[承前] 『アイーダ』のアリアの日本語訳を使って心理描写を濃厚に進めてい った部分で、勘三郎が演じた濃姫の表現が卓越していたのは、経験の 差であろう。 その点で愛陀姫を演じた七之助は、ずいぶんと健闘はしていたものの その差は歴然としていた。そういう意味では、織田信秀役の三津五郎 の性格描写なども印象に残っている。 祈祷師を演じた二人の成駒屋、特に歌右衛門“修行中”の福助は、こ のところの重い役の数々から解放されてか、ガス抜きのし放題とでも いうように弾けてしまっていたが、これはまあ……眼を瞑って……。 ということを踏まえて配役について考える。勘三郎の濃姫はそれが主 役である以上は勘三郎の役ということなのだろうが、何と言ったらい いいかわからないのだが不満のようなものが残ってしまっている。 振り返ってみるに、二人の祈祷師の存在が『愛陀姫』全体の方向性を 司っている実に重要な役であるということ