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映画と泣いたに関するkouchi203のブックマーク (2)

  • 「羊たちの沈黙」監督ジョナサン・デミが73歳で死去

    デミは“B級映画の帝王”と呼ばれる映画プロデューサー、ロジャー・コーマンの門下生として低予算映画を制作し、1977年公開の「怒りの山河」でメジャー作品デビュー。1986年にはコメディ「サムシング・ワイルド」を手がけ、1991年に公開されたサイコサスペンス「羊たちの沈黙」ではアカデミー賞で作品賞、監督賞を含む5部門を受賞した。そのほかにもトーキング・ヘッズのライブ映画「ストップ・メイキング・センス」、トム・ハンクスにアカデミー賞主演男優賞をもたらした社会派ドラマ「フィラデルフィア」などを監督。ジャンルを問わず幅広く活躍した。 この訃報に触れ、「ショーン・オブ・ザ・デッド」などで知られる映画監督のエドガー・ライトは「偉大なるジョナサン・デミが亡くなったことを知って悲しみに暮れている。劇映画、ドキュメンタリー、ライブ映画とジャンルを問わず彼の作品にはいつも感服させられてきた。彼にできないことはな

    「羊たちの沈黙」監督ジョナサン・デミが73歳で死去
    kouchi203
    kouchi203 2017/04/27
    トーキングヘッズの「ストップ・メイキング・センス」は感動したわ
  • Yahoo!ニュース - 仕事仲間が思い出す、高倉健さんが売れない時代につぶやいた一言 (女性自身)

    11月10日、悪性リンパ腫で亡くなった俳優の高倉健さん(享年83)。銀幕の大スターは私生活を明かさなかったことで有名だった。そんな、高倉さんの素顔とは?元東映プロデューサーの吉田達さんが、高倉さんとの思い出を誌に語ってくれた。 「『大空の無法者』(’60年)で仕事してからの9年間は映画を作っても客が入らず、石原裕次郎、小林旭がスター街道を走るなか、健さんは『明日があるよ』と笑っていたけど悔しかったはず。 あるとき『ギャラ上がんねえかな』と。なんでも『オレのギャラが160万円だけど、(の江利)チエミは1250万円なんだよ。男としてさえないから、頑張りたいんだよ』と。 また、その当時、60万円の中古のジャガーで江利さんとドライブしたらしく『“ダーリン、カッコイイ”って言われたよ』とうれしそうに語っていた。 その後、大スターに駆け上がり、周囲は浮かれたけど、健さんは『登れば、落ち

    Yahoo!ニュース - 仕事仲間が思い出す、高倉健さんが売れない時代につぶやいた一言 (女性自身)
    kouchi203
    kouchi203 2014/12/24
    「そんな彼が、ふだん、脚本には口を出さないのに『このセリフをどうしても入れてほしい』と相談してきたことがあった。それが『おふくろ、米の飯だ』という一言。故郷のお母さんに、」
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