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ブックマーク / yukito-ashibe.hatenablog.com (23)

  • 「マイノリティは味方をつくる努力をしろ」と言う前に、まずはマイノリティを踏みつけているその足をどけろよ、マジョリティは。 - あしべの自由帳

    社会の差別に声を上げるマイノリティに対して、「日社会の差別をなくしたければ、マジョリティを敵ではなく味方にする努力をすべきだ」と言うマジョリティがいます。おそらく彼は、穏当な意見を言ったつもりなのでしょう。しかし、それは穏当であるどころか、むしろ傲慢であるといえます。 「日社会の差別をなくしたければ、マジョリティを敵ではなく味方にする努力をすべきだ」と言うマジョリティは、大きな勘違いをしています。人権は、国から恩恵として与えられるものではなく、人間が人間であることから当然に有する権利であり、それはマイノリティの人権でも変わりありません。それゆえに、マジョリティの機嫌の良し悪しにかかわらず、マイノリティは差別されてはならないのです。つまり、日社会の差別をなくすために努力しなければならないのは、ほかならぬマジョリティなのであり、マジョリティがマイノリティに努力を求めるのはお門違いもい

    「マイノリティは味方をつくる努力をしろ」と言う前に、まずはマイノリティを踏みつけているその足をどけろよ、マジョリティは。 - あしべの自由帳
  • 平和の少女像を「不快だ」と言う日本国民へ - 車家ブログ Kurumaya Blog

    名古屋、あいちトリエンナーレ「平和の少女像」展示中止 : 日•国際 : hankyoreh japan 「表現の不自由展・その後」の展示中止に賛成する日国民のみならず、反対する日国民の中にも、平和の少女像を「不快だ」と言う人が少なくありません。彼らは、なぜ平和の少女像を「不快だ」と言うのでしょうか。 思うに、彼らは平和の少女像を「反日の象徴」だと捉えています。そもそも「反日」という概念それ自体がナンセンスですが、それはさておき、彼らのその認識は正しくありません。平和の少女像は、その名のとおり「平和の象徴」であり*1、さらに言えば、それは戦時性暴力の否定という普遍的価値を象徴するものです。そのような趣旨の平和の少女像が「反日の象徴」であるならば、戦時性暴力の肯定が日社会の支配的な価値観だということになりますが、日国民は当にそれで良いのでしょうか。 おそらく、多くの日国民は、平和

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  • 「日本は民主主義国家である」と信じて疑わない「日本国民」に、伝えたいこと。 - 車家ブログ Kurumaya Blog

    おそらく、「日国民」の多くが「日は民主主義国家である」と信じて疑わないでしょう。たしかに、日は政体として代表民主制を採用していますから、その限りでは「日は民主主義国家である」と言えるかもしれません。しかし、民主主義の質に鑑みると、私は「日は民主主義国家である」と言い切ることに、どうしても躊躇いを覚えます。 民主主義は、「治者と被治者の自同性」すなわち治めるものと治められる者が同一であることをその質としますが、はたして日では、「治者と被治者の自同性」が実現されているといえるでしょうか。この点に関しては、たしかに「日国民」に限って言えば「治者と被治者の自同性」が実現されているといえるでしょう。しかし、他方で「日国民」と同じように日という国で生まれ、「日国民」と同じように日という国で生活し、「日国民」と全く同じ義務を負わされてるにもかかわらず、「『日国民』ではない」

    「日本は民主主義国家である」と信じて疑わない「日本国民」に、伝えたいこと。 - 車家ブログ Kurumaya Blog
  • 「日韓の草の根交流」は、歴史を忘れるためのものではない。 - 車家ブログ Kurumaya Blog

    www.asahi.com まずはじめにお断りしておきますが、稿は「日韓の草の根交流」や「韓流ファン」それ自体を批判するものではありません。私が批判したいのは、日のマスメディアや国民が、日による朝鮮の植民地支配という負の歴史を忘れるために「日韓の草の根交流」や「韓流ブーム」を利用することです。 稿の冒頭でリンクした朝日新聞の記事は、「日韓の外交関係が徴用工をめぐる問題などで『過去最悪』ともいわれる中」という書き出しで始まり、「国同士難しい問題はあるのは知っていますが、全然気になりません」という若い日旅行者の声を紹介しています。また、そうした若い日旅行者が「政治の壁を越えて交流を支えている」のだといいます。 もちろん、日社会に蔓延する「嫌韓」に影響されない若い日旅行者が、「日韓の草の根交流」を支える大切な担い手であることを否定するつもりはありません。しかし、日の戦犯企

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    Jcm
    Jcm 2019/06/10
    “韓国のポップカルチャーを日本人が歴史を忘れるために利用するのは、「政治と文化は別」であるどころか、むしろ「政治利用」です”←本当これ。朝日新聞は自社の記事に通底する朝鮮半島への蔑視を問い直すべき。
  • マイノリティの人権は、マジョリティからの“ご褒美”ではない。 - 車家ブログ Kurumaya Blog

