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人生と教育に関するarajinのブックマーク (169)

  • 何故恵まれない人間は努力しないのか?|rei

    特別支援学校出身の発達障害児が3年で偏差値を65上げ筑波大学に現役合格した話私は中学まで特別支援学校に通っていた。高校から普通高校に行ったのだが当然授業はさっぱり分からない。私の通った高校は所謂名前さえ書ければ入れるクロマティ高校であり、入学時にそれまでの単元をちゃんと履修してるか?等の確認は勿論しなかった。この高校を知った時は「最高かよ!」と思ったが実際に入ってみると、それは「私に限らず生徒みんな授業の内容とか分からないので先生も教える事を諦めて淡々とマニュアル通りに物事を進める」という形で牙を私に牙をむく。つまり私に限らずあらゆる生徒が先生に分からないから教えてくれ的な事を言っても「教科書を読み返して下さい」で全てシャットアウトなのである。 勿論教科書を読み直してみても分からないモノは分からない。オマケに私は言語は理解していたものの中学3年生まで発音出来ず、高校1年の時は人より3倍遅く

    何故恵まれない人間は努力しないのか?|rei
    arajin
    arajin 2023/12/27
    “困窮と不平等に対する理解を深めなければ私達の社会を大きな断裂を迎える事になるだろう”
  • 6歳のとき、友達のマホちゃんが誰も履いていないようなフリフリのスカート..

    6歳のとき、友達のマホちゃんが誰も履いていないようなフリフリのスカートを履いていた。みんなは可愛いねと言ったけど私は変だと思ったから、変だねと言った。マホちゃんは怒って泣いた。 8歳のとき、父親が知らない女の人といるのを見た。私はそれを浮気だと思ったから、晩御飯のとき二人にそれを伝えたら、数カ月後、両親は離婚した。母親は一言私に、アンタのせいよとだけ言って、それ以来父親の話をしなくなった。 14歳のとき、マホちゃんが好きだと言っていた先輩に告白された。マホちゃんがあなたの事好きらしいので、と断った。それを伝えたら、マホちゃんは怒って泣いた。 16歳のとき、初めてのバイト先で品出しをしていたらパートの人からバックヤードに呼び出された。私の品出しの仕方が間違っていると話し始めた。私は慌てて商品のところに行って、直してから退勤した。それ以来パートの人から無視されるようになった。 18歳のとき、美

    6歳のとき、友達のマホちゃんが誰も履いていないようなフリフリのスカート..
  • 私が研究者をやめた理由

    研究スタイルブログの管理人のひとりである、私タヌキですが、2020年をもって研究者をやめ、心機一転他業界へと転職することになりました。 「なぜ研究者をやめるのですか?」 という問いに対して、理由をいくつも上げることは難しい事ではありません。 例えば、激務だとか、将来のポストが見えてこないとか、常に競争を感じる環境、給料が低いだとか。アカデミアはもう何年も前からそういった問題を抱えているのは事実です。 しかし、別に環境が、私がアカデミアにいた8年間で変わったわけではありません。 研究者をやめるきっかけになるような事は今までの8年の間いくらでもありました。ですので、この記事ではアカデミアの不満をつらつら書き連ねるつもりはありません。 こういった人生の分岐点に立ち、決断する時、私はマイケル・ガザニカという科学者が出した「〈わたし〉はどこにあるのか」というを思い出します。 私は彼の「意識とは解釈

    私が研究者をやめた理由
    arajin
    arajin 2023/09/13
    “「研究を通じて成し遂げたい事」については、上手に育てることができなかった”
  • 57歳の母がエンジニアを目指している

    ChatGPT関連のニュースを最初めちゃくちゃ嫌っていたうちの母親(57歳の主婦)が実際に使い始めたらどハマりしてしまったらしい。それだけなら面白いもんだが2ヶ月前、遂に「OpenAIエンジニアになる」と言い出した。ちなみに母は一度も日から出たことはないしプログラミングやIT系に勤務した経験もない。 ニューハンプシャー州にあるコミュニティカレッジのオンライン英語学習コースとCamblyというアプリで英会話やライティングを勉強しながら、Pythonやデータ構造、アルゴリズムの勉強をしている。を読んで色々作りながらPython Certificationsという試験の勉強をしているらしい。 俺は2ヶ月前まで色々パソコンの基的な使い方やファイルとかフォルダの違いについて教えていたが、もう多分母の方が詳しい。その情熱を数十年前に俺の教育に注いでくれればよかったのに。まあボケ防止にはなるだろ

