英音楽賞「ブリット・アワーズ(Brit Awards)」授賞式の開催されるロンドン(London)のアールズ・コート・アリーナ(Earls Court Arena)に到着した英歌手エイミー・ワインハウス(Amy Winehouse、2007年2月14日撮影)。(c)AFP/LEON NEAL 【7月24日 AFP】23日にロンドン(London)で急死した英歌手エイミー・ワインハウス(Amy Winehouse)は、27歳だった。27歳で他界したロックスターは多く、その悲劇のスターたちは「27クラブ(27 Club)」と呼ばれている。 27歳で他界した歌手らの「27クラブ」には、ローリング・ストーンズ(Rolling Stones)設立メンバーのブライアン・ジョーンズ(Brian Jones)、ギタリストのジミ・ヘンドリックス(Jimi Hendrix)、歌手のジャニス・ジョプリン(Jan
7月6日、スペインのパンプローナで毎年恒例の牛追い祭りが始まった。写真は昨年の祭りで牛に胸を突かれたアロンソ・セアルディさん。同国北部オビエドで4日撮影(2011年 ロイター/Eloy Alonso) [パンプローナ(スペイン) 6日 ロイター] スペイン北部のパンプローナで6日、毎年恒例の牛追い祭り(サン・フェルミン祭)が始まった。牛に追われるスリルに取り付かれ、かつて命を失いかけた人も含めて祭りへの参加者が後を絶たない。 昨年牛の角に突かれて生死の境をさまよった南米チリ出身のウエーター、アロンソ・セアルディさん(24)もその1人。セアルディさんは2008年から牛追い祭りに参加している。 牛追い祭りは6日の花火でスタートし、翌7日に1回目の牛追いが行われる。祭りは14日まで開催され、フォークダンスや地元のスポーツ、家畜市などの催しも開かれる。 セアルディさんは「牛の前に立つと、ものすごく
自転車で全国を旅している木原道治さん=佐賀県白石町 年に一度しか自宅に戻らず、全国各地を自転車で旅しているおじいちゃんがいる。大阪市北区天神橋1丁目の木原道治さん(79)。10年近く、自転車にテントや寝袋、食料を積んで道の駅などでの野宿を続けているという。現在は九州を旅しており、年末には大阪に戻る予定。「いろんな人との出会いがあるのが旅の魅力」と、今日もペダルをこぐ。 木原さんが自転車に乗って旅に出るようになったのは70歳の時。警備員の仕事を退職したのを機に始めた。体力づくりの目的もあったが、年金収入の範囲内で、自分の力だけで見知らぬ土地を旅したいと思ったという。 70歳で半年かけて日本一周を達成。その後も各地を旅して回り、沖縄県以外はすべての都道府県を訪れた。毎年、桜の咲くころに出発し、12月中旬ごろに家に戻る生活が続いている。妻とは約20年前に死別。携帯電話を持たないため、月に一
1/57 スクロールで次の写真へ プロ野球 前田智徳(広島) プロ野球広島の前田智徳外野手(42)が9月27日、広島市のマツダスタジアムで記者会見し、「やっと終わった。いろんな重圧から解放され、ほっとしている」と今季限りでの現役引退を表明した。退団し、今後は評論家として活動する意向。10月3日の中日戦(マツダ)で引退セレモニーが行われる予定。 打撃コーチ補佐も兼任した24年目の今季は、4月23日のヤクルト戦(神宮)で死球を受け左手首を骨折。手術を受けたが回復が遅れ、本来の打撃を取り戻せなかったという。27日現在、通算成績は2186試合の出場で2119安打、295本塁打、1112打点、打率3割2厘。 熊本工高からドラフト4位で1990年に広島入団。巧みなバットコントロールに長打力、勝負強さも備えた天才肌の左打者として知られた。アキレスけん断裂など大けがを克服しながらチームをけん引。人気と実
