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語りの権力性と愛に関するcrowserpentのブックマーク (4)

  • 愛は醜い - ←ズイショ→

    たとえば体罰とかハラスメントとか果てはストーカーとか痴情のもつれとか、たびたび加害者が「愛してるからやったんだ」「愛情がない相手にはそんなことしない」みたいなことを言ってるのを見かける。 それを見てみんな「ふざけるな」「そんな言い訳が通じるわけないだろ」と憤る。ここまではわかる。 「お前のそれは愛ではない」「お前の愛は正しくない」こうなってくると俺はちょっとわからなくなる。 別に愛だろうがなんだろうが知ったこっちゃないがダメなもんはダメ、で良くない? それが当の愛だったとしても加害を正当化する理由にはなりません。それじゃあダメなの? なぜ人は、他人の愛が当の愛か、正しい愛かを判断しようとするのだろう。 それは結局みんな「来なら許されない何かが愛を理由に許されることがある」と信じてるからなのではないだろうか。 愛を理由に自分の行動を許される余地は残しておきたいと心のどこかで思っているか

    愛は醜い - ←ズイショ→
    crowserpent
    crowserpent 2017/12/18
    ほぼ同意見。「偽物の愛」を事後的にラベリングすることは、「『愛』によって生じる問題」「『愛』がエクスキューズに使われることの問題」 を覆い隠してしまう。
  • ひとりのアナ雪ファンが #GiveElsaAGirlFriend に反対する理由 - Tokyo Pin Trading Days

    まさかブログを作って最初の記事がこんな内容になるとは思わなかった。 どうもはじめましてMay0315です。私は所謂「アナ雪ヲタ」に括られるうちのひとりで、13年秋にアメリカで公開される前からトレーラーやレリゴーのプロモを見ては編を妄想し、アメリカで公開されてからの盛り上がりに発狂しそうなほど煽られ、半年後の日公開を待ちきれずにFrozen(「アナと雪の女王」原題)を見たいがためにはじめての一人旅に踏み切り香港へ飛びました。尖沙咀のガラガラ映画館で観たはじめてのFrozenは最高だった。 無論、その後日で公開されてからも、2枚しか前売りを買っておかなかった*1自分の馬鹿さを呪いつつ映画館へ通い詰めたりもして、気がつけば部屋にはグッズが増えていって収納が足りなくなった、Twitterには(多分)よくいるタイプのアナ雪ヲタです。 さて、数日前からTwitterでは #GiveElsaAGi

    ひとりのアナ雪ファンが #GiveElsaAGirlFriend に反対する理由 - Tokyo Pin Trading Days
    crowserpent
    crowserpent 2016/05/07
    異性愛中心主義に対して同性愛のロールモデルを求める安直さによって、「作品についての語り」から零れ落ちるものについて。/関連(どちらかというと反対の意見):http://yuichikawa.hatenablog.com/entry/LeaveElsaAlone_
  • ベストセラー作家だけどハックルベリー(id:aureliano)さんの質問にこたえるよ! - orangestarの雑記

    http://d.hatena.ne.jp/aureliano/20111019/1318990671 まあ、岩崎夏海さんに比べるとあんまり売れてないのでベストセラー作家を名乗るのはおこがましいのだけれど。 ちなみに、ミリオンセラー>ベストセラー(文芸だと10万部くらいから)らしいので、ギリギリ名乗らせてもらいます。岩崎さんの質問に出来るだけ真摯に応えようと思います。真摯、大事、ってドラッガーも言ってたしね。 何でぼくのことを承認欲求の強い人間だと思うの? これは、そもそもの承認欲求の是非の部分から回答しないと当の回答にはならないと思います。また、ぼく自身の問題にも深く関わっている為、自分の経験も含めて回答します。 神様に愛され過ぎて手に触れるものが全て黄金に変わってしまうような星の元に生まれついた人間でない限り、文章を書いたり、モノを作ったりする人間にとって、承認欲求というものはガソリ

    ベストセラー作家だけどハックルベリー(id:aureliano)さんの質問にこたえるよ! - orangestarの雑記
    crowserpent
    crowserpent 2011/10/21
    絶賛されてるエントリだけど、id:lisagasuさんのコメントに共感した。「愛情」として語られてしまうことの危うさ。/801ちゃん本人のコメントをまとめました:http://togetter.com/li/203298
  • あなた、今どこにいるの?―村上春樹と「主体」について - あままこのブログ

    つい先日、エルサレム賞という、イスラエルの文学賞が村上春樹に対して贈られ、そしてその受賞スピーチの席上で、村上春樹が、イスラエルのガザ攻撃を批判したというニュースが話題になっていた。そのニュースによると、村上春樹は軍事力による攻撃や、分離壁の建設を「壁」とし、そしてその壁によって殺される者を「卵」として、「どんなに壁が正しく、どんなに卵が間違っていても、私は卵の側に立つ」としたそうだ。 それについてどう解釈できるかは、またこの文章の終わりに書くとして、日におけるそれへの一般的な反応としては、まず、村上春樹はそういう生臭い政治的なものを忌避している代表のような文学者なのだから、今回の様なスピーチをするというのは意外だという声があり、そしてそれとは反対に、とくに最近の村上春樹は、そういう自分の範を超えた大きな「世界」に対してコミットメントするようになってきたから、今回の様なスピーチも意外では

    あなた、今どこにいるの?―村上春樹と「主体」について - あままこのブログ
    crowserpent
    crowserpent 2009/02/22
    「システム/個人」の二分法に回収されない「主体」解釈の重要性。/「断絶への忌避としての愛」から見る村上春樹文学。参考:http://bdkiss.blog54.fc2.com/blog-entry-334.html
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