    57歳の母がエンジニアを目指している
  • 〈人生最大級のドヤ顔を…〉伊藤匠少年から「15連敗確定」と言われた父親が“社団戦”で初勝利を上げるまで | 観る将棋、読む将棋 | 文春オンライン

    伊藤匠五段の父・雅浩さんのブログ「Footprints」は、匠少年の将棋だけでなく親の将棋とその交流が書かれている。 社交的な雅浩さんは、将棋キッズの親同士の会には積極的に参加。親子合宿を企画運営したり、親チームで社団戦に出たりした。今でもその友情は続き、仲間は小さい頃から知っている「たっくん」がプロ棋士になったことを、我がことのように喜んだ。 この番外編ではそんな雅浩さんの交流や対局、すっかり親子の棋力が逆転してからの匠少年の父との関わりを紹介する。

    〈人生最大級のドヤ顔を…〉伊藤匠少年から「15連敗確定」と言われた父親が“社団戦”で初勝利を上げるまで | 観る将棋、読む将棋 | 文春オンライン
  • ほとんど学校に行ったことないけど、社会人として働き始めて3年経った。

    社会人として働き始めて、3年経った。 いくつかの失敗も重ねたが、今のところ、それなりに順応し、馴染んでいるとおもう。 給与は身に余るほど、仕事内容も悪くない。同僚や上司との関係も良好に進んでいる。 これまでを振り返れば、今は上手く回りすぎているようにさえ感じる。 自分は、日の公教育をほとんど受けていない。まともに通えなかった。 いわゆる「怒る先生」が怖かった。今でも大声で怒鳴る人や、怒りをあらわにする人は非常に苦手だ。 義務教育たる小中学校の9年間のうち、保健室登校を含めても、学校に行った期間は2年に満たない。 続いての高校も2か月足らずでやめた。 しかし、両親が教員だったこともあり、幸いにも、何とか勉強をする環境は与えられた。 通信教育や家庭教師、無数のを与えてくれた。ピアノやバイオリン、習字などの習い事もできた。 いくつかの科目は両親が教えてくれることもあった。 感情表現の乏しい両

    ほとんど学校に行ったことないけど、社会人として働き始めて3年経った。
  • 明日から私は一人で寝る

    小学1年生、4月から2年生になる娘が言った。 「明日からは一人で寝たい」 我が家は21時を目標に家族の寝室に連れていく。 そこからが微妙に長かった。 娘はオリジナル曲の奇怪なダンスをしたり、お気に入りのぬいぐるみを並べてごっこ遊びをしたり。 1日にあった出来事を話したり、突然宇宙や自然のことを話し出したり。 早く寝て欲しくて明日も幼稚園だから!と注意するのが、明日も小学校だから!に変わっておおよそ一年。 先月まで一人で寝るのは怖い〜と寝かしつけを欲してきた娘が、今夜、あっさりと明日からは一人で寝る宣言をしてきたのだ。 あの舌っ足らずの意味不明な歌詞のうた。 全身をバタバタするダンス。 ぬいぐるみの前で幼稚園の先生ぶって遊ぶ仕草。 思わず笑いそうになりながらも、早くベッドに入りなさいと言った。 ベッドに入ってからもおしゃべりはとまらない。 ニコニコしながら話す1日のダイジェスト。 これから

    明日から私は一人で寝る
  • 定型発達の人の見ている世界

    発達障害の診断がおりたのは40手前だった。幼稚園頃から「周りと違う」と感じていたけれども「診断がなんの足しになる」と思って受診しなかった。昭和56年生まれ。兄も発達障害の傾向あり。母、母方の祖父、大叔母も発達障害であるらしかった。もちろん未診断。 昔からゲームに興味はなく、暇つぶしにを読んだり勉強したりして過ごした。友達もいなかったし勉強しかやることがなかった。小中高、いい思い出はなかった。ネット環境が整い自由に勉強できる今の時代に生まれていたら必ず不登校になっていたと思う。一人になりたいから勉強するのであって、塾には行ったことがなかった。 北海道大学法学部に入って「ああ、自分はダメだ」と悟った。周りの人と違い過ぎた。周りの人は「恋愛も部活も遊びもそれなりに楽しんでかつ勉強もできる人たち」だと思った。私はそれら全ての時間を(他にやることがないため)勉強にあててやっと入れたにすぎない。サー

