「聲の形を見て「耳の聞こえない彼女が欲しいと思いました」という感想を持つことは倫理的に問題なのだろうか。仮に批判する場合、何を根拠に批判が成り立つのだろうか。」というツイートをきっかけにした議論について、興味をひいたツイートを中心にまとめました。
どーもー、やばいやばいどうしようどうしようもう何をしていいか全然分からない*1僕です。 だから本当ならこんなブログとか書いてる場合じゃないはずなんですけど、人間どーも追い詰められると現実逃避したくなりがちなわけで…… で、どーせ現実逃避するなら、ニコ動とかに現実逃避するよりはせめて、ブログでより自分の周りの現実を見つめ返すような、そんな「『現実』への逃避」をしてみようかと思うわけです。まぁ、これも結局は形を変えた現実逃避でしかないわけですが…… というわけで、今回のテーマは「結婚」です。いやだって、就活本とかにも「就活で最も重要なのは自分の人生のキャリアデザインだ!」なんて書いてあるし……*2で、仕事について考えるのももー正直飽きてきてしまったので、今回は仕事以外の私生活について考えてみようかと、思ったりするわけです。 (余談だけど、何で就活関係ってどこもかしこもあんなアッパー系で胡散臭い
はてなダイアリーを読んで、とらドラは別に小説も読んでなきゃアニメも見てなくて、ニコニコ動画でMADとかをみたり、あらすじをちょこちょこっと聞いただけなんだけど、なんかエア批評してみたくなったので。 とらドラねぇ……最初あらすじだけ聞いたときは、「あーまた鬱になりそうだなー」っていう感じの作品だったのよ。というのも、僕はとてもとても暗い学生時代を送っていたので、耳すまを見ればもちろん鬱になるし、それだけじゃなく世間的にはオタク向けの作品とされている涼宮ハルヒやスクラン、はたまた何とあ〜るとかを見ても鬱になってしまう体質なのだ。あとぽてまよとかげんしけんとかフラワーオブライフもきつい。 これの原因はもちろん、「学生時代っていうのはこんなに楽しい可能性に満ちた時代だったのに、俺は何てつまらない学生時代を送ったんだ……」とか考えてしまうことによるもの*1である。だから、とらドラという作品を最初に知
つい先日、エルサレム賞という、イスラエルの文学賞が村上春樹に対して贈られ、そしてその受賞スピーチの席上で、村上春樹が、イスラエルのガザ攻撃を批判したというニュースが話題になっていた。そのニュースによると、村上春樹は軍事力による攻撃や、分離壁の建設を「壁」とし、そしてその壁によって殺される者を「卵」として、「どんなに壁が正しく、どんなに卵が間違っていても、私は卵の側に立つ」としたそうだ。 それについてどう解釈できるかは、またこの文章の終わりに書くとして、日本におけるそれへの一般的な反応としては、まず、村上春樹はそういう生臭い政治的なものを忌避している代表のような文学者なのだから、今回の様なスピーチをするというのは意外だという声があり、そしてそれとは反対に、とくに最近の村上春樹は、そういう自分の範を超えた大きな「世界」に対してコミットメントするようになってきたから、今回の様なスピーチも意外では
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