東京都府中市のグラウンド。ロッテでリリーバーとして4年間プレーした最速154キロ左腕・永野将司投手は2022年から社会人野球のクラブチーム・全府中野球倶楽部に所属し、エースとして活躍している。 「今日はあまり調子が良くないですね。練習が週1回なので肩の筋肉が落ちる。平日は仕事があるので仕方ない部分はありますが、毎日投げるのは大事だなあと改めて感じます」
1月1日、少し遠くに住む伯父の家へ挨拶しに行く道中、何百キロ先にあるはずの富士山がよく観える場所を通る。 山と言えば、成層火山のあのフォルムでなければしっくりこないようで、以前、漢拏山を観たとき「何か違う。」と思った。 私が初めて、富士山の5合目に行ったのは小学校のときの林間学校だった。冬になると観えるあの綺麗な山へ行けると思っていたのだが、実際に行ってみると、何かがあるわけではないし、ゴミが不法投棄されている場所はあるし、無駄に人が多い。 「なんだ、富士山よりもインターチェンジの近くにあった富士急ハイランドのほうが楽しそうじゃん。」と思ったものだ。 富士山に行くと頭のなかで思い描いたイメージと実際にそこにあるものが違うことにガッカリする人がいるという。 富士山は遠くから観ている分にはいい。だが、近くで観ているとちょっとだけ嫌になる。 だけれども、こういう考え方もできる。 「自分が近くで観
「音量は普通に聞こえるのに、言葉が聞き取れないという症状に3年くらい悩まされています」 女子学生があげたこのツイートが拡散、「私もそうだ」と同じ症状に悩む人が次々と苦しさを訴え始めました。時を同じくして耳鼻科医も偶然、症状を知ってもらうためのサイトを立ち上げていました。この症状「聴覚情報処理障害」と言います。 (ネットワーク報道部記者 和田麻子 目見田健 飯田耕太)
私が小・中学校の9年間、養護施設(現特別支援学校)に通っていた時、毎年数回、普通学校との交流会がありました。自己紹介をして、ゲームをして、歌を歌って。障害者がいることを知ってもらう機会にはなりましたが、ある意味、見せ物にされた気持ちがしました。「お互いが対等に知り合って、仲良くなる」というよりも、障害を見てもらう時間だと感じたからです。 そして「『みんな違って、みんないい』なので、学校が違っていても大丈夫」と片付けられた気持ちがしました。 お膳立てされた交流会だけでは物足りなかったので、私は交流をしていたクラスに手紙を書きました。「もしよければ文通をしませんか?」と。すると10人くらいの友だちが手紙をくれ、手紙のやり取りだけでなく、電話をしたり、土日に会って遊んだりと、本当の友だちになることができました。 形だけの交流では違いだけが強調されてしまい、別々の場所で過ごすことに疑問は持たず、分
昨日これを書いた子持ちの増田です https://anond.hatelabo.jp/20180416201535 一晩経ってだいぶ冷静になった。 耳栓をして耐えてくれた女性には今感謝しかないです。私が図々しかったね。 子育てをしてると、責任の重さとか周囲からのプレッシャーに「うわーーーーっ」ってなることがよくある。 昨日までは旦那の実家に旦那無しで行かなくちゃ行けなくって、張りつめたものがあったんだと思う。旦那の両親やお姉さんについて話す時、私はどうしても「悪い人ではないんだけど」と頭につけたくなってしまう。義母さんは家事完璧なスーパー主婦だし、それを見て育ったお姉さんにも、私はダメな母親に見えているんだと思う。 自分語りになってしまうけど、子供を産む前まで、私はそれなりに頑張って働いてた。仕事が好きだった。妊娠を望んでいたわけだけど、実際子供ができるとすごく戸惑った。産休・育休をとって
「生きてるだけですばらしい」の氾濫 ときどきネット上で熱く支持され、多くシェアされるのが、子どもや障害者についての「いい話」だ。たいていの反応はポジティブさにあふれている。「感動した」「泣いた」「勇気をもらった」「周囲の人からの愛に気づいた」などなど。ときには、話の中で虐待されたり死んだりしてしまった子ども、あるいは心身障害児・障害者のことに関して「天使」や「天才」とまで称揚するコメントがつくこともある。 そう、確かに、コメントをした彼ら第三者にとっては、話の中の子どもや障害者は「天使」や「天才」といった、とてもよいものに見えたのだろう。「生きてるだけですばらしい」と感じたのだろう。その感じ方自体は否定しないし、他人である私には否定する権利もない。 ただ、たまにだけれど、この弱者についての「すばらしい」という感覚を、目についた弱者やその周囲の人にまで共有させようとする人がいる。さらに悪い場
ADHD当事者で2児の母でもあるモンズースーさんが、ADHDの方の生活などを架空のOL・水谷真帆を通じて描く4コマ漫画連載「私もADHD! 」。前回の汚部屋の話から続く今回は、「集中力」に関するお話です。 ADHDの男の子を思い浮かべる場合、授業中席に座っていられない「多動」を強くイメージされる方も多いのではないでしょうか。同じADHDでも、女の子や大人は席に座っていられないほどの多動はない方が多いと思うのですが、実は「頭の中が多動」という方が少なくないようです。 以前、この「頭の中が多動」という言葉を聞いたときにすごい衝撃を受けました。確かに私の頭の中も、このお話のように一つのことに集中することが苦手で、興味が次々と移ってしまいます。このフレーズはとてもわかりやすく、納得できました。 目に見えない「頭の中の多動」は周囲にはわかりづらいですが、こういった特性を持った方もいるのです。 ※本作
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