    定型発達の人の見ている世界
  • もっと強くなるために | カラフル!~世界の子どもたち~ | NHK for School

    ぼくの名前は匠(たくみ)。小学校4年生。将棋(しょうぎ)が大すき。一日中指していられる。いつも、「学校のほうが大事」とはいわれるけど、将棋のほうが大事と思っています。 学校でとくいなのは算数。将棋(しょうぎ)ができる人はだいたい算数もできると思います。たくさん問題をとくのがすきです。放課後(ほうかご)は将棋クラブへ。クラブの宮田先生はプロ7段。多いときは20人ぐらいを相手に指導対局(しどうたいきょく)をする。すごいと思います。将棋のどこが楽しいかというと、頭を使ったり、先のことをよんだりすることかな。宮田先生は、強くなろうという人にはきびしいけど、そうじゃない人にはきびしくない。ぼくはきびしいほうがいい。「勝つことよりも、強くなることを考えないと」といわれる。

    もっと強くなるために | カラフル!~世界の子どもたち~ | NHK for School
  • 全国初の「17歳の大学生」になったが…早熟だった「物理の天才」が、いまトレーラー運転手として働くワケ(プレジデントオンライン) - Yahoo!ニュース

    1998年、千葉大学は全国初となる「飛び入学」を実施した。合格した3人は「17歳の大学生」となり、研究者としての将来を嘱望されていた。その後、どんな人生を歩んだのか。読売新聞の人物企画「あれから」をまとめた書籍『人生はそれでも続く』(新潮新書)より、佐藤和俊さんのケースを紹介する――。 【写真】「飛び入学」の前、私立成田高校(千葉県)の化学部時代の佐藤和俊さん ■千葉大学が全国で初めて導入した「飛び入学制度」 1998年1月、佐藤和俊さんの人生は、一変した。 「飛び入学 3人合格」 当時、高校2年生だった佐藤さんには、新聞の見出しが面はゆかった。 「科学技術の最先端を切り開く人材を育てたい」と、千葉大学が全国で初めて導入した飛び入学制度。「高校に2年以上在籍した特に優れた資質を持つ17歳以上の生徒」に大学の入学資格を認めるもので、中央教育審議会がこの前年6月に制度化を答申していた。 合格者

    全国初の「17歳の大学生」になったが…早熟だった「物理の天才」が、いまトレーラー運転手として働くワケ(プレジデントオンライン) - Yahoo!ニュース
  • 文学部になんか行くな、勉強しても報われないぞって初めから言え

    いただいたコメントを受けて過去を冷静に振り返るエントリも書いたんで気になる人は見ていってください。 https://anond.hatelabo.jp/20220116181308 23卒の文学部。マジで日のキャリア教育も私の周りの人間もとことんなじって泣きたい気分だ。 まず受験を経て中学に入学してから、大学受験は恐ろしいものだという周りの言葉にしたがって、青春を勉強にささげた。 高校生の私は、文学や映画といった芸術が好きで、それを勉強してみたいと思った。 そうして文系を選択し、今まで以上に勉強を続ける。 その結果、オープン模試では浪人も含めた受験生で一位になるなど、自分でも当かよと思う成績を常にとっていた。 そして大学受験。過去最高の点数をたたき出し、狙い通りに宮廷大の文学部に晴れて入学。 入ってからは、サークルに所属することもなく(人と関わるのが面倒くさかった)、変わらず勉強に打ち

    文学部になんか行くな、勉強しても報われないぞって初めから言え
    arajin
    arajin 2022/01/15
    “しかし、私が得意なのは勉強であって、真理を追究しようという強い意志も、狭き門を狙って親の穀潰しを10年以上続けるほどの度胸もない。”
  • けしからん本屋とけしからん大人たちが僕を育てた 天才プログラマー登大遊氏をかたちづくった「あの本屋」

