1883年時点の神奈川県の管轄範囲を示した「神奈川県管下之図」(神奈川県立図書館所蔵)。上部の緑色、青色、赤色で囲まれた地域が、それぞれ西多摩、北多摩、南多摩郡 東京都の面積の半分を占め、都民の3分の1が暮らす多摩地域。その多摩が、神奈川県だった時代がある。今から1世紀半前、明治時代前半のことだ。期間は20年余り。多摩はなぜ神奈川となり、その後東京へと移ったのか。1893年の多摩の東京移管から今年でちょうど130年。謎を探った。
1883年時点の神奈川県の管轄範囲を示した「神奈川県管下之図」(神奈川県立図書館所蔵)。上部の緑色、青色、赤色で囲まれた地域が、それぞれ西多摩、北多摩、南多摩郡 東京都の面積の半分を占め、都民の3分の1が暮らす多摩地域。その多摩が、神奈川県だった時代がある。今から1世紀半前、明治時代前半のことだ。期間は20年余り。多摩はなぜ神奈川となり、その後東京へと移ったのか。1893年の多摩の東京移管から今年でちょうど130年。謎を探った。
私たちはなぜニュースを見るのだろう。読むのだろう。 自分のことを言うと、新聞を14紙購読しているが、きっかけは噂やゴシップの真相を知りたくて情報を読み比べていたら今に至った。野次馬だと自覚している。では周囲はどうなのだろう。TBSラジオの番組『東京ポッド許可局』で共演しているマキタスポーツ、サンキュータツオに聞いてみた(3月16日放送分)。 マキタさんは「世の中の動きを知ることで“より生きている”感じを確認するため」と教えてくれた。タツオは「好奇心からニュースに興味を持ったが、そのうち情報を摂取することで怒りを感じるようになった」という。就職氷河期世代のタツオはニュースを見ても生活が良くなる実感がなくて孤立感があったという。「徐々にニュースを知らないほうが安寧に過ごせるのでは?」と思うようになり、一人の力では何も変わらないという無力感しかなかったと。 ニュースを見る理由 ただ、「こんなに頑
太平洋戦争で親やきょうだいを失った「戦争孤児」で、戸籍がないまま79年間を生き抜いた人がいるらしい。わずかな情報から、その無戸籍の戦争孤児「Aさん」を探し始めた私は、首都圏のある河川敷で「ダイスケ」と名乗るホームレスの高齢男性に出会った。 ブルーシートや段ボールで作った「家」は橋の下にあり、1945年の東京大空襲で親を失い、4歳で孤児になった。戸籍もないと言う。探し続けたAさんと条件が一致する。 取材は約1年に及んだ。戦後80年をどう生きたのかを知りたくて、口が重い彼を何度も訪ね、対話を重ねた。訥々と語られたその半生は、社会の底辺から見た日本の戦後史だった。(共同通信=森清太朗) ※記者が音声でも解説しています。「共同通信Podcast」をお聞きください。 ▽「83歳、家族は空襲で焼け死に、上野で浮浪児になった」 2023年8月初旬、河川敷には強い日差しが照りつけていた。ダイスケさんに名刺
昨年夏、埼玉県蕨市に住む88歳の女性から、ある信じられない話を聞いた。 「今も無戸籍のまま暮らす戦争孤児がいるみたい」 戦争孤児とは、主に太平洋戦争で親やきょうだいを亡くし、幼くして身寄りがなくなった人のこと。終戦時、上野駅などは孤児であふれ、社会問題になった。話してくれた金田茉莉さんも元孤児。1945年3月の東京大空襲で母と姉、妹を失っている。父親は空襲前に他界しており、疎開先の宮城県から戻った直後、孤児の一人となった。焼け野原に残された10歳の孤独感は計り知れない。 その経験から、戦争孤児の実態調査に半生を費やしていた。私が訪れたのも、戦争孤児たちの話を取材していたからだ。 戦後80年近くたった今も、戸籍を持たず、社会と隔絶されたままこの国に生き続けた孤児がいるという。終戦から数年後ならともかく、本当にそんな人が存命しているのだろうか。驚くと共に、どんな人生を歩んだのか聞いてみたいと思
