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観光に関するdaumanekoのブックマーク (13,370)

  • 神泉苑の風景 | 京都旅屋

    先日、神泉苑を訪れました。 神泉苑 二条城の南にある神泉苑は、平安時代の天皇のプライベートなお庭として知られます。日照りが続いても水が枯れなかったことから、雨乞いの地や、疫病を鎮めるための祭礼が行われた場所ともなりました。神泉苑の水は二条城が築城された際にお堀の水となり、現在は往時よりは規模が小さくなりましたが、それでも現代人には十分な大きさの水辺が残されて、憩いの場としても親しまれています。 神泉苑 今の神泉苑は鳥にとっても憩いの場のようで、アヒルが放し飼いで飼われていたり、ハトが多い場所でもあります。ゴイサギの名が生まれた伝承がある地にふさわしく、サギも時々飛んできます。鯉のエサが売っていますので、あげるとおこぼれを狙うハトやスズメも寄ってきます。 神泉苑 神泉苑では様々な種類がある御朱印も人気となっているよう。その年の恵方に向かって拝める恵方社や、願い事を一つだけ念じながら渡り、善女

    神泉苑の風景 | 京都旅屋
  • 逢坂山 かねよ 日本一のうなぎ - 京都を歩くアルバム

    過去の全記事  2006年1月27日から毎日更新しています。 ※写真は全てクリックで拡大します。 先日、石山寺と三井寺を訪れたあと、京阪電車で京都に帰る途中に再び大谷駅で途中下車しました。駅から旧東海道を逢坂関の方に歩いたところに鰻で有名な「かねよ」があり、ここで少し早い晩御飯を頂きました。 明治5年(1872)創業の老舗ですが、通りの向かいにはサービス料が不要な「レストラン」もあります。「日一のうなぎ」とは大正時代の詩人・野口雨情が来店したとき色紙に残した歌「うなぎ料理は逢坂山にひびくかねよが日一」が由来です。 お事の前に庭を見学させていただきました。 ここの庭園は八百坪あるそうで、中央に小川が流れ、桜、さつき、楓がそれぞれの季節を彩ります。百人一首の三条右大臣に詠まれた名木「逢坂山のさねかづら」がこの庭に唯一現存しているそうです。庭の東端に滝があります。 夏は特に「関西の箱根・軽

    逢坂山 かねよ 日本一のうなぎ - 京都を歩くアルバム
  • 自然豊かな「叶匠寿庵 寿長生の郷」。新緑の中の散策。可愛い木工の品々などが揃うショップも - ネコのミモロのJAPAN TRAVEL (Mimoro the cat:JAPAN TRAVEL)

    6万3000坪の広大な敷地の滋賀県大津市の「叶匠寿庵 寿長生の郷(すないのさと)」。 ミモロは、新緑の小路の散策を楽しみます。 実山椒摘みを体験した後、「あ、これもしようかな?」というのは、そばに飼われているヤギへの餌やり でも、小屋を覗くと、ヤギたちは、お腹いっぱいなのか、ミモロに関心を抱きません。 「ミモロも朝ごはんべたばかりだから、ヤギさんたちもそうかもね~」と餌やりはしないことに。 動物との触れ合いも楽しめる「寿長生の郷」です。 「さぁ、少し敷地の中歩こうね~すごく気持ちいいから…」とすでに何度も訪れているミモロは、初めてやって来たお友達を案内します。 木々の茂る小路の傍らには、野の花が… 「いろいろな山野草があるんだよ~」と自然観察も楽しみながら進みます。 そして、「あ、ここにもある~」と、小路のあちこちに観音様の姿が彫られた石が… 「いくつあるのかな?」と、木立の中を巡ると、

    自然豊かな「叶匠寿庵 寿長生の郷」。新緑の中の散策。可愛い木工の品々などが揃うショップも - ネコのミモロのJAPAN TRAVEL (Mimoro the cat:JAPAN TRAVEL)
  • “市民がバスに乗れない” 京都市「観光特急バス」運行始まる | NHK

