週報 2024/04/28 川はただ流れている 4/20(土) 初期値依存性 さいきん土曜日は寝てばかり。平日で何か消耗しているらしい。やったことと言えば庭いじりと読書くらい。 ベランダの大改造をした。 サンドイッチ 一年前に引っ越してからこんな配置だったのだけど、さいきん鉢を増やしたら洗濯担当大臣の妻氏…
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恋愛というロジックにおいては、自らがまず「選別可能な選択肢」になることが大前提となっている。 つまり、「交換可能な存在」にならなければ、「交換の輪」に入ることができないという仕組みだ。 それはまずいいとしよう、だが問題は次である。 「交換可能な存在」であるということは、つまり「代替可能な存在」であるということである。 自分であろうと他人であろうと、また他人であろうと自分であろうと、そこにはなんらの質的な差異、価値的な差異が存在しないということである。 いったい維持すべき恋愛関係などあるのだろうか? そもそもが「誰でもいい」ものなのである。 にもかかわらず、「誰かでなければならない」という。 「交換可能な存在」であることが大前提である以上、いったい何が、何を、どうやって「楽しむ?」というのだろうか。 まったく理解できない。 ――「恋愛の不可解なオキテ」 理解できる。 山本弘のSF小説『サイバ
はてなブックマークで、こんな意見が注目を集めている。 泉こなたがオタク男性のアヴァターラ(化身)であるということは、既に多くの指摘を受けている。 ここでいうオタク男性とは言うまでもなく 「一日2回の二次元をオカズとしたオナニーが日課で、エロゲとネトゲとアニメ以外に生きがいのない汚らしい屑」のことである。 そんな俺たちであったが、それでもやっぱり美少女たちに囲まれる生活には憧れがある。 しかし異性として美少女の前に己を晒すという視点は、すでに俺たちにはリアルなものではない。 どんなに駄目なキャラクターでも、美少女たちに囲まれてチヤホヤされている男性キャラクターに自分自身を重ねることは到底無理であり 「このイケメンが」と嫉妬すら覚えることも稀ではない。 三次元をとうに諦め、二次元美少女にすら傷つけられることを恐れる絶望したオタクたちは、 「せめて二次元ではモテたい」「だがモテるはずがない」とい
萌えとエロと純愛 ● ロリコン萌え漫画キモイという話を書いたら、「キモイって言うな!人の嫌がることを言ってはいけません」とおじいちゃんに言われました。昔から書いてることだから今さらだな。 萌え系コミックやエロゲーが、「女は男の性に奉仕するための生き物」(幼い女の子ですら)という性的妄想の上に成立しているものである以上、「キモイ」(生理的に嫌)という感想が女性側から出て来るのは必然だと思う。 それに対して逆ギレする人を見ると、「暴力性に全く気づかないまま萌えコンテンツを消費しているの?」という疑問が浮かんでくる。 「どこにも実在しない少女なんだからいいだろ」という問題ではない。嫌悪の対象は概念(女性観)だからだ。 だからといって、「人の嫌がることはやめましょう」などと言って表現規制を求める運動にもシンパシーは感じない。 無菌状態のサブカルチャーほどつまらないものはないし、ある人間にと
メカビ Vol.01 作者: 本田透,堀田純司出版社/メーカー: 講談社発売日: 2006/06/02メディア: ムック購入: 4人 クリック: 40回この商品を含むブログ (142件) を見る 「男性は皆、オタクである」――「メカビ」のこのキャッチコピーが気になっている。 この記事によると、「萌え」は非常に寛容な文化で、世界平和に繋がるものがあるのだとか。だからそういう意味をこめたコピーなのかもしれないが、ぼくはごく素朴に思うのである。男子は皆オタク。なるほど。じゃ、女子は? この雑誌の表紙には「コッチニ来イヨ、漢ハミンナ仲間ダ!」と書かれている。「漢」は「おとこ」と読むのだろう。ことさらに性差を強調する姿勢が、同誌の内容と相まって違和感をもたらす。「萌え」は世界平和に繋がるというが、それは男性だけの平和なのだろうか。 じっさいには現在、男女の文化はむしろ接近しているんじゃないかと思う。
「物語三昧」の本田透「萌える男」にかんする記事を読んでいろいろと考える。 本田透にかんしてはいつかまとまった量の記事を書こうと思っているんだけれど、こういう理路整然とした記事を読むと、なおさらその必要性を感じます。ぼくは本田さんの論理展開にまったく賛同しないけれども、しかしかれの思想には無視できないものを感じているのです。 本田さんの論理展開は、はっきりいって、でたらめです。宮沢賢治は「妹萌え」で詩を書いたとか、オタクは恋愛ニートだとか、荒唐無稽としかいいようがない。 だから、その気になれば、かれの理論の間違いを箇条書きにして何十行もならべたてることもできるでしょう。しかし、いくらそうして 本当の意味で本田透を論破したことにはならないと思うんですね。 なぜなら、本田さんの思想の本質は、そのような枝葉末葉の部分(というにはあまりにも重要だけれど)にあるのではないから。 本田さんの思想の根底に
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