AqoursのシングルCD『HAPPY PARTY TRAIN』に収録されているオーディオドラマで、黒澤ダイヤは「黒澤家の宝」を発見する。 それはなぜ「家の宝」になったのか。 今回は、その「宝」が宝たりえた背景を考えてみます。 Aqours 3rdSingle「HAPPY PARTY TRAIN」Full 当然ながら、オーディオドラマの結末に触れますので、『HAPPY PARTY TRAIN』を聴いたことがないよ、という人はまずはCD屋に走ってください。 本作を含め、子安秀明の脚本による『ラブライブ!』シリーズのオーディオドラマは、スラップスティックコメディとしてのはちゃめちゃさの度合いがしばしば狂気じみているとして軽んじられがちですが、わたしは今回取り上げるエピソードのように『ラブライブ!』シリーズの数多ある物語のなかでも傑出したものがあると思っているし、オーディオドラマ群はそのむちゃく
Published 2024/05/24 07:30 (JST) Updated 2024/05/24 07:48 (JST) 1995(平成7)年5月24日、村山富市首相は官邸でサッチャー前英首相(左)に対し、勲一等宝冠章を贈った。サッチャーさんは非公式訪問を含め9回来日。政府は叙勲の理由として「首相退任後も日英関係向上に貢献している功績が顕著」などを挙げた。サッチャーさんは「感慨無量で喜びにあふれている」と謝意を述べた。
Published 2024/02/10 16:40 (JST) Updated 2024/02/10 18:23 (JST) 自民党の杉田水脈衆院議員は10日までに、朝鮮人労働者追悼碑を撤去した群馬県の動きを踏まえて「うそのモニュメントは日本に必要ありません」と書き込んだ3日付のX(旧ツイッター)投稿を正当化した。6日付の新たな投稿で、碑が伝える負の歴史を否定する主張を「正しい歴史」と表現。「歴史修正主義ではありません」と強弁した。 群馬の追悼碑は(1)植民地支配下で朝鮮人が鉱山などに動員され、事故などで尊い命が失われた(2)多大な損害と苦痛を与えた歴史を深く記憶にとどめる―との普遍的な歴史認識を記していた。県は設置ルールが守られなかったとして撤去したが、碑文については「何か問題があるとは思っていない」(山本一太知事)としている。「うそ」と決め付ける杉田氏は、批判にさらされそうだ。 6日
Published 2024/02/03 18:37 (JST) Updated 2024/02/03 19:51 (JST) 自民党の杉田水脈衆院議員は3日付のX投稿で、過去の教訓を伝える各地の朝鮮人労働者追悼碑を取り上げて「うそのモニュメントは日本に必要ありません」と書き込んだ。県立公園の追悼碑撤去に踏み切った群馬県の動きに呼応している。歴史修正主義やレイシズムをあおる言説で、強い批判を招きそうだ。 投稿で杉田氏は、群馬県が追悼碑撤去工事を終えたと伝える新聞記事を引用し「本当に良かったです」と強調。「日本国内にある慰安婦や朝鮮半島出身労働者に関する碑や像もこれに続いてほしい」と訴えた。所在地の自治体や住民は群馬県を見習い、撤去に動くべきだとの趣旨。 群馬県の碑撤去を巡っては、犠牲者と朝鮮民族への冒涜であり、負の歴史を否定する恥ずべき行為だとして、反対運動が起きていた。県は現場の公園を閉
米軍による広島への原爆投下で、米兵12人が死亡したと1948年に結論付けた連合国軍総司令部(GHQ)の捜査報告書が13日までに見つかった。作成者は米軍大尉で「原爆を投下した結果」と死亡理由を記述。日本の戦争犯罪を裁くため被爆した米兵への虐待の有無を調査し、捕虜だった12人について「残虐行為の証拠は得られなかった」として被爆死と断定した。専門家によると、米兵被爆死の総数が米側の公文書で確認されたのは初めて。 米国立公文書館所蔵文書の複写を共同通信が入手し、広島市立大広島平和研究所の永井均教授(日本近現代史)に分析を依頼した。広島で被爆した歴史研究家の森重昭氏(86)が遺族への調査に基づき、2008年の著書で12人と公表した独自調査が裏付けられた。 米政府は戦後長らく、原爆で米兵が犠牲になった事実を非公表としてきた。現職米大統領として被爆地を初訪問したオバマ氏が16年、広島市で行った演説で「1
