cakesは2022年8月31日に終了いたしました。 10年間の長きにわたり、ご愛読ありがとうございました。 2022年9月1日
なめらかな社会とその敵 作者:鈴木 健発売日: 2013/01/28メディア: 単行本 未来のための社会像? 『なめらかな社会とその敵』の想定読者は三百年後の未来人。そこからすれば評者は未開の土人だ。しかしその未開人にも、謙虚な筆致に隠れた著者の熱意と意気込みはわかる。新しい通貨システムの案出など、ジョン・ローの不換紙幣やデヴィッド・チャウムの電子通貨以来かもしれない。しかもその射程はそもそもお金の意味すら変え、社会自体の変革を夢見る遠大なものだ。 著者は、題名通りのなめらかな社会を夢見る。人々の有機的なつながりがたもたれ、様々な関係性の途切れない世界。現代のお金による取引はそれを荒っぽく分断する。投票も一かゼロかの粗雑な選択を迫る。だが、インターネットを使えば、お金も投票もまったくちがった形態を持ち得る。関係性を保ち、様々な評価のフィードバックもある通貨システムもできる。粗雑でない細やか
肩をすくめるアトラス。 (『CUT』2000 年 05 月) エイン・ランド。アイン・ランドと読む人にも会ったことがあって、どっちが正しいのかぼくは知らないのだけれど。(注:「アイン・ランド」が正しい。失礼)アメリカ人のインテリ層の 1/3 くらいは、人生のどこかでこのおばちゃんと何らかの対決を迫られる。有名どころだと、いまのアメリカの連邦準備銀行親玉のアラン・グリーンスパンは、ランド信奉者(でもないけれど非常に好意的な人)として有名だな。(注:その後調べてみると、なんか彼女のセミナーに夫婦そろって出入りしたりしていて、本人ともかなりつきあいがあったとか)そしてそのランドおばちゃんの、全身全霊をこめた大思想小説が、Atlas Shruggedというこのすさまじい小説だ。 (注:その後、このAtlas Shruggedの翻訳が決まったそうで、とりあえずはめでたい。だがその翻訳者から 2001
研修資料の余白に:『はだかの王様の経済学』は戦慄すべき本である (2008/06/16, 17 日に 注 等細かい加筆, 22日にコメントなど加筆。) 山形浩生 要約:松尾『はだかの王様の経済学』は、解説されている疎外論がひがみ屋の責任転嫁論でしかないうえ、それを根拠づける「本来の姿」だの「実感」だのがあまりに恣意的で確認しようがなく、まったく使えない。そして「みんなで決め」ればすべてうまく行くというお花畑な発想は悪質なニュースピークによる詐欺であるばかりか、最後にはポル・ポトまがいの抑圧思想に直結していて戦慄させられる。 目次 序 「設備投資」は「コントロールできない」か? 疎外とはひがみ屋の天国である。 「本来の姿」ってだれが決めるの? 市場を超える「話し合い」って? 「みんな」で決めればだれも不満はない? おわりに 本稿への反応など 蛇足コメント 1. 序 松尾筺『はだかの王様の経済
ちょっと間があいたので、他人のふんどしで相撲をとろう。 経済学はお金だけの学問じゃない。 今年の経済書で、話題性から見てもおもしろさから見ても重要性から見ても、ぼくはレヴィット&ダブナー『ヤバい経済学 ─悪ガキ教授が世の裏側を探検する』がダントツだったと思う。その重要性その他(そしてそれについてまるっきりピンときていないとおぼしき業界への不満)は、『論座』の書評に書いた。経済学は経済成長ばかり重視するとか、それ以外のものを見ていないのではないかとかいったことを、何やら大発見のように言い立てる人は、素人ばかりでなく、実は経済学のかなりえらい人でも(救われないことに)結構いる。そしてその指摘自体はまちがいじゃない。経済学に限らず、あらゆる分野において、新しい領域を切り開ける人は少なくて、たいがいの人はすでに確立されているもののちょっとした変奏しかできない。お金は数値化できるし、数学の道具立てを
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