    観光客の増加に伴って市民が利用するバスの混雑が課題となっている京都市で、京都駅と市内の観光地を結ぶ「観光特急バス」の運行が始まりました。 京都市では、観光客の増加に伴って、市民が利用するバスの混雑が課題となっています。 このため市は、1日から京都駅と市内の観光地を結ぶ「観光特急バス」を運行することになり、記念の式典が開かれました。 この中で、京都市の松井孝治市長は、「市民の生活を守りながら観光を楽しんでもらうことが大きな課題だ。今後も、さまざまな対策を一丸となって進めていきます」と述べました。 「観光特急バス」は、 ▽京都駅と清水寺近くの五条坂を直接結ぶ便と、 ▽京都駅から五条坂や祇園などを経由して銀閣寺に向かう便の2路線で、土日と祝日などに運行されます。 運賃は大人500円、子ども250円で、市営地下鉄と市内を走るバスに1日に何度でも乗車できる「地下鉄・バス1日券」も利用できますが、「敬

    “市民がバスに乗れない” 京都市「観光特急バス」運行始まる | NHK
    daumaneko
    daumaneko 2024/06/01
    運賃が高すぎる。以前の1日乗車券と同じ値段とは。混雑回避が目的なら、運賃も230円にした方が良いだろうに。平日だって清水寺は大混雑だぞ。
  • 武信稲荷神社 エノキの枝が折れた境内 | 京都旅屋

    武信稲荷神社の御神木であるエノキの太い枝が折れてしまいました。 武信稲荷神社 武信稲荷神社は三条会商店街の西友から西へ行った道を南に下がった場所にある神社です。創建は平安時代で、藤原良相(よしすけ)が、藤原氏の学問所であった勧学院や医療施設であった延命院の鎮守として創建したと伝わり、後世に藤原武信(詳細不明)が信仰をしたため武信稲荷神社と呼ばれるようになったといいます。 武信稲荷神社 境内には平重盛が安芸の厳島神社から苗木を移したと伝えられる巨木のエノキがあり、樹齢は850年とされます。この木が坂龍馬の由緒を伝えています。幕末、神社の南には神社の南には幕府直轄の六角獄舎という牢獄があり、勤王の志士が多数収容されていました。その中に 坂龍馬のおりょうの父である楢崎将作(ならさきしょうさく)が捕らえられていたのです。おりょうや龍馬は身を案じますが面会は出来なかったため、神社の大木の上から

    武信稲荷神社 エノキの枝が折れた境内 | 京都旅屋
  • 三井寺 中院の伽藍と伝説 - 京都を歩くアルバム

  • 大津の「叶匠寿庵 寿長生の郷」での実山椒摘み。いい香りが漂う中での楽しいひととき - ネコのミモロのJAPAN TRAVEL (Mimoro the cat:JAPAN TRAVEL)

    「これやってみたい!」とミモロがいうのは、実山椒摘み 山椒が大好きなミモロ…「叶匠寿庵 寿長生の郷」に平日の午前中に到着後、モーニングをべて、いざ、郷の散策へ。 5月18日~26日に体験できる「実山椒摘み」。100g600円です。 さっそく受付へ…「あの~ミモロでもできますか?」と尋ねると、「はい、もちろん…」と係の方 実山椒摘みができる場所には、低木の山椒の木が茂り、その枝についている小さな実が集めます。 「では、まず手袋をしてくださいね~」と。ゴム手袋とビニール袋を受け取って… 「あの~どうやって摘むんですか?」とミモロ。 枝先に付いている実山椒… それを軍手の指で挟み、引っ張ります。 すると、実山椒が簡単に摘めます。ただ実が傷つきやすいので、早めに使うものに向くそう。 「う~でも~あの~ミモロ、指短いので、実山椒つかめない…」と。そう、ちょっとミモロには、無理そう。 「それなら、ハ

    大津の「叶匠寿庵 寿長生の郷」での実山椒摘み。いい香りが漂う中での楽しいひととき - ネコのミモロのJAPAN TRAVEL (Mimoro the cat:JAPAN TRAVEL)
  • フランシスコ会の活動拠点だったフランシスカンチャペル

