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脚本家に関するmorikawa830のブックマーク (5)

  • アニメ脚本家烈伝:<弐の巻>〝スーパーヒットメイカー”星山博之 その五 - 南極怪獣通信

    「機動戦士ガンダム」(1979年) 作を持って、星山先生は下請けから卒業することになる。ガンダムについては様々な人が様々な角度から述べているので、今更付け加えることはほとんどない。 そこでここでは“持ちキャラ”(筆者の造語)という概念について説明してみたい。持ちキャラというのは、各担当者毎の受け持ちキャラクターのことである。ある特定のキャラクターのメインエピソードは、特定の脚家によって書かれるのが普通だ。その結びつきを「〇〇というキャラクターは、××という脚家の持ちキャラだ」という言い方をする。極端な例を紹介すると、「美少女戦士セーラームーンSS」という作品があるのだが、そこにダイアナという子が出てくる。これはルナとアルテミスの娘で未来からやって来たのだが、とにかく不評だったようでダイアナが出てくるエピソードは脚家が「杉原めぐみ」の時ばかり。あげく杉原がセーラームーンからお払い箱

    アニメ脚本家烈伝:<弐の巻>〝スーパーヒットメイカー”星山博之 その五 - 南極怪獣通信
  • 「装甲騎兵ボトムズ(改訂版1)」(1983年) - 南極怪獣通信

    五武先生による、対ガンダム20年戦争における、刺客第一弾。とにかくボトムズが、リアルロボットアニメの頂点だということに異議を唱えるアニメファンは、ほとんどいないのではないだろうか。しかし「リアル」という言葉を一般的な意味で「リアリティがある」という言葉だと考えてしまうと大間違い。実はボトムズは、全くリアリティの無い話なのである。普通テクノロジー格差という言葉は、例えばコン・バトラーVを見て、「こんなロボット、現代の科学力で作れるわけねえだろ!」という使い方をする。こういったことがありすぎるから、スーパーロボットアニメはリアリティが無くて駄目なんだ、というわけである。しかしボトムズは逆の意味でリアリティが全く無い。恒星間飛行ができるほどの科学力を持った銀河帝国同士の星間戦争のお話のはずなのに、その最新兵器であるのATは、どう見てもベトナム戦争レベルの装備で戦争をやっているのだ。これだけのテク

    「装甲騎兵ボトムズ(改訂版1)」(1983年) - 南極怪獣通信
  • 「無敵超人ザンボット3」(1977年) - 南極怪獣通信

    76年は五武先生にとってつらい年になった。ひたすら生活のために他人の作品の下請けをせざるを得ない状況になってしまったのだ。ライディーンの絡みで長浜監督の次回作「超電磁ロボコン・バトラーV」、富野喜幸と共に参加した「ロボっ子ビートン」、何故かタツノコ系の作品である「ブローカー軍団マシーンブラスター」、手塚先生の絡みか「ジェッターマルス」などなど。それでも全て、オリジナルのロボットアニメ(第二法則)であるのは流石だが(笑)。 そうした中、77年に虫プロ系のアニメ製作会社「日サンライズ」が初の自主制作作品を作ることになり、富野監督が指名された。シリーズ構成は・・・五武先生をおいて他になし!!。ついに歯止めが一切かからない状況で、二人は遣りたい放題の物が作れる状況が与えられたのだ!。とはいえ作品を成功させるため、富野監督は周到な計算も同時に行っている。五武先生が萌えキャラを描けない(第六法則)の

    「無敵超人ザンボット3」(1977年) - 南極怪獣通信
  • 五武冬史論<序章> - 南極怪獣通信

    恐らく皆様は五武冬史(別称鈴木良武)というアニメ脚家をご存じないと思う。私はロボットアニメが好きだったことから、五武作品をそれこそ浴びるほど見てきた。現在でもゲーム「スーパーロボット大戦」シリーズを一やれば、五武作品に幾らでも会うことができる。私は80年代に起きた「リアルロボット」というムーブメントに対する功績は、ガンダムの監督である富野喜幸一人に起因するものではなく、むしろ五武先生にこそ、その大半の功績があると思っている。またエヴァ以前のアニメ脚家の中では、五武先生は間違いなく五指に入る実力の持ち主であるのに、ほとんど代表作を持っていない。筆者はこの企画の中で、前半部では五武先生が如何にしてリアルロボットというムーブメントを立ち上げていったか、そして後半部では五武先生が実に20年もの年月をかけて、如何にして「機動戦士ガンダム」という怪物に挑みつづけたかということを記していきたい。

    五武冬史論<序章> - 南極怪獣通信
  • My最新アニメ感想文:「ラーゼフォン多元変奏曲」(第一部) - 南極怪獣通信

    私にとって、テレビ版の作はさっぱり好きではないけれど、思い入れだけはたっぷりと溢れ返っている作品。数年経った今でも、どうしてこんなことになってしまったんだろうと、年に何回かは思い返したりしています。それと言うのも・・・ 話はいつものようにころっと変わりますが(しかも今回は、当分戻ってきません)、1978年に、今のサンライズが初めて自社製作作品を作った時に、第1作目として「無敵超人ザンボット3」というロボットアニメが製作されました。おそらく当時のサンライズは、過去のしがらみなどが無かったからこそ可能だったのだろうと思うのですが、ネームバリューではなく実力重視で製作スタッフの人選を行いました。まず監督として、当時実力派演出家といて知られていた富野良幸が招聘され、脚としては鈴木良武(現・五武冬史)、星山博之、吉川惣司、松崎健一といった、今となっては絶対に集められない、夢のようなスタッフを結集

    My最新アニメ感想文:「ラーゼフォン多元変奏曲」(第一部) - 南極怪獣通信
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