    “けしからん”天才プログラマーはなにを考える? 登大遊氏を形成した歴史と日のこれから けしからん屋とけしからん大人たちが僕を育てた 天才プログラマー登大遊氏をかたちづくった「あの屋」 例えば自分がエンジニアを目指したとき、どのように視野を広げればいいのか、漠然と不安を抱えたことはありませんか。そんな時、自分とは異なる“天才”の頭の中はどうなっているのか、その中身を覗いてみたいと思いませんか? そこで今回は、天才プログラマーとしても知られる登大遊氏に、その考え方や思想の根源がどこにあるか、ちょっと頭の中を覗かせてもらいました。まずは、登氏がプログラミングに出会った幼少期について。 雑誌やマニュアルを読んで学んだ幼少期 ーーまず、登さんの幼少期についてお尋ねします。登さんは、小学生2年生の頃に自宅にあるPCでプログラミングをはじめたとのことですが、当時はどのように勉強されていたのでしょう

    けしからん本屋とけしからん大人たちが僕を育てた 天才プログラマー登大遊氏をかたちづくった「あの本屋」
  • 俺には戸籍がなかった

    そんな奴が当にいるの?って瞬間的に感じてしまうだろうけど、でも実際に戸籍がないって人はいる かつて世話になった弁護士さんが言うには1000人くらい日には無戸籍の人がおられるらしい 俺に戸籍がなかった理由は単純に両親が届けなかったからだ 失踪した母が父から見ればどこの馬の骨ともしらない男の子供を産んで戻って来た時、今はなき祖父や父はそれを受け入れなかった また母も自分が誰の子を産んだのかを決して明かそうとはしなかった、だが奇妙な家族関係だけは解消されることはなく その狭間で俺には戸籍が与えられなかった、というのが後に知った事情だった 戸籍がないので当然だが義務教育すら受けてはいないし、友達なんてものもいなかった 家事を手伝い、それが終わったら農作業を手伝う、それが俺の日常だった やがて俺が11歳の時に祖父が亡くなり、俺が16歳になった時に母が亡くなった その後、母の所持品から俺が生まれた

    俺には戸籍がなかった
  • 地方から京都大学へ。その時まで、僕は「教育の地域間格差」の本当の根深さを知らなかったのだ

    僕にとって受験は、人生からの脱出ゲームだった。しかし、大学に入ってすぐに周囲との大きなギャップに気付いた。進学の意味づけ、ライフコースの解像度が、全然違う。自分にとって自由の始まりだった大学は、多くの人にとって整備された手順の一つだった。

    地方から京都大学へ。その時まで、僕は「教育の地域間格差」の本当の根深さを知らなかったのだ
    arajin
    arajin 2021/04/06
    “そして、最も重要なこととして、「自分がどんな日常から作られているか」について、客観的に省みることはとても難しい。僕たちは意識するよりも前に僕たちになってしまっている。”
  • 大学教員やめてデータサイエンティストになります|Chol@大学教員→データサイエンティスト→ベンチャー企業研究員

    退職エントリってやつです。 私は現在、国立大学で助教をやってます。 そこを今年度いっぱいで辞め民間企業に行くことにしました。 5年任期の3年目を終えるところでの転職です。 思えば学部4年からから10年以上、土壌や微生物の研究をしてきました。 学位取得後はポスドクとして北は宮城から南は沖縄まで、場所を変え、テー を変え、必死にアカデミアにしがみついてきました。 そしてやっとのことで3年前に大学教員になれました。 しかしこのポジションは任期付き(5年、更新なし)なので、安心も慢心もきません。 大学着任の直前に出たこんな記事が界隈では話題になっていましたhttps://anond.hatelabo.jp/20180326180513 この筆者も私と同じ境遇(任期付き助教、更新なし)で、次が決まらずに所属先を去っています。 こうはなるまいと、現職に着任したその日から転職活動を始めていました。 着任

    大学教員やめてデータサイエンティストになります|Chol@大学教員→データサイエンティスト→ベンチャー企業研究員
  • 第11回 勉強って、役に立つの?|問いつめられたおじさんの答え|いがらし みきお|webちくま