    阪急電車の大宮駅から南東に約3分歩いたところに空き地のような場所があります。 両脇を別の建物に挟まれ、正面には瓦葺の塀があり、中には入れないようになっています。 この空き地のような場所は、かつて、フランシスカンチャペルがあったところです。 妙満寺の跡地に建てられたフランシスカンチャペル 下の写真に写っているのが、フランシスカンチャペルです。 塀の前に説明書があるので、読んでみましょう。 この付近一帯はかつて妙満寺の地所でした。 妙満寺は、日蓮宗のお寺で、応仁の乱(1467年)や天文法華の乱(1536年)で移転を繰り返し、天正11年(1583年)に豊臣秀吉の命で寺町二条に移りました。 現在は京都市左京区の岩倉に境内を有し、雪月花の三名園の一つに数えられる雪の庭が有名です。 その妙満寺の跡地をフィリピン総督の使節として来日したスペイン人フランシスコ会司祭ペトロ・バブチスタが、豊臣秀吉に謁見した

    フランシスコ会の活動拠点だったフランシスカンチャペル
    daumaneko
    daumaneko 2024/05/31
    四条大宮に残るフランシスカンチャペルの跡地。
  • 向日神社の風景 | 京都旅屋

    少し前に向日神社を訪れました。 向日神社 向日神社は、延喜式内社としての古い由緒を持つ神社です。創建は長岡京ができるより前の718年と伝わります。向日山という小高い山にあり、長い参道が特徴で、桜と楓の時期には大変美しくなります。ご祭神の第一は、五穀豊穣の神である向日神(むかひのかみ)です。向日神は、大歳神(おおとしのかみ)の御子、御歳神(みとしのかみ)の別名で、向日山に降臨されたため、向日神と呼ばれるようになりました。 向日神社 この「向日」という字は、文字通り「日に向かう」と解されていて、長岡丘陵の南端にある向日山は、日が東から昇ってから西に沈むまで光を浴び続けるため、そのように呼ばれるということです。この向日山には、かつて祈雨・鎮火の神である火雷大神(ほのいかづちのおおかみ)祀る火雷神社があり、向日神社を上社、火雷神社を下社と呼びました。ただ、下社は荒廃したため1275年に上社に合祀さ

    向日神社の風景 | 京都旅屋
  • 三井寺と紫式部 - 京都を歩くアルバム

  • 新緑の滋賀県の「叶 匠寿庵 寿長生の郷(すないのさと)」へ。モーニングを食べに… - ネコのミモロのJAPAN TRAVEL (Mimoro the cat:JAPAN TRAVEL)

    「わ~気持ちいい~!」ミモロは、朝の澄んだ空気にあふれた緑の中を歩きます。 ここは、滋賀県大津にある「叶匠寿庵 寿長生の郷(すないのさと)」。 宝塚に住むお友達がミモロの家にお泊りした日…「明日の朝ごはんは、どこか素敵な場所でべたい!」というリクエストに応え、翌日の9時前に京都を車で出発し、瀬田西ICから宇治方向を進み、到着しました。 開店する10時前に到着。「あの~まだ開いてないんですね~」と、駐車場にいらした係の方に伺います。 「はい、もうすこしです~ちょっと待っててくださいね~」 エントランスエリアには、この日、営業している場所などが表示されています。 さて、ここ「叶匠寿庵 寿長生の郷」は、和菓子で知られる「叶匠寿庵」の社と工場がある場所。6万3000坪の広大な敷地、そこは自然豊かな丘陵地…菓子作りの原料となるものを、大切に育ています。 以前、何度もここを訪れているミモロ…さまざ

    新緑の滋賀県の「叶 匠寿庵 寿長生の郷(すないのさと)」へ。モーニングを食べに… - ネコのミモロのJAPAN TRAVEL (Mimoro the cat:JAPAN TRAVEL)
  • 石清水八幡宮のサツキが終わりに近づく・2024年

    5月下旬。 京都府八幡市の石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)に参拝しました。 この時期の石清水八幡宮では、神苑でサツキが咲きます。 赤色やピンク色の花が、木々の緑とともに初夏の清々しい景色を見せてくれます。 花数が少なくなってきたサツキ 石清水八幡宮に行くには、京阪電車の石清水八幡宮駅からケーブルに乗車し、男山の山頂に向かうのが便利です。 ケーブルの駅から通路を進んでいくと、神苑に到着します。 神苑では、サツキがピンク色の花を咲かせていましたが、花数が少なくなっていました。

