リモートに入って3ヶ月近く。 ここにきて「逐一指示しても、単純作業しかできない人(もしくは単純作業も難しい人)」が炙り出されて、全社で問題になってきたらしい。 発達障害やグレーゾーンには適職って言われているプログラマーやデザイナーの会社なんだけど、あれは嘘だなあって思うよ。 プログラマーもデザイナーも、ひとりで黙々と仕事をするわけじゃない。 物事を調べたり考えたり、説明することも必要だし、経験が浅い時期は「教えられたことをそのままやってみる」っていうのが大事になる。 過去の部下にも「発達障害かも?」っていうのがいた。 明らかに同期入社のスタッフと違って指示が伝わらないし、出し方を工夫しても成果が上がらない。 けれど、当時の上司から「障害が分かったとしても、状況変わらないよ」っていう一言で、産業医に相談できずに終わった。 おかげで、すごい精神削がれたけど、わかったこともいくつかある。 1.
きはら・ひろみ/宮城県出身。大学在学中にコピーライターとして働き始め、20代後半で独立してフリーランスに。西武セゾングループ、松坂屋、東京電力、全労済、エーザイ等々、ファッション、流通、環境保全から医療まで、幅広い分野のPRに関わる。2000年以降は軸足を医療分野にシフト。「ドクターズガイド」(時事通信社)「週刊現代?日本が誇るトップドクターが明かす(シリーズ)」(講談社)「ダイヤモンドQ」(ダイヤモンド社)などで、企画・取材・執筆を深く、楽しく手掛けてきた。2012年、あたらす株式会社設立(代表取締役)。近年は医療系のWebサイト、動画制作(企画・ライティング・プロデュース)にも力を入れている。 &慢性痛~知っておきたい慢性痛のホント(横浜市立大学ペインクリニック内科との協働制作) https://www-user.yokohama-cu.ac.jp/~mansei2/ あるペインの少女
大人でも受診することの多い発達障害 大人になり、社会人となり、人付き合いの苦手さや、生活や仕事での失敗、うまくいかないことが繰り返され、 「どうしてみんなのようにできないんだろう」「普通にすごせない」「自分はみんなと何かが違う」 と感じたことがありませんか。 インターネットをはじめとする様々な情報をもとに発達障害というものを発見し、自分も発達障害ではないかという思いから受診される方が増えているように思います。 もちろん、発達障害の診断にならない方もいらっしゃいますが、広汎性発達障害、アスペルガー症候群、自閉スペクトラム症、注意欠陥・多動性障害など見た目ではわからない、生きづらさを抱えた方がいらっしゃいます。 発達障害について詳しく説明していきます。 診断の歴史 レオ・カナーが「情緒的交流の自閉的障害」という論文で報告をしたのが、1943年でした。 「代名詞の取り違え」「いつもと違う変化によ
2018/06/27:内容更新しました 私はADHDという発達障害を持っています。 今回はそんなADHDの私が、家庭内外で繰り広げてしまう会話について 自分なりに考察してみることにしました。 ADHDの女性の会話における3つの特徴を、問題点として挙げています。 少し長めの記事となりますが、よろしければお付き合いくださいませ。 1.“主語・目的語”が抜ける問題! どうして“主語・目的語”が抜けるのか? “自分の考えを相手もわかっている”という、勝手な思い込み 2.誰に話しかけているの?問題! ADHDの人は“脳のフィルター”が未熟 定型発達者とADHD、聞き取り方の違いについて 【定型発達者】(私の予想) 【ADHDの人】(私の体感) “フィルター機能”により、聞こえていない可能性 3.人の話に割り込んでしまう問題! “発言も行動も多すぎる”背景には、特性が関係している 3つの問題の対処法と
ADHDはなぜなんでも先延ばしにするの?先延ばしにすると何が困るの? ADHDがなんでも先延ばしにする理由 見通しが甘いから ADHDの人は先を見通したり、計画を立てることがとても苦手です。それになぜか、いつも甘い見積もりを立ててしまいます。 「この仕事なら、1時間あれば片付くかな。」 と見積もったことは大抵3時間以上かかります。 何でも抱え込むから ADHDは好奇心が旺盛で、興味を持ったことならなんでもやりたくなってしまいます。自分の抱えている仕事や、どれくらい時間に余裕があるのかを考えず、一度にたくさんの仕事を抱えてしまい、用量オーバーになってしまいます。 できると過信するから ADHDはなぜか甘い見通しを立てたことに対して「できる」と妙な自信を持ってしまいます。「急げば何とかなる」「頑張ればできる」といったように。 自分の能力の見積もりも甘いのです。 集中できないから それでも、やら
さて新しいクリニックもスタートしたことであるし、私は一人のジャイアンとして自己を振り返る作業に戻ろう。 私はADHDは個体認識の学習障害であると考えている。特定の名前を持った「**さんとの関係」という関係自体を認識できない。(顔や名前を覚えられないのはその一部だ)。 「無差別、平等、公平、偏見が無い」という特徴はADHDのむしろ良い面であるが、実はこれは「個体認識が出来ないから抽象的な人間対人間の関係になる」というまさに障害そのものの結果なのだ。 私は以前「ジャイアンは人を必要としない」と書いた。実際例えば「筏に乗っていて川下に滝があることを教えられるのを拒否する」ような自己決定権への強いこだわりがあり、逆に変に「人を必要とする」時は病的な依存になっていることの方が多い。 それから私はずっと、ではADHDは「世界にぽつんとただ一人」で他者との関わりの意味は全く無いのか?、他者との関わりの中