    それはみんな思うことだね。特に小学生の頃なんて。おじさんもそう思ってたけど、誰にも聞いたりはしなかったし、親にも先生にも言わなかった。なんとなく、そういう質問というか、疑問というのは、「難しい」部類の話だと思ってたしね。この場合の「難しい」というのは、人生論とか哲学とかの部類の「難しい」だけど、まぁ、そういう難しさを理解していた頃というと、もう中学生になってるよね。 小学生の頃だと「なんで毎日毎日学校に来なければいけないの」というレベルであって、単なる不平不満でしかない。親とか先生に聞いても、だいたい答えは予想できるでしょ。「立派な社会人になるためだ」とか、「いい大学に入るためだ」とか、「いい会社に入るためだ」とか。 もしかしたら「お金持ちになるためだ」とか言う人もいたかもしれないけど、結局、実利主義です。実利主義で言うと、子どもは「立派な社会人」になったことも、「いい大学」に入ったことも

    第11回 勉強って、役に立つの?|問いつめられたおじさんの答え|いがらし みきお|webちくま
    arajin
    arajin 2020/12/28
    “だけど、ほんとうの「勉強」というのは、学校を卒業してからはじまるんじゃないか。少なくともおじさんにとっては、自分のおカネで買った本は、役に立ったと思うよ。”
  • 白饅頭日誌:12月26日「拗ねた天才たち」|白饅頭

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    白饅頭日誌:12月26日「拗ねた天才たち」|白饅頭
    arajin
    arajin 2020/12/27
    “彼らが自身の長年の疎外体験・被害経験に裏付けられた、社会や世間や他者への拒絶的態度――語弊をおそれず端的に表現するのであれば「拗(す)ね」――を改善できるかどうかにある。”
  • 白饅頭日誌:11月9日「体罰の物語」|白饅頭

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    白饅頭日誌:11月9日「体罰の物語」|白饅頭
    arajin
    arajin 2020/12/10
    “文章にすると一見して矛盾するように思えるかもしれないが、かつて痛みを受けた人は、自分の痛みを癒すために、自分の痛みを肯定するのである。”
  • 「東大に行ったのに普通の人生」な人たちの苦悩。

    うちの長男も、中学受験が迫ってきました。 僕自身は、中学までは地元の公立だったので、こんな早くから受験のために勉強させられるなんてかわいそうだよな、という気持ちもあるのです。 その一方で、勉強はしておいて損はないし、通っている私立の小学校も、みんなが受験をするような環境なので、あえて「中学受験をしない、させない」という選択をする根拠も見いだせないんですよね。 勉強をするのが善いことだと考えている集団にいたほうが、たぶん、人の将来にとってもプラスになるはず。 ……などと自分なりに理論武装してはみるものの、子どもも時々「なんでこんなに勉強しなきゃいけないのかなあ、いい学校に行くことに、そんなに意味あるのかなあ」なんてボソッと尋ねてくるのです。 そんなとき、親としてしばしば口にするのが「勉強をしておけば、選択肢や可能性が広がるから」という言葉なんですよね。 言っているほうも、半ば苦し紛れではあ

    「東大に行ったのに普通の人生」な人たちの苦悩。
  • 「姉は大して苦もなく医者になった。」

    姉は昔から「お勉強」はできるけれど、世間知とか常識とかにはあまり聡くない、いわゆる天然なお嬢さんだった。 小学生くらいの頃から「医者になる」と公言していて、周囲もそれが当然と考えていた。頭がいいのもあったし、なにより勉強に関しては誰より律儀だった。 不真面目な学生だった俺はなんであそこまで毎日真面目に机に向かえるのだろう、と不思議だった。 彼女は県内でも一番といわれる高校(もともと男子校で、姉の入るタイミングくらいに共学化された)に進み、そこでもしゃかりきに勉強に励んだ。 成績も「医学部には普通に入れる」くらいをキープしていたらしい。 俺も親も姉も普通に現役合格するものと思っていた。 だが、落ちた。 姉は気で悔しがっていた。 俺は「やはりお医者さんになるのは大変なんだな」くらいにしか思わなかった。 姉は浪人し、上京して予備校通いを始めた。 そして翌年に私立の医大に合格した。 そうしてつつ

    「姉は大して苦もなく医者になった。」