200年住宅の話をしたが、何もせずに200年持つ事はありません。定期的にメンテナンスは必要なのです。一番は屋根。30年前後で改修して行きます。もし雨漏りを長く放置すれば、その家は、寿命を全うすることは出来ません。次に大切なのは、水回りの点検補修。200年住宅では、定期的に水漏れの点検をし、早め早めに修理することが大切。ほったらかしにしていると、腐りや、シロアリの害を呼んでしまいます。この事をやって、基礎がきちんと出来ていて異常が無く、通風が良ければ、木の家は、200年以上持つと思っています。 木は乾燥と共に、強度を増し、桧等は、切ってから200年程乾燥と共に、強度を増して行きます。愛情を持つことが出来るならば、200年以上建っている事は、特別な事では無いのかも知れません。木の性質を知って暮らせば。 アイビーログ工房の公式HPはこちらから
昨年末、何者かに仏像5体が盗まれた有田川町中峯の明光寺に、チェーンソーアートの手法で新たに作られた仏像が贈られ、開眼供養が営まれた。田辺市龍神村在住のチェーンソーアート世界チャンピオンの城所ケイジさん(44)が、住民の依頼を受け、地元で切り出したクスノキを使って高さ52センチの木像に仕上げたもので、住民たちは、「地域のみんなで大切に守っていきたい」と喜んでいた。 無住寺の明光寺では、住民が持ち回りで保管されている仏像などの掃除や管理をしていたが、昨年末、平安時代に作られたとされる「薬師如来坐像」など5体が何者かに盗まれているのが見つかった。 代わりとなる仏像をと考えていた住民たちは、国内のチェーンソーアーティストの草分け的存在の城所さんが県内にいることを知り、つてを頼って制作を依頼。快諾した城所さんは、先月から同町を繰り返し訪問し、盗まれた仏像の写真を見たり、住民と共に近くの山で材料となる
つくば市の防災科学技術研究所で14日、丸太や角材を水平に積み重ねて作る「ログハウス」の耐震実験があった。日本ログハウス協会(東京都)が、研究所の施設を利用し、3階建てのログハウスに最大で阪神大震災と同レベルの揺れをかけた。 ログハウスは、木材を利用しているため、室内の湿度調整ができるほか、リラックス効果もあるとされる。だが、3階建てのログハウスは建築基準法で、建築は認められていない。協会は耐震実験などを繰り返し安全性を実証することで法改正につなげたいという。 この日は、国産スギの木材を45段に組んだ高さ8.1メートルの3階建てログハウスに最大で震度7レベルの揺れをかけた。震動による変形などを確認するため、ハウスの壁などに木材のズレを測定するための変位計を約150個取り付けた。揺れの状況が分かるよう外観のビデオ撮影などもした。 同協会の池田均技術委員長は「3階建てのログハウスが認められ、住宅
国土交通省は6月30日に、2010年4月度の木造3階建て住宅及び丸太組構法建築物の建築確認統計を発表した。発表の内容は、以下の通り。 木造3階建て戸建て等住宅の棟数は、2,084棟であり、前年度同月比116.9%となった。このうち防火地域内の棟数は19棟、準防火地域内の棟数は1,459棟であり、前年度同月比120.1%となった。 木造3階建て共同住宅は、棟数34棟、戸数273戸であり、前年度同月比はそれぞれ154.5%、287.4%となった。このうち防火地域内の棟数は0棟、準防火地域内の棟数が22棟であった。 丸太組構法建築物の棟数は、48棟であり、前年度同月比137.1%となった。 丸太組構法建築物の棟数が急上昇している。丸太組構法─ログハウスは防耐火ログの国土交通大臣認定を取得した施工会社が増加傾向にあり、防火規制区域でも建築が可能になったことが大きな要因であろう。別荘や商業施設の用途
トップ > 三重 > 2月10日の記事一覧 > 記事 【三重】 「美杉の間伐材、身近に感じて」 田中さんがログハウス作り講座 2010年2月10日 「美杉の間伐材を身近に感じて」と話す田中さん=津市美杉町八知で 間伐材で小さなログハウスを建てる「セルフビルド講座」が4月から、津市美杉町下多気(しもたげ)で開かれる。木の魅力を発信しようと、間伐の促進にもつなげようと、林業関係者が準備を進めている。 間伐材は、利用促進が進むが、形や太さがまちまちで使い勝手が悪い。「売れずに搬出コストがかさむだけ」として、森林に放置されるケースも多い。JR名松線の一部不通につながった昨年の台風18号の被害では、線路や川に流出した間伐材も見られた。 講座は、ログハウス作りを手助けする工房「ウッディクラフトフォレスト」主宰の田中伸幸さん(52)=津市美杉町上多気=が「美杉の間伐材を身近に感じてもらえれば」と、中勢森
板倉工法の講習会で、名古屋に行って来た。木の建築フォラム主催の会で、木の建築の可能性を広げる活動をしている団体で、写真の安藤邦弘さん達が主体になってやっている。だんだんと、木造建築も建てやすくはなってきているが、まだまだ乗り越えなければハードルは一杯ある。ログハウス、ポストアンドビームに、そのまま当てはめる訳には行かないようなので、ちょっと残念ではあるが、自分でも試験をし、数字を出して、建築主事の判断を一度仰いで見ようと思っている。安藤さんの話で、大陸は争いが激しくて、蔵のような丈夫な建築に住んだが、日本は島国で争いもそれ程ひどくなかったので、蔵とは別に、開かれた明るい住居に住むようになったという事があった。西日本は昔から開かれていたので、争い事が多く、木が少なくなったので、土蔵に変わり、木の多くあった東日本では板蔵が多く残っていると。歴史をたどると、文明が滅びた原因は、森が亡くなったこと
ログハウスオブザイヤーの授賞式に、東京へ二泊三日で行って来ました。今回戴いたジャパニーズログハウス賞と言う賞は、アイビーログ工房の地域に合った家作りを評価して頂いた物だと思います。アイビーログに、一番ふさわしい賞だとおもい、嬉しく、賞をいただいて、スピーチをする時、一緒に来てくれた、ウッドファーム高知の中岡君を紹介する時、感情が高ぶり、うまく紹介出来ず反省しています。良い材料を入れてくれ、いろいろな職人さんが係わり、ログハウスは完成します。私は、そんな職人さんをきちんと評価する事も、大切だと考えています。誇りを持って仕事が出来る環境を作る事が、循環できる家作りの基礎だと思います。
都県境の雲取山(2017メートル)に入る登山者のオアシス「雲取山荘」を管理し、山の自然を守り続ける新井信太郎さん(74)の功績をたたえる「雲取を守って50年を祝う会」が15日、秩父市の秩父宮記念市民会館であった。秩父山岳会(清水武司会長)が日本山岳協会顧問、坂口三郎さん(83)ら関係者220人を招き、新井さんの長年の労に感謝した。 会場では親交の深い元宮内庁宮務官、山口峯生さん(76)が「原生林に憩い、山野草を慈しみ獣、鳥、虫たちと息を通わせ自然と共に生き、生かされた」と新井さんを詠んだ詩「雲取山に生きる」を紹介。孫の美里ちゃん(5)と健人君(9)が新井さんと妻君江さん(64)に花束を贈り、元気に山荘を守った50年を祝福した。 新井さんは1955年から山荘に通い、59年に2代目管理人に。98年秋、営業権を秩父鉄道から譲渡され、管理人から経営者となった。99年10月、老朽化した山小屋をスギの
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