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ブックマーク / technique.hateblo.jp (5)

  • 和樹と環のひきこもり社会論(2006年春~2008年秋) - Freezing Point

    雑誌『ビッグイシュー』誌上にて斎藤環氏との間で交わされた往復書簡の、私の側の原稿を全文公開しています。 (1)【ひきこもりは自由の障害者?】 (3) 【自殺的な自由】 (5)【欲望することは義務か?】 (7)【「娑婆から出てはならない」という掟】 (9)【必然性の門】 (11)【「メタ信仰学」について】 (13)【「社会参加」という信仰生活】 (15)【洗脳拒否を共有すること】 (17)【少し議論を整理します】 (19)【逃げられない動機づけ】 (21)【合理性から抜けられない】 (23)【「苦しむために生きる」という非合理】 (25) 【度外れた極端な弱さ】 (27)【「ひきうけ」の破綻としてのひきこもり】 (29)【「異常」なのか、「困惑」なのか】 (31)【関係の処理のしかたと、倫理】 (33)【《日常》という抑圧と、「診断」】 (35)【参加資格の流儀】 (37)【「誰がその問題を

    和樹と環のひきこもり社会論(2006年春~2008年秋) - Freezing Point
  • 「職歴のない40歳以上」が、焦点になりつつある - Freezing Point

    ■《1000人に3人ひきこもり 15〜39歳 山形県が初調査》(産経ニュース) 社会的支援の必要性が指摘されている15〜39歳に限ると855人で、1千人のうち3人の割合になるという。 ■《ひきこもり「40代以上半数」》(NHK、山形県) 当初、県は、若者の「ひきこもり」が社会問題になったこともあって15歳から39歳までの比較的若い層を想定していましたが、調査の結果、40歳以上が全体の45%と半数近くを占めていたことが分かりました。 同じ調査に関する記事ですが、 産経は40歳以上を無視しており、 NHKでは逆に、40歳以上が半数近くを占めることが強調されています。*1 社会的ひきこもりについては、 「雇用の口があれば解決する」わけではありません。つまり、 (1)継続的就労を難しくさせる、関係性や意識のトラブルを抱えている (2)職歴や技能に基づいた就職活動ができない こうしたいきさつは、高齢

    「職歴のない40歳以上」が、焦点になりつつある - Freezing Point
  • (4) 差別と批判の見分け方 - Freezing Point

    連続エントリ: 第1回 「《つながりの作法》 としての差別」 第2回 「《不定詞の束としての人格》という考え方」 第3回 「生の様式そのものとしての不定詞 infinitif」 第4回 「差別と批判の見分け方」(今回) 第5回 「【追記】 民族浄化ならぬ、当事者浄化」 【承前】  3回にわたってエントリしてきましたが、今回でようやく核心です。 批判的な議論をするとき、それが「意図せざる差別」なのか、それともフェアな批判なのか、よくわかりません。 この違いを明らかにしておかないと、 「差別される側のやってることは、誰も批判できない」 「被差別部落のことは、論じちゃいけないのか」 になって、みんなが萎縮してしまいます。 私の提案するポイントは、《名詞か、動詞か》 という一点だけです。 (1)《名詞形カテゴリ》 に還元していれば差別。 相手をほめる場合でも、あるいは自分についてでも、《名詞形カテ

    (4) 差別と批判の見分け方 - Freezing Point
    rgfx
    rgfx 2012/10/29
  • 専門家の承認願望に搾取される社会問題 - Freezing Point

    働かないことが問題となる引きこもり。 皮肉なことに、この問題の専門家は、「仕事をした」というアリバイ作りしかしていないことが多い*1。 彼らは、ルーチンをこなすだけで承認と対価を得られる*2。 逆にいうと、ディシプリンをはみ出した努力では業績にならない。――そこで、問題そのものの実態より、専門性の都合が優先される。 「そういう話にしておいてくれないと、僕の業績にならない」 何をしていいかが誰にもよくわからない引きこもり問題では、既存ルーチンで「仕事をした」と主張する人は、詐欺師の要因を持たざるを得ない。そこから考え直さなければならないが、うまくやらないと、この指摘そのものによって排除される。社会参加を続けるには、権力をにぎる「専門家」に都合のよい苦しみを生きなければならない*3。 専門家じしんが、承認問題の露骨な当事者となっている*4。 「くだらないことしか出来なくても承認されるべきだ」と

    専門家の承認願望に搾取される社会問題 - Freezing Point
    rgfx
    rgfx 2010/12/09
  • 臨床上の技法論としての、「身近な民主主義」 - Freezing Point

    ひきこもる人たちは、コミュニティでの人間関係は下手だが、選挙での投票率は高いといわれている*1。 つまり、《お祭りとしての意思決定》には比較的参加しやすいが、あいまいに持続して息継ぎの場所もよく分からない《日常の意思決定の関係性》が、できない。 システムに担保される意思決定の場があれば、参加しやすい。 あいまいなコミュニケーションを直接要求されるのではなく、暴力的に固定されたインフラにしたがって選択権を行使すれば済むような参加(選挙、インターネット等)。 「民主主義2.0」として、ネットでの直接選挙等が取りざたされているが*2、そこでは意思決定の方法が話題になっているだけで、《参加》の側面が論じられていない*3。 いくら新しい投票システムを考案しても、それは一時的なお祭りシステムを考案することに当たる。 斬新な意思決定システムの陰で、ベタな人間関係は前近代的体質で残り続ける。 継続的な社会

    臨床上の技法論としての、「身近な民主主義」 - Freezing Point
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