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人生と広島に関するJcmのブックマーク (2)

  • あの日まで、あそこは繁華街だった 地下に眠るヒロシマ:朝日新聞デジタル

    6日に原爆の日の式典が開かれる広島市中区の広島平和記念公園は、木々が茂り青々とした芝生が広がる。しかし、そこはかつて、広島屈指の繁華街だった。足元に眠る街の一部を保存・展示しようと、広島市は今年度中に試掘調査に乗り出す。奪われた命や暮らしに思いをはせるきっかけに、と願う。 「すずりが見つからんかったら、皆さんの前でお話するようなこともなかった」。広島市安佐南区の今中圭介さん(82)は7月末、少年時代の思い出を市民対象の勉強会で語った。 昨秋、裏面に「初三 今中圭介」と彫られたすずり(縦約13センチ、横約8センチ)が、平和記念公園の地中から見つかった。国民学校初等科3年生の頃、愛用していたもの。公園内の平和記念資料館館の耐震工事中のことだった。 自宅は、館がある付近の旧材木町にあった。一帯には原爆投下前、住宅のほか、銭湯や歯科医院、化粧品店などが立ち並んでいた。調査を担当する市文化財団に

    あの日まで、あそこは繁華街だった 地下に眠るヒロシマ:朝日新聞デジタル
  • 広島原爆:被爆3日後の少女、身元判明 本紙記者が撮影 | 毎日新聞

    原爆投下から3日後の広島で、毎日新聞記者が撮影した少女の身元が73年を経て判明した。当時10歳の藤井幸子(ゆきこ)さん(1977年に42歳で死去)。遺族から提供された戦後の写真との比較鑑定で、東京歯科大の橋正次教授(法歯学)が「同一人物である可能性が非常に高い」と結論づけ、幸子さんと少女の負傷部位が一致する証言も複数寄せられた。広島原爆資料館は「被爆直後に撮られた人物が特定できたのは極めて異例」とし、写真の常設展示を検討している。

    広島原爆:被爆3日後の少女、身元判明 本紙記者が撮影 | 毎日新聞
    Jcm
    Jcm 2018/01/26
    原爆投下3日後の広島で撮影された、当時10歳の少女の身元が、遺族証言や写真分析等により判明。少女は1977年に42歳で死去、記者は2009年に92歳で死去と。もう少し早ければ会えたけど、遺族存命中に判明しただけでも凄い。
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