韓国でソウルオリンピックが開かれた1988年9月頃、ペ・ボンギさんが取材に訪れた「女性自身」の記者たちの前で、自分の故郷、忠清南道禮山の新礼院里の位置を示している。地図は当時、総連沖縄支部の壁面に掛かっていたもの=キム・スソップさん夫妻提供//ハンギョレ新聞社 ペ・ボンギ。聞きなれない名前の彼女は、最初の「慰安婦証言者」だ。1944年11月、30歳のペ・ボンギは故郷を離れて、沖縄の小さな島、渡嘉敷に行き、“慰安婦”となった。「赤瓦の家」と呼ばれた日本軍の慰安所で、アキコという仮名で暮らした。しばらくして、日本は太平洋戦争で負けた。日本軍が去ると、今度は米軍が入ってきた。ペ・ボンギは米軍収容所で以前と同じことをしなければならなかった。故国は解放されたが、故郷に帰る日は訪れなかった。 心身は他郷で疲弊した。家もなく、ガスや水道もない2~3坪の納屋で暮らした。頭痛や神経痛、神経衰弱などに苦しみ、