私は、あらゆる組織・個人の中に、「依頼された仕事をやらない人」を見てきた。 例えば、コンサルティングに訪問した会社のプロジェクトチーム内に。 あるいは、執筆を依頼したライターさんに。 またあるいは、会社の同僚・部下に。 彼らは確かに、「依頼された事柄」に対して、「はい、引き受けます」という。 しかし、遂行される気配がない。 心配になって、「あれはどうなりましたか」と聞く。 すると「あ、すいませんやります」と返ってくる。 しばらく待つ。 それでも何も遂行される気配はない。 もう一度「この仕事、やりますか」と聞く。 「やります」と返信がある。 それでも、何も遂行される気配はない。 結局、こちらから連絡するのをやめ、処理はこちらでやることになる。 こういう人々には、「引き受けたじゃないですか!」と怒ったところで無駄であるし、代わりの人を探したり、時には自分でやったりしたほうが早いからだ。 でも、
2019年11月07日 カテゴリ面白動画-凄い 「発達障害だからって何をやってもいいんじゃない」 保育士が不適切発言、保護者の録音で発覚 鹿児島県いちき串木野市の認可保育園で、保育士が園児の前で不適切な発言をしていたことが分かりました・・ 保育園の代理人弁護士によりますと、10月、2~3歳児のクラスを受け持つ担任と副担任の女性が「発達障害だからって何をやってもいいんじゃないよ」などの不適切な発言をしていたということです。 子供が保育園に行きたがらないことなどを不審に思った保護者が、ボイスレコーダーで園内の様子を録音し、いちき串木野市に相談して発覚しました。 相談を受けたいちき串木野市は、園に対して保育士の配置の見直しなどを助言・指導をしていて、保育園はすでにこの担任と副担任を現場から外し、現在2人は休んでいるということです・・ (source: KTS鹿児島テレビ - 「発達障害だからって
Q: 私は某大学の法学部に通う21歳の男子学生です。(質問とは、直接、関係はありませんが、触法精神障害者に興味があり、それについて卒業論文を書くため、日々、資料を集めております。) 質問に入る前に、長文になりますが、質問に関わってくることなので、少し、コンサータ の服用とそれによる私自身の感じたことを書かせていただきます。 私は、精神科にてADHDと診断され、コンサータ を服用して数年になります。コンサータ 服用当初は、コンサータ によって、感覚過敏から解放され、初めて、ゆっくりと本を読むことができるようになり、感動のあまり泣いてしまいました。この感動はあまりにも激しく、「私は、もう完全に『脳』を支配した」という優越感(あるいは、副作用としての多幸感に過ぎないのかもしれませんが)を得ました。ところが、数ヶ月たち、このコンサータ 服用後の精神の変調が、私の悩みの種になってしまいました。 私は
By Kevin Jarrett スウェーデンでマインクラフトを必修科目に取り入れようとする学校が登場したり、日本でもゲームを使った教育を考えるイベントで子どものIT教育向けにマインクラフトが使用されたり、マインクラフトを教育に役立つツールとして捉える動きが世界各地で出ています。こういった動きがある中で、自閉症やADHDといった発達障害を持つ子どもにも良い効果があるとして、子ども向けアプリを紹介するサイトのLearningWorks for Kidsがマインクラフトを取り上げています。 Minecraft - LearningWorks for Kids http://learningworksforkids.com/playbooks/minecraft/ マインクラフトはブロックでできた広大な世界で自由にモノを構築するゲームです。広大な世界を探検しながら材料を調達したり、構造物を建築す
私は何を隠そう、というか、隠せないほどのADHDである。 小さいころから我慢ができず癇癪もち、買ってほしいものがあればデパートの床に発狂しながら転がり、思い付きの良さも筋金入りで、やってみたいと思ったことは何でも手を出し、小学生のころには週6日で習い事に通うも、すべて中途半端に投げやり、小学校1年生から始めたピアノに至っては、落ち着きのなさから先生より「体を動かしたほうがいいのでは・・?」と肩をたたかれ、3年生でクビになった。 思いついたらすぐ言葉や行動にしてしまい、次の興味ができると手を付けていたものはおろそかになってしまう。 自慢できることではないが、現在叫ばれる「学級崩壊」した原因が私であったと今となっては思う。(当時にそんな悪意も、もちろん意識もない。) ただただ、座っていられなかったのだ。木登りしたかっただけなのだ。 先生や同級生を問い詰めたことだって、わからないことを放っておけ
日曜に何気なく衛星放送を見ていたらサウンド・オブ・ミュージックの映画を放送していて、毎度のことだが見入ってしまった。 主人公の修道女マリアはどう見ても私にはADHDに見える。 そのマリアが修道院に逃げ帰ってきたときに院長が助言したのがこの歌だ。 Climb ev’ry mountain すべての山に登り Search high and low 高き低きをたずね Follow ev’ry by-way あなたが知っているすべての脇道と Every path you know すべての小道を辿りなさい Climb ev’ry mountain すべての山に登り Ford ev’ry stream すべての川を渡り Follow ev’ry rainbow すべての虹を追いなさい ‘Till you find your dream あなたの夢を見つけるまで 歌詞を読めば読むほど、「ADHDに最適
最近のスレッドで多数派との共存が話題になっていたのでちょっと触れておこう。 注意深く観察すると、有能な管理者は発達障害の当事者を適材適所でうまく使っている状況を発見する。 例1、介護のヘルパーなどのサービス関係で、「処遇困難利用者」の担当としてADHDやASの人が活躍している。この他、コールセンターなどでも「クレイマー」対応に力を発揮するケースは多い。 例2、(私の相談に乗っている当事者で)中学の先生をしているADHDの人が、校長にカミングアウトして、「特別支援担当」として実に良い働きをしている。 例3、受付業務の中で、依存的で特別扱いを要求する困ったクライアントを全く摩擦を起こさずあっけらかんと諦めさせるのに非常に使える明るいADHDの人。 この他にも、「正直、公平で偏見が無く先入観にとらわれない豊かな想像力を発揮する」ADHD、相手(利用者)を「恐縮」「気兼ね」させず、対等な「人間対人
私は学童期の発達障害のケースで、「不登校」の指示をすることがある。学校は基本的に「はじめに登校ありき」という発想をする事が多いので、主治医からの指示で学校からの無理な登校への働きかけをストップするためだ。下痢や腹痛、頭痛などの身体症状が激しいケースなどが多い。 ただ実際無理に登校しなくてOKとしたものの、登校し無くなったので、家で楽しそうに遊んでいたりすると、親は「これで本当に良いのか?」と悩む。私にもストレートにぶつけられて、私自身もこれしかないとは分かっているが、確信が持ちきれないで居た部分があった。 今回新学期にいろいろなパターンで昨年登校していなかった数ケースが登校し始める経過を見て、私なりの見通しが出来たので書いておこう。 「登校するか否かを本人に選ばせる形にしておくと、本人が自分で判断して行く様になる」と考えてOKだと私は思う。 小学校低学年でも私は本人に発達障害の説明をするが
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