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歴史と元寇に関するISADOKのブックマーク (1)

  • きっかけは「神風」でも 1日でなく7日ほどで撤退した元寇・蒙古襲来の実態 - 歴史ニュースウォーカー

    1274年(文永11)、モンゴル皇帝フビライは国号を元と改めて日に朝貢を求めてきました。 しかし、鎌倉幕府はこれを拒否。2度にわたる元寇(蒙古襲来)が起きます。 一般的には 1回目の文永の役は博多湾に上陸した元軍が神風で撤退 2回目の弘安の役(弘安4年=1281年)では佐賀県の伊万里湾に集結した元軍が2度目の神風で壊滅 とされています。 ところが、この常識が、近年の水中考古学や文献史学でも服部英雄氏の研究により覆されています。 おそらくこうした研究成果をもとに、朝日新聞の「文化の扉」というインフォグラフィックのコーナーで、考古学者でもある宮代栄一記者が「勝因は神風ではなかった?」として書いています。 www.asahi.com 「おそらく」というのは、無料会員だと1日1記事しか読めないため、現時点で中身を知らないからです。。。 しかし、恵美嘉樹もちょうど2016年10月号の「ひととき」(

    きっかけは「神風」でも 1日でなく7日ほどで撤退した元寇・蒙古襲来の実態 - 歴史ニュースウォーカー
    ISADOK
    ISADOK 2017/01/09
    準備の出来ていない1回目で7日粘ったってのが凄い/一応天候要因もあったわけだから、祈祷の効果があったという主張がいつしか神風に変わっていったのかな
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