    マイノリティの権利(もっとも、それは単なる権利ではなく人権ですので、以下ではマイノリティの権利=人権であるとして話を進めます。)について、マジョリティはしばしば「マイノリティは権利を認められたければ、多数の共感を得るべきだ」と言います。おそらく、この言説に共感するマジョリティは少なくないでしょう。しかし、私は、私自身がマジョリティではあるものの、この欺瞞に満ちた言説には共感できません。 いったい、いつになったらマジョリティはマイノリティに共感するというのでしょうか。おそらく、「マイノリティは権利を認められたければ、多数の共感を得るべきだ」などと言うマジョリティは、マイノリティがどれだけ誠実に訴えたとしても、あれやこれやと難癖をつけて、いつまでも共感しないでしょう。なぜなら、彼は自分の持っている権利をマイノリティが持っていないことで、自分が「(マイノリティが持っていない)権利を持つ価値のある

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  • 憧れの島の、チェジュブルー。 - 車家ブログ Kurumaya Blog

    韓国の제주도(チェジュ(済州)島)は、私にとって子供の頃からの憧れの島でした。もっとも、子供の頃の私にとって、제주도は「済州島」であり、それは「チェジュ島」ではなく「さいしゅうとう」でした。そんな憧れの島・제주도が、私にとって「済州島」から「チェジュ島」になったのは、いつからだったでしょうか。そして、제주도が、私にとって「チェジュ島」から제주도になる日は、はたして訪れるのでしょうか。 過日、私はようやく子供の頃からの夢が叶い、チェジュ島を旅しました。 「韓国のハワイ」とも呼ばれるチェジュ島、その名前を聞いて真っ先に「美しい青い海」を思い浮かべる人も少なくないのではないでしょうか。私も、チェジュの海の青さについては、実際にチェジュ島を訪れる以前から写真や映像を通して知っていました。しかし、実際にチェジュ島を訪れ、この目で見たチェジュの海の青さは、写真や映像では(知ることはできても)感じること

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  • 「護憲」とは、つまりは人権を守ることである。 - 車家ブログ Kurumaya Blog

    www.jcp.or.jp 「護憲」という言葉は、「改憲」という言葉との対比で「憲法を変えないこと」という意味で使われることが多いです。たしかに、例えば憲法9条に関していえば、「憲法を変えないこと」が「護憲」であることに間違いはありません。しかし、それは憲法9条を変えるべきではない理由があるからこそ、「憲法を変えないこと」が「護憲」なのであって、「護憲」という言葉の意味が「憲法を変えないこと」だからではありません。つまり、憲法を変えるべきでない理由こそが、「護憲」の質的な意味なのです。 それでは、「護憲」の質的な意味は何か。思うに、それは人権を守ることです。なぜなら、憲法は個人の尊厳を確保することを究極の目的とするものであって、その憲法を護ることで、個人の尊厳に由来する基的人権が守られるからです。 憲法の目的という点に関しては、「憲法は安倍のような横暴な権力者から国を守り、国民を守る

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  • 「今上天皇はいい人です」と、リベラル派も言うけれど……。 - 車家ブログ Kurumaya Blog

    www.asahi.com いわゆる「保守派」だけでなく「リベラル派」の中にも、「今上天皇はいい人だ」と言う人が少なくありません。そして、そのような人は、しばしば「天皇制そのものが悪いのではない、安倍のような悪人が天皇を政治利用するのが悪いのだ」と言います。安倍氏が天皇を政治利用しているのは、たしかにその通りです。しかし、「天皇制そのものが悪いのではない、安倍のような悪人が天皇を政治利用するのが悪いのだ」と言う人は、誤解しています。「安倍のような悪人が政治利用する」から、天皇制が悪しき制度となってしまうのではありません。そもそも天皇制は、「安倍のような悪人が政治利用する」ためにつくられた制度です。つまり、安倍氏は、天皇制の来の使い方をしているだけなのです。 それでも、きっと「今上天皇はいい人だ」と言うリベラル派の人は、「今上天皇はいい人なのだから、安倍のような悪人にさえ利用されなければ、

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    Jcm
    Jcm 2019/04/23
    しかも、報道されている発言に限っても、注意深く見れば疑問符が付く箇所は見つかるわけで。(私自身もだいぶ長い間気付いてなかったけど…)
  • 「日韓関係」に隠された、「新しい植民地体制」の問題。 - 車家ブログ Kurumaya Blog

    japan.hani.co.kr いわゆる「日韓問題」に関してしばしば言われるのが、上掲したハンギョレのコラムで山口二郎・法政大学教授が述べているような「東アジアの平和のためには日韓両国が協力することが不可欠である」という言説です。一見して穏当で“リベラル”な、このような言説に共感するリベラル人士もおそらく少なくないでしょう。しかしながら、このような穏当で“リベラル”な言説にも、大きな問題が隠されています。つまり、それは「東アジアの平和のためには日韓両国が協力することが不可欠である」という言説が、「日韓65年体制」という、新植民地主義的な体制を温存するものだということです。 1965年に締結された日韓基条約に基づく「日韓65年体制」は、アメリカを頂点とした米・日・韓三角軍事同盟における日韓の協力体制という性格を持っており、そこでは、韓国が「反共の防壁」として軍事面の最前線を担い、日は韓

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  • 「嫌韓」という言葉を使うのは、もうやめよう。 - 車家ブログ Kurumaya Blog

    はじめにお断りしておきますが、「『嫌韓』という言葉を使うのは、もうやめよう」というのは、「嫌韓」と呼ばれる日人の態度や言動を批判してはならないということではありません。また、稿で言