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性別_Genderとレイシズムと教育・学校に関するJcmのブックマーク (4)

  • ベトナム少数民族初のミス・ユニバース、次世代の女の子をエンパワー

    ベトナム・ホーチミンで取材に応じる2017年のミス・ユニバース・ベトナム代表のヘン・ニエさん(2020年9月7日撮影)。(c)Nhac NGUYEN / AFP 【10月25日 AFP】美白、児童婚、教育の途絶──ベトナム人モデルで、識字率の向上を目指す活動を続けているヘン・ニエ(H'Hen Nie)さん(28)は、自身に求められてきたこうした古い価値観に抵抗してきた。今は、次の世代に別の道を示すことに意欲的に取り組んでいる。 ニエさんは、ベトナム中部高原の少数民族エデ(Ede)の農家出身で、世界各国から選出された女性たちが美を競う「ミス・ユニバース(Miss Universe)」で2017年のベトナム代表を務めた。そんなニエさんが母親から結婚を勧められたのは14歳のときだ。 「結婚なんて、とんでもなかった。当時の私は、泳いだり、斜面を滑り降りたり、森で遊ぶのが好きな子どもだった」とニエさ

    ベトナム少数民族初のミス・ユニバース、次世代の女の子をエンパワー
  • 「どうして女子はバリカンを入れてはいけないのですか?」坊主だった私を代弁してくれた広告

    2017年の11月、私は自分の髪の毛をバリカンで刈った(左写真がその時のもの)。 理由はもちろん、日で女性が押し付けられる画一的な「女性らしさ」に抵抗したかったからだ。 と言えたらカッコいいのだが、当は「目立つにはどうしたらいいですか?」と知人でジャーナリストの津田大介さんに相談したところ、「見た目を変えると認知してもらいやすいよ」とアドバイスをもらったからだ(後日「まさか当にやるとは」と言われたが)。 実は私は高校1年生のときにも一度坊主にしたことがある。部活の同期で、親友だった子が髪の抜ける病気にかかってしまい、「じゃあ私も」と髪を刈った。 当時も周囲からは驚かれ、学校の先生からは叱られたが、それが逆に「自分らしい髪型とは?」を考えるきっかけにもなった。 あれから10年。世間も変わっているだろう —— と坊主に踏み切ったが、大きな誤解だった。

    「どうして女子はバリカンを入れてはいけないのですか?」坊主だった私を代弁してくれた広告
    Jcm
    Jcm 2019/04/15
    あーなるほど、これとジェンダーバイアス丸出しの「炎上」広告を同列に扱う層があるんだった。(記事はとても良かった)
  • 文科省、大学入試で差別禁止ルール化 全学部で来年度から適用へ | 毎日新聞

    文部科学省は5日、大学入試で性別や年齢などの属性を理由に不利な扱いをしたり、成績順に従わず特定の受験生を合格させたりすることを禁止する方針を明らかにした。東京医科大など10大学の医学部の不正・不適切入試が判明し、それ以外の学部も含めて明確なルール化が必要と判断。大学や高校から意見を聞いたうえで6月に通知する大学入学者選抜実施要項に盛り込み、来年度の入試から適用する。 大学入試は実施要項で「公正かつ妥当な方法」で行うとされているが、具体的なルールは定められていなかった。有識者会議がまとめた報告によると、主に合理的な理由なく「性別、年齢、出身地などの属性で取り扱いの差異を設けること」「成績順を飛ばして特定の受験生を合格させること」を禁じる。

    文科省、大学入試で差別禁止ルール化 全学部で来年度から適用へ | 毎日新聞
    Jcm
    Jcm 2019/04/05
    「合理的な理由」ねぇ。順天堂大学のコメントみたいなのも「合理的」だと見做す連中がいるようなので、ここは定義をある程度明確にしておいた方が良いのでは。罰則無しで実効性が出るかどうかも現状がなぁ…うーん…
  • 差別に対する無関心を関心に変えるためのマジョリティに向けた教育 | ヒューライツ大阪(一般財団法人アジア・太平洋人権情報センター)

    TOP 資料館 国際人権ひろば 国際人権ひろば No.133(2017年05月発行号) 差別に対する無関心を関心に変えるためのマジョリティに向けた教育 国際人権ひろば サイト内検索 Powered by Google 国際人権ひろば Archives 差別に向き合うきっかけを作ってくれた学生の言葉 差別のない社会を実現するためには、マジョリティ(社会的に強者の立場にいる人たち。多数派という意味合いもあるが、この文脈では社会的に「ふつう」とみなされている人を意味する)側の人々の力添えが不可欠だ。しかし、大部分のマジョリティは差別に対して無関心である。差別問題は他人事で、自分自身の問題であるという認識がない。差別をする人は「悪い人」であり、差別をしない人が「いい人」だと教わる以上、「自分はいい人」だと思っており、「差別などしていない」と信じている。かつての私も「自分は差別なんかしていない」と思

    Jcm
    Jcm 2019/01/09
    丁寧な記述。マジョリティ側に特権を気付かせるのはマジョリティ側のメンバーである、それは“被差別の当事者が教育することにはリスクが伴う上、その教育の責任をマイノリティに押し付けるのは間違っている”故と。
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