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ゲームと経営に関するISADOKのブックマーク (3)

  • ジャレコ愛なんて1ミリもなかったけど、なんとなく子どもの頃好きだった『シティコネクション』を社名にしたらその因果にとらわれ、紆余曲折の末にジャレコのIPを丸ごと継承することになった男の話

    ジャレコ愛なんて1ミリもなかったけど、なんとなく子どもの頃好きだった『シティコネクション』を社名にしたらその因果にとらわれ、紆余曲折の末にジャレコのIPを丸ごと継承することになった男の話 『シティコネクション』というゲームをご存じだろうか。 日ゲーム会社ジャレコが開発して1985年よりアーケードで稼働、ファミリーコンピュータにも移植されたアクションゲームである。 (画像はアーケードアーカイブス シティコネクション ダウンロード版 │ My Nintendo Store(マイニンテンドーストア)より)このゲームを開発したジャレコは、現在はもう存在しない。だが、『シティコネクション』は『アーケードアーカイブス』に収録され、各種プラットフォームにて今も遊ぶことができる。そのライセンスを管理しているのは、株式会社シティコネクション。 ゲームと同じ名前の会社が、『シティコネクション』のみならずジ

    ジャレコ愛なんて1ミリもなかったけど、なんとなく子どもの頃好きだった『シティコネクション』を社名にしたらその因果にとらわれ、紆余曲折の末にジャレコのIPを丸ごと継承することになった男の話
    ISADOK
    ISADOK 2023/12/27
    面白すぎて一気に読めてしまった、波乱万丈な経歴。軽い気持ちで付けた名前に後から意味を持たせたくなる感覚はなんとなくわかる。
  • そろそろ語ろうか(其の弐)|和田洋一

    「ファイナルファンタジー・クリスタルクロニクル」(長い・・ので以下、FFCC)のリマスター版が発売されました。 このタイトル、実はスクウェアが任天堂と取引再開した記念碑的タイトルなんです。 これを機会に、任天堂との取引再開の経緯、また、このタイトルが実は当時のスクウェアの革新について重要な役割を担っていたことについて、書いてみます。 任天堂出禁私が着任した2000年時点でスクウェアはソニーのプレイステーション(以下、PS)以外にタイトルを供給しておらず、任天堂から取引拒否をされている唯一のゲーム開発会社だった。 どのプラットフォームにも供給できる選択肢を持っているのが自然であるし、携帯ゲーム機を製造しているのは任天堂だけだったので、この観点でも取引は必須のはず。ところが、着任時のスクウェア社内では、出入禁止になっている事がシリアスに捉えられていなかった。 解せないながら、2000年内は管理

    そろそろ語ろうか(其の弐)|和田洋一
    ISADOK
    ISADOK 2020/08/31
    スクウェアの任天堂との和解ってこんな経緯だったんだ。懐の深い担当が任天堂、ソニー、双方にいたからこそできたんだろうなという感じ。しかし和解の記念碑的作品だったFFCCのリマスターは…
  • そろそろ語ろうか(其の壱)|和田洋一

    2016年2月末、スクウェア・エニックスを離脱して数か月になり、これまで伝えられなかった事もお話しできる立場になりました。 証券時代16年、ゲーム時代16年と、気がつけば中々の古参。 改めて見渡すと、アーケードゲーム、家庭用ゲームPC、スマホゲームと全ての時代を経験し、かつグローバル展開を行っていた方がほとんどいらっしゃらない事に気づきました。 またこの間、経営者として、業界リーダーとして、数々の貴重な局面に立ち会っています。 事実を忘れてしまったり、自分の都合のいいように記憶を塗り替える前に、皆さんにお話しする意味があると思いました。 経営者は、その足跡について1ミリ単位で説明できなければならないというのが、私の持論です。 無論、その時々の事実認識には個体差はあるでしょう。また、戦略実行にあたっては、様々な方が関わりますから、各人の視点によって、同じ事実でも見え方は異なるでしょう。さら

    そろそろ語ろうか(其の壱)|和田洋一
    ISADOK
    ISADOK 2020/08/31
    以前フェイスブックで公開した、和田さんの目から見たスクウェアの2000年~2015年あたりの話。とCESA、自主規制の話。改めて読んでも面白い。
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