自己コーチングガイド各論② ADHDの自己理解そのC (言葉表現の特徴を理解する) C.ADHD特有の言語表現の特徴を理解する。 多数派はコミュニケーションの場において、他者の表情や口ぶりなどの非言語的情報から「状況」を直感的に察知し、言語的情報はむしろ表面的で、しばしば本心と異なる「建て前」という形で現れる。 これに対しADHDは、非言語的な直感的状況察知は出来ないため、言語的な情報のみで意志を伝えようとする。簡単に言えば「本当のことしか言わない」のだが、このために多数派から見ると奇異と映るいくつかの特徴が現れる。 例えば「馬鹿正直」、「冗談や遠まわしな表現が通じない」、「ズバズバ言い過ぎる」等の多数派と異なる言語表現上の特徴を呈し、そのための反発やマイナスの評価を受けることも多い。これは多数派からみると、「自分が不利になることを計算もしないで本当のことを言ってしまう」、「状況から考えれ
自己コーチングガイド各論② ADHDの自己理解そのG (対人関係の特徴) (ADHDのACは除外、別に論ずる予定) G.ADHD特有の対人関係の特徴を理解する。 多数派は対人関係を、全体として複数の人で構成される「場」として認識し、その一要素、一構成員として自分自身や他者を認識する。「場」においては、自分自身から見て重要な人と重要でない人の序列(立場)があるほか、「場」全体の中での(雰囲気として察知される)「仕切る人」と「従う人」の序列(立場)もあり、そういう複雑な関係の絡み合った「場」全体が人間関係となる。 多数派はその中で、自分自身の序列(立場)や、相手の序列(立場)とを瞬時に直感的に察知して、基本的に「表立って対立が生じない」ことを重要として対人行動を決める。 従って、多数派は特定の二者関係も、その他多くの関係の中で「比較的近い相手との二者関係」であり、言わば重要性は「程度の差」であ
私のブログを見て、「頭では理解できたが、自分がダメに思えてきた」という複数のASの人の感想があり、少し考えた。 これも「関連付けのし過ぎ」の結果だと思うが、「ASの人は***だ」と書くと、「ASの人だけが***で、他の人は全て***ではない」という意味にASの人は受け取っているように思う。 例えば「ASの認知のゆがみ」と書くと、もともとの意味は「ASの人は認知のゆがみがあることがある。(他の人についてはあるとも無いとも言ってない)」 という意味であるのに、「世の中でASだけがどうしようもなく認知がひん曲がっていてまともにものを見ることも出来ない」という風に非常に極端に(感情的に)受け取っているのではないかと私は想像する。当たり前だがこの二つは全く違うことだ。 このあたりも、「可能性が即必然性に飛躍する」というAS独特の認知の特徴のせいかもしれない。 その意味では、「認知のゆがみが無い人はい
AS(アスペルガー症候群)の人の思考の特徴はどこまでもディーテイル(細部)へ精密になっていくことだ。その結果話が異常に長くなってしまい、全体で何を言いたいか分かりにくくなってしまう。そのせいで「ただ言いがかりをつけようとしている」と不当に誤解されることも多い。 だからASの人の話をきくときは、「細部の話を一つ一つをまず独立の話として聞く」ように聞くとうまく行く。全体で何かを言おうとしていると読むと誤解になることが多い。 対してADHDの思考は総合へ向かう。「そもそもこのプロジェクトの目的は何か」とか、「トップ(最高責任者)がどう考えているか、どういう方針であるか」が非常に重要になってくる。 だからADHDの話は要約が可能なのだが、話題が飛んでしまうので話が長くなる。聞くときは「要するにどういうこと?」と聞けばすぐに答えが出る。 ASとADHDの思考はこんなに違う。だから普通に話が通じると考
ゴールデンルールとは聖書の言葉で、「あなたが人にして欲しいことを人にもしなさい」というかなり普遍的な行動原則だ。ただ相手が発達障害の場合は失敗することが多いので、「発達障害と付き合うときにはゴールデンルールは捨てる」ことが必要だ。 その理由は簡単で、「発達障害のして欲しいことと多数派のして欲しいことはかなり違う」からだ。例えば発達障害は自分にかなり不利なことでも、はっきり言葉で言って欲しいと思うので、多数派にもはっきり言って顰蹙を買う。逆に多数派ははっきり言って欲しくないので発達障害から見ると理解困難となる。 昨日のブログで「少数異民族」という表現を使ったが、実際言語や文化が異なるに匹敵する思考と行動パターンの違いが発達障害と多数派の間にはあるということの理解が一番大事なのだ。 「(多数派は)自分がして欲しいからといって発達障害の相手が喜ぶとは限らない」逆に「発達障害も自分がして欲しいと思
(ここであらためてご説明しておきますが、このブログは私の直感的に感じたことをそのまま書き散らしているだけで、学問的なエヴィデンスとは程遠いものです。そういったものを期待される方はどうぞ別の先生方の論文などをお調べください。私はASやADHDの人の本人や周囲の人がこれらの発達障害について理解を深めるのに役に立つ可能性があると考えた私の思い付きを書いているだけですので、それ相応のご理解をお願いいたします。ここに書いたことに関連するご自身や身近な人から得た個人的、実感的なコメントをよろしくお願いいたします。また、私が述べていることと直接関係のないご自身のお考えを発表されたい方はどうぞご自身のブログなどでお願い致します。) さてADHDの自己突っ込みについて考える中で、物事をADHDは「事実」として、同じことをASは「行為」として捉えるのではないかと思いついた。 例えば「自分の発言の後でその場に居
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