江戸時代後期に描かれ、140年以上も後にフランス東部で見つかったアイヌ民族の有力者たちの肖像画「夷酋列像(いしゅうれつぞう)」の謎を追い続ける元新聞記者がいる。札幌市の加藤利器さん(67)は「国宝級の名画が、なぜフランスに渡ったのか。北海道を挙げて調査に乗り出してほしい」と訴える。(共同通信=尾崎純) 絵は松前藩家老で画家の蠣崎波響(かきざきはきょう)が、和人の圧政に対してアイヌが蜂起した「クナシリ・メナシの戦い」(1789年)の鎮圧に協力した12人の首長を描いた連作で、1790年に完成した。1933年に「ブザンソン美術考古博物館」の倉庫で1枚が欠落した状態で見つかり、80年代の調査で本物と特定された。 加藤さんによると、持ち出した人物には、箱館戦争に派遣されたフランス軍人や蠣崎の長男などさまざまな説がある。 有力視されるのは幕末の箱館に滞在したフランス人宣教師メルメ・カション。箱館奉行所
群馬県の県立公園「群馬の森」にあった強制動員朝鮮人犠牲者追悼碑は、直径7.2メートルのコンクリートの円形台の上に幅4.5メートル、高さ1.95メートル大の碑石と高さ約4メートルの金色の塔で構成されている=高崎/キム・ソヨン特派員//ハンギョレ新聞社 20年間、群馬県高崎市にある県立公園「群馬の森」で韓日友好の象徴となっていた強制動員朝鮮人犠牲者追悼碑が撤去された。 群馬県は公園を全面閉鎖した中で、1月29日に追悼碑の撤去を始めた。取材が封鎖されると日本のメディアはヘリコプターを飛ばした。朝日新聞が31日に上空から撮った映像を見ると、追悼碑があった場所は空き地になっていた。直径7.2メートルの円形台座と碑文が設置されていた幅4.5メートル、高さ1.95メートルのコンクリート碑石は細かく砕かれ、うずたかく積まれていた。「記憶 反省 そして友好」と書かれた金属材質の碑文などは取り外し、追悼碑を建
共産党は、党大会で、志位委員長が交代し、新しい委員長に田村智子・政策委員長を起用する人事を発表しました。共産党の委員長に女性が就任するのは初めてです。 共産党の党大会は、4年ぶりに今週15日から開かれ、最終日の18日新たな執行部人事が発表されました。 それによりますと、2000年から20年以上委員長を務めてきた志位氏が交代し、新しい委員長に田村智子・政策委員長が起用されました。 共産党の委員長に女性が就任するのは、ことしで102年となる党の歴史で初めてのことになります。 田村氏は、長野県出身の58歳。国会議員の秘書などを経て、2010年の参議院選挙で初当選し、現在3期目です。 4年前には政策委員長になり、国会で「桜を見る会」の問題の追及などにあたってきました。 一方、志位氏は、2006年以降、空席となっていた議長に就任したほか、小池書記局長は続投し、新しい政策委員長には39歳の山添拓参議院
関東大震災(1923年9月1日発生)で起きた朝鮮人集団虐殺について、同年11月に当時の陸軍省が行った実態調査の一部資料が、防衛省防衛研究所史料室で新たに見つかった。現在の埼玉県熊谷市内で保護のため警察署へ移送中の朝鮮人四十数人が「殺気立てる群衆の為めに悉(ことごと)く殺さる」などと報告。事件を「鮮人(朝鮮人の蔑称)虐殺」「不祥事」「不法行為」と表現し、「鮮人の襲来は遂(つい)に一名も来なかった。火付けもなかった。毒を(井戸に)投げ込まれた事も聞かない」との記述もある。 【関連記事】 解説:”暴走“の民衆心理、慎重に解明を 朝鮮人虐殺の政府文書発見 識者の見方:国家ぐるみの隠ぺい浮かぶ 朝鮮人虐殺裏付ける政府の新文書 官房長官は政府記録の存在否定 資料の存在は、震災直後に政府が違法な虐殺の事実を認識し、広範な調査を実施していたことを示している。今年8月、当時の松野博一官房長官は記者会見で事件