    石清水八幡宮のサツキが終わりに近づく・2024年
    daumaneko
    daumaneko 2024/05/30
    京都のサツキは、そろそろ終盤。
  • 水を湛える宕陰(とういん)の棚田 | 京都旅屋

    先日、右京区の山間部にある越畑(こしはた)と樒原(しきみがはら)を訪れる機会がありました。この二つの集落に広がる棚田は「宕陰(とういん)の棚田」と呼ばれています。 樒原の棚田 地図で見ると、越畑や樒原の奥地ぶりに驚くかもしれません。水尾(みずお)ですら道が狭くて訪れるのは大変な山間地なのに、その奥とはいかばかりかと思ってしまいますが、実は亀岡側から回り込む道があり、そちらから行けば意外と近く行けてしまいます。道も水尾経由よりも断然亀岡経由の方が走りやすくて安全です。ただ、国道477号は亀岡側からでも一部狭いため、さらに北に迂回をした「紅葉山トンネル」経由の方が走りやすいでしょう。 宕陰の棚田 越畑は「京都の信州」とも呼ばれているほど、山里の美しい景色が見られる場所です。特にカメラマンの間では「棚田」があることでも知られ、夏から秋にかけては棚田には蕎麦の花も咲きます。蕎麦は荒れ地に強く、まさ

    水を湛える宕陰(とういん)の棚田 | 京都旅屋
  • 三井寺 総門から観音堂へ - 京都を歩くアルバム

  • ミモロのおすすめランチ。下鴨神社エリアの地元に愛される「千成食堂」。日替定食が人気。 - ネコのミモロのJAPAN TRAVEL (Mimoro the cat:JAPAN TRAVEL)

    「いただきま~す!」と、おろしポン酢のチキンの竜田揚げなどがのったお膳が運ばれました。 この日、ミモロが訪れたのは、「下鴨神社」の北側にある「千成堂」です。 店の西側には、ミモロがよく訪れる手づくり豆腐の「すがい」、そして東側は「栄盛湯」という銭湯がある通りです。 「お豆腐のすがいさんには、何度も来てるけど、お隣りの堂に入ったことない…」と、いつも気になりつつも… 「葵祭」の時は、この堂の前には、大勢の人が待っていて、「すごい人気だね~」と驚いたミモロです。 「千成堂」という名前のお店は、実は、京都市内には、他にも数軒あり、うどんや丼物をメインにした堂として地元に愛されているのです。 ここも、現在のご店主は2代目。 いろいろなお店の腕を磨いたご店主が受け継いだのです。ご夫婦で営むお店… 以前、ミモロが紹介したうどんやそばの「力堂」同様「千成堂」も、関西を中心にのれん分けでお

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  • 古川町商店街にある小泉俊太郎の住居跡

    地下鉄東山駅を出た南に昭和のレトロな雰囲気が漂う古川町商店街があります。 商店街はアーケードになっているので、雨の日でも買い物が便利です。 その古川町商店街の中にあるマンションの前には、ここが小泉俊太郎の住居跡だったことを示す駒札が立っています。 京都の薬業界の近代化に尽力 小泉俊太郎の名を知っているのは、薬学部を卒業した人など薬学と関わる仕事をしている人くらいではないでしょうか。 駒札の説明書によれば、小泉俊太郎は、安政2年(1855年)に産まれで、10代で父を亡くしているとのこと。 明治になり、小泉俊太郎は、知事の槇村正直らが殖産興業のため設立した化学研究機関の舎密局(せいみきょく)に入り、ドイツ人化学者のワグネルらから西洋の先進理化学を習得します。 その後、岳父であり、近くで薬局を営む織田卯一郎(おだういちろう)のすすめにより、現在の古川町商店街に自宅兼製薬工場を建て、製薬原料の精製

