待つ母親たちの苦悩 スレブレニツァの虐殺から25年
  • 戦時下のレイプで生まれたボスニア青年、「答え」求め実親捜しへ 写真5枚 国際ニュース:AFPBB News

    ボスニア・ヘルツェゴビナの街ゴラジュデで、映画『見えない子供の罠(An Invisible Child's Trap)』のプレミア上映実施について会見するアレン・ムヒッチさん(2015年3月20日撮影)。(c)AFP/ELVIS BARUKCIC 【5月11日 AFP】アレン・ムヒッチ(Alen Muhic)さんは、1992年から95年にかけて起きたボスニア・ヘルツェゴビナ紛争下でセルビア人兵士にレイプされたムスリム女性の母親によって、生まれた直後に捨てられた。紛争終結から20年、彼は実の両親を捜す旅に出た。 ムヒッチさんの痛みとドラマに満ちた親捜しの旅は、力強いドキュメンタリー映画として記録された。ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争時のレイプによって生まれた子供たちは「見えない子供」と呼ばれている。ムヒッチさんのストーリーは、そうした子供たちの境遇を初めて公に明かすものとなる。 「僕はただ真実

    戦時下のレイプで生まれたボスニア青年、「答え」求め実親捜しへ 写真5枚 国際ニュース:AFPBB News
    Jcm
    Jcm 2017/12/05
    2015年の記事。セルビア人兵士にレイプされ、妊娠したことで更に差別されたムスリム女性の手によって棄てられた赤子、自身も過酷な差別に直面しつつも幸運にも養父母に守られ、立派に成長。/当該兵士無罪ってオイ…
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