私は1年半前、病で母を失った。 当時の私は、「ホスピス病棟に入院する」ことはどういうことを意味しているか知らなかった。私は学生で春休みだった(とは言っても就職活動はまっただ中だったのだが)こともあり、母の病室には毎日のように通っていた。その日は大雨。いつものように車を運転し病室に行き、母に話しかけながらコンピュータをたたき、就職活動の書類を書いていた。 その日、母の様態が急変した。突然咳き込みだし、私は看護師に声を掛けた。この症状は危篤です、と告げられた。私が車で駅まで迎えに行き、徐々に親戚一同が集められる。 母はいつだって「苦しい」「しんどい」「つらい」、弱音を吐かなかった。その母に 「大丈夫? 苦しい?」 と声を掛けるとうなずき、初めて苦しいという意思表示をした。それを見た看護師は、 「少し眠らせましょう」 と言い、麻酔のような(当時よくわからなかった)点滴で一時的に眠らせる措置を執っ
千葉刑務所(千葉市若葉区)は9日、単独室(独居房)に収容中の40代の男性被告が7月30日深夜、両目にはしを突き刺した状態で発見され、病院に運ばれたが、8日夜に死亡したと発表した。死因は穿通(せんつう)性頭部外傷で、同刑務所などでは、男性が自殺した可能性があるとみて調べている。 同刑務所によると、7月30日午前0時10分ごろ、巡回中の男性職員が、敷布団の上で、両目にはしを突き刺した状態で、顔を横に向けうつぶせになっている被告を発見した。 はしは被告の私物で、木製の塗りはし。外部から侵入された形跡はなかったという。
彼女とはツイッターで出会った。共通のフォロワーがひらいた飲み会で初めて顔をあわせた。二月の東京だった。彼女が、僕の日記(つまりここだ)が面白いと言うので、調子にのり、ああ、よく言われますと冗談のつもりで言い返すと変なものを見るような目をしていた。それが彼女との最初だった。そして、それが最後だった。彼女は死んでしまった。 訃報をきいてすぐに僕は彼女のツイッターのホームをひらいた。「つぶやき」は五月を最後に終わっていた。終わりのほうは体調不良をほのめかす発言の頻度が増えていた。僕はまったく気付いていなかった。彼女は、彼女の言葉、彼女に気付かないまま流れていく世界を眺めてどう思ったのだろう?そして、不安を感じさせる言葉のあいだあいだには、健康になりたい、元気な体が欲しい、という願いの言葉があった。 仲間たちと彼女の通夜に行った。ツイッターで出会い、インターネットの向こうで知らないうちに病に斃れて
(CNN) 1972年のミュンヘン五輪でイスラエル選手団の11人が殺害された「黒い9月」事件の首謀者とされるモハメッド・オデー(別名アブ・ダウード)氏が2日夜、73歳で死去した。パレスチナ解放通信(WAFA)が伝えた。 オデー氏はパレスチナ解放機構(PLO)主流派ファタハの元幹部。パレスチナ自治政府のアッバス議長は遺族への書簡で弔意を伝え、同氏を「ファタハの主要人物の1人」とたたえた。 事件では、パレスチナ人実行犯8人が選手村の宿舎に侵入し、イスラエル選手らを人質として、同国で収監されていたアラブ人200人の釈放を要求。イスラエル側が応じなければ1時間ごとに人質1人を殺害すると通告した。最終的に、人質全員と犯人グループの5人、ドイツ人警官1人が死亡した。残る犯人3人は逮捕されたが、同年10月のルフトハンザ航空機乗っ取り事件で釈放され、その後向かったリビアで英雄として歓迎を受けた。 オデー氏
人生で人に与えた分ともらった分を比べたら、まだまだもらった分のほうが多いなあと思う。カウントする方法もないので全くの感覚なんだけど、別に謙虚な気持ちで言っているわけではなく、実際にそうではないかと思う。 例えば今までに☆を付けた数ともらった数を比べても、きっともらった数のほうが多いだろう。リアルな生活においても、もらった贈り物やプレゼントの数のほうが、あげた数よりも多いだろう。 見えない部分でも、人に救ってもらった件数のほうが、救った数よりも多い気がする。親切とか、忠告とか、そういう色んな「〜してもらった」件数のほうが、「〜してあげた」数よりも多い気がする。 だから感謝の気持ちで生きていこう、とかいい子の考えを書いて締めくくりたいわけではない。でも、なんとなくそのことを覚えておいて、時にはこちらから積極的に他の人に☆を付けたり、ちょっと助けてあげたり、話を聞いてあげたり、そんなことをして
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