会の設立はソ連が崩壊し、日本ではバブルが崩壊した1992年。 それより25年程前の1968年に、私、横山は、高知で岡 潔の講演を聞いたのがきっかけで岡の著書を読みはじめる。1974年には、岡潔に奈良の自宅で対面し、生涯の指針となる「実践」という言葉ひとつを岡よりもらう。 その後、だいぶ経って1988年、夜眠りから突然醒め『よし、岡家へ行こう!』と思い立ち、直ぐに岡亡きあとの岡家を訪ねる。すると、「岡潔は今では全く忘れ去られた存在だ」と長男の煕哉さんにいわれると共に、多くの晩年未発表の資料が残されていることがわかる。その後、何度も岡家に通い、その資料群のコピーを土佐に持ち帰る。 1992年、それまで勤めていた農協を意を決して辞め、「岡潔 思想研究会」を設立する。 その後、岡潔の晩年の思想の全体像の解明に心血を注ぎ、人類の先覚者(せんかくしゃ)たる岡潔の思想を全国に訴え、敢えて手紙や葉書による
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