    古川町商店街にある小泉俊太郎の住居跡
    daumaneko
    daumaneko 2024/05/29
    古川町商店街は、かつての製薬の地。
  • 丹波国一の宮 出雲大神宮 | 京都旅屋

    先日、亀岡市にある丹波国一の宮、出雲大神宮を訪れました。 出雲大神宮 出雲大神宮は、亀岡盆地東部の御蔭山(みかげやま)のふもとに建ち、島根県の出雲大社と同じく大国主命(おおくにぬしのみこと)を祀り、709年に初めて社殿が築かれたと伝わります。丹波国一の宮としても信仰されました。また、大国主命のお妃として一緒にお祀りされている三穂津姫命(みほつひめのみこと)は、保津川の名前の由来となったともされる神様です。 出雲大神宮 社伝では、丹波は出雲勢力と大和勢力との境界にあたるとされ、島根の出雲大社は出雲大神宮より分祀したと伝わっているため、別名「元出雲」と称されています。現在の殿は鎌倉時代の造営で、重要文化財。長寿や縁結びのご利益で信仰され、近年はパワースポットとしても若い方を中心に人気を集めています。 出雲大神宮 磐座 境内には真名井の水という名水も涌き、汲みに来る方もおられます。社殿は山ふも

    丹波国一の宮 出雲大神宮 | 京都旅屋
  • 石山寺と平安文学 - 京都を歩くアルバム

  • 自家焙煎珈琲と自家製スイーツの「クラヴスカフェ モトタナカ」。ミモロが愛するプチフィナンシェ - ネコのミモロのJAPAN TRAVEL (Mimoro the cat:JAPAN TRAVEL)

    「どうぞ~召し上がれ~」とミモロは、お友達のクマのメディーちゃんとティータイムを過ごします。 「このフィナンシェ焼き立てで美味しいよ~」と、最近、ミモロがはまっている焼き菓子のひとつを用意しました。 15時に焼き立てのフィナンシェが買えるのは、百万遍の交差点から東大路通を北へ、元田中を西に入った御蔭通沿いにある「クラヴスカフェ モトタナカ」です。 以前、ここのランチを「ミモロのおすすめランチ」ブログで紹介してことがあります。こちらも見てね~ さて、最近になって、お店の外に午後15時過ぎになると窓が開いて、小さなショップが現れます。 「ここで焼き立てのフィナンシェが買えるんだよ~」と。 6個500円のプチフィナンシェで、売り切れ次第、この窓が閉まります。 「ミモロちゃん、いらっしゃい~」とすでに何度も通って顔なじみ。 このお店のシェフの奥様がランチが終わった時間から焼き始めるそう。 国産卵白

    自家焙煎珈琲と自家製スイーツの「クラヴスカフェ モトタナカ」。ミモロが愛するプチフィナンシェ - ネコのミモロのJAPAN TRAVEL (Mimoro the cat:JAPAN TRAVEL)
  • 祇園で交わされた薩土討幕の密約

    京都市東山区の祇園白川に架かる巽橋(たつみばし)から南に向かって2分ほど歩くと、左手に細長い石碑が立っています。 京都は、歴史的な事件が数多く起こっている都市なので、道を歩いているとよく石碑を目にします。 随分と昔に建立された石碑もありますが、つい最近建立された石碑もあり、祇園で見つけた「薩土討幕之密約記念碑」の石碑も、令和元年(2019年)7月16日の日付が記されていました。 料亭近安楼で交わされた密約 下の写真に写っているのが、薩土討幕之密約記念碑です。 石碑の側面に説明書があるので読んでみることに。 慶応3年(1867年)5月18日。 土佐藩の乾退助(板垣退助)、福岡孝弟(ふくおかたかちか)、中岡慎太郎、広島藩の船越洋之助らは京都の料亭近安楼で武力討幕の密議を交わしました。 そして、5月21日に薩摩藩の小松帯刀(こまつたてわき)の邸宅へ場所を移し、同藩の西郷隆盛、吉井幸輔、小松帯刀と

    祇園で交わされた薩土討幕の密約
    daumaneko
    daumaneko 2024/05/28
    薩土密約は祇園のど真ん中で結ばれていた。