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語りの権力性と国家観と逸脱と帰属に関するcrowserpentのブックマーク (4)

  • 勝手に 定義して、他者の民族性を かたることの問題。 - hituziのブログじゃがー

    坂口安吾(さかぐち・あんご)のエッセイに「日文化私観」というのがある。 伝統と生活と。ブルーノ・タウトは、日を 訪問し、日の あれやこれやが うつくしいと いった。その あれやこれやは、いわゆる伝統というやつだ。安吾は、生活が大事だと いった。 然しながら、タウトが日を発見し、その伝統の美を発見したことと、我々が日の伝統を見失いながら、しかも現に日人であることとの間には、タウトが全然思いもよらぬ距(へだた)りがあった。即ち、タウトは日を発見しなければならなかったが、我々は日を発見するまでもなく、現に日人なのだ。我々は古代文化を見失っているかも知れぬが、日を見失う筈はない。日精神とは何ぞや、そういうことを我々自身が論じる必要はないのである。説明づけられた精神から日が生れる筈もなく、又、日精神というものが説明づけられる筈もない。日人の生活が健康でありさえすれば、日

    勝手に 定義して、他者の民族性を かたることの問題。 - hituziのブログじゃがー
    crowserpent
    crowserpent 2015/11/26
    オリエンタリズムと同化主義(政策)の共通性・連続性について。
  • “流血”は分離独立運動だけの責任なのか? - Danas je lep dan.

    the_sun_also_rises氏より応答いただいたので応答を。 分離独立運動は流血を招く(中) - 日はまた昇る 基的にエントリ内容に対して事実面で言いたいことはあまりない。ところどころ危うい箇所も見受けられるが,そこは題とあまり関わりがない(たとえばケベックについて,ケベックを有利とする憲法案に対しケベック以外からの反対が噴出してうまくいかなかった――典型的にはミーチ・レイク協定のような――例があるのだけどそこが等閑視されてるように思える。タリバンその他は分離独立運動に含んでしまってもいいのか。あと,クロアチアとコソヴォの項でセルビアを「セビリア」と誤記しているけど,まああんまタイポをあげつらっても仕方ないか)。 わたしが言いたいのはただ一点である。 それって,全部「分離独立運動」側の責任なの? もちろん彼らにも事情はあっただろう。当時の情勢が許さなかったという擁護論もあり得る

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    crowserpent 2015/09/11
    迫害や差別的扱いに対抗しようとした側だけがフォーカスされ、犠牲を責められる構図について。
  • 「在特会に対する切断操作はよくない」のは、在特会がかわいそうだからでも、かれらの言論の自由を尊重するためでもありません。 - *minx* [macska dot org in exile]

    ひさしぶりの更新になりますが、例によって家エントリ「在特会と通じる性質を見せる『反在特会』の取り組みと、『上から目線のエセインテリ』へのブクマコメントにお応えしちゃいます。ただし、ひびのまことさんが批判している通り、「朝鮮学校をどう支えるか」という、来論じられるべきポイントから逸れた話が論じられず、「日人の運動をどうするか」という問題に論点がスライドしてしまうという問題も意識しておきます。 BigHopeClasic 政治, 社会 これは難しい話だけど、在特会を切断するなというのはそのとおり。 2009/12/22 t-kawase politics, philosophy リベラルの持つパラドックス。こちらを否定する者をも認めなければ、という。また、向こうはこっちの「リベラルさ」につけ込んでくるからなあ。「戦勝報告」みたいでなければこじれなかった話。 2009/12/2220 h3

    「在特会に対する切断操作はよくない」のは、在特会がかわいそうだからでも、かれらの言論の自由を尊重するためでもありません。 - *minx* [macska dot org in exile]
    crowserpent
    crowserpent 2010/06/13
    在特会のような「わかりやすい差別主義」を異質なものとして切り離せば、社会全体に潜む差別性が見落とされてしまう。
  • あなた、今どこにいるの?―村上春樹と「主体」について - あままこのブログ

    つい先日、エルサレム賞という、イスラエルの文学賞が村上春樹に対して贈られ、そしてその受賞スピーチの席上で、村上春樹が、イスラエルのガザ攻撃を批判したというニュースが話題になっていた。そのニュースによると、村上春樹は軍事力による攻撃や、分離壁の建設を「壁」とし、そしてその壁によって殺される者を「卵」として、「どんなに壁が正しく、どんなに卵が間違っていても、私は卵の側に立つ」としたそうだ。 それについてどう解釈できるかは、またこの文章の終わりに書くとして、日におけるそれへの一般的な反応としては、まず、村上春樹はそういう生臭い政治的なものを忌避している代表のような文学者なのだから、今回の様なスピーチをするというのは意外だという声があり、そしてそれとは反対に、とくに最近の村上春樹は、そういう自分の範を超えた大きな「世界」に対してコミットメントするようになってきたから、今回の様なスピーチも意外では

    あなた、今どこにいるの?―村上春樹と「主体」について - あままこのブログ
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    crowserpent 2009/02/22
    「システム/個人」の二分法に回収されない「主体」解釈の重要性。/「断絶への忌避としての愛」から見る村上春樹文学。参考:http://bdkiss.blog54.fc2.com/blog-entry-334.html
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