「石炭の粉が舞う切羽(坑内の現場)で一日12時間以上働いた。一息つこうとすると間違いなく棒が飛んできた。逃げて捕まって死ぬほどむち打ちにもあった」 9日午後2時、光州市華亭洞(クァンジュシ・ファジョンドン)の青少年文化の家。白髪になったコン・ジェスさん(92)が、日帝強制占領期間に福岡県の麻生炭鉱に強制的に連れて行かれた経験談を打ち明けた。日本が強制徴用施設をユネスコ世界文化遺産に登録しようとすることに反対して市民団体「勤労挺身隊のおばあさんと共にする市民の会」が作った行事でのことだった。 コンさんは時折、空を見つめたりもしながら話を続けた。「鞭打ちも直接せず朝鮮人に仲間を殴らせた。それと一緒に『朝鮮人はいつも嘘ばかり言う』と言われたが、今日本がしていることが嘘や偽善でなければ何だ。日本の姿勢があまりにもあきれてこのまま死んではいけないと思い、最後になるかもしれない証言をするのだ」。 コン
記者コラム「多事奏論」 論説委員・田玉恵美 図書館で奇妙な体験をした。ある資料を閲覧したいと申し出ると、しばらくしてやってきた職員にこう言われた。 「これは、所蔵しているかどうか、お答えしないことになっているんです」 私は新潟県立図書館で、来年の世界文化遺産登録をめざす佐渡金山について調べていた。検索したところ、かつての鉱山会社が提供した「佐渡鉱山史」を所蔵しているとの記述があったのだが……。 説明に出て来た職員は、隣にある県立文書館の副館長だった。この資料があるかないかすら言えないのはなぜか聞くと、「それも言えない」という。 取材すると、佐渡鉱山をめぐっては、ほかにも新潟県で「お蔵入り」になっている資料があった。 「戦時中に佐渡鉱山で働いた朝鮮人労働者の名簿を、県立文書館が持っている」 歴史研究者の竹内康人さんは、研究者仲間から以前そう聞いた。今年4月、同館に閲覧したいと申し出ると、非公
イスラエルがガザ地区で行っている残虐な殺戮行為について、まるで10月7日のハマスによるイスラエルへの大規模攻撃がその原因であり、イスラエルが行っているのは自衛権の行使、せいぜい過剰防衛程度のものであるかのような言説が日本も含む西側諸国の政府やマスコミによって繰り返されている。 しかし、これは1948年のイスラエル「建国」以来延々と続けられてきたパレスチナの人々への迫害・追放・殺戮の歴史を無視した暴論でしかない。 イスラエルがパレスチナの人々からどれほどの土地を奪ってきたかは、下の図を見れば一目瞭然だろう。 画像出典:ISRAEL & PALESTINE: THE MAPS TELL THE TRUE STORY もちろんその過程では、ありとあらゆる虐待・殺戮・嫌がらせが行われてきた。 東エルサレムの街中で民間人にスタングレネード浴びせるイスラエル軍と、それが顔に当たって顎を骨折した聴覚障害
うかつにもまったく知らなかったのだが、実は関東大震災の1年ほど前にも日本国内で朝鮮人の虐殺事件が起きていたことを最近教えてもらった。 中津川(信濃川)朝鮮人虐殺事件という。※中津川は信濃川水系に属する河川の一つ 朝鮮新報(2022/12/27) 【特集】中津川朝鮮人虐殺から100年~アイゴ谷と呼ばれた地~ 新潟県津南町、日本一の豪雪地といわれるこの場所で、かつて朝鮮人労働者らが虐殺、虐待される凄惨な事件が起きた。1922年、関東大震災朝鮮人虐殺の前年にあった「中津川朝鮮人虐殺事件」だ。 事件は、同年7月29日付の読売新聞が「信濃川を頻々流れ下る鮮人の虐殺死体」という見出しで大々的に報じ、当時日本の植民地支配下にあった朝鮮半島にまで広く知れ渡るようになった。その後、在日朝鮮人による調査団が組まれるなど、当事者らの真相究明活動で明らかになった惨たらしい事実―。 それは、新潟県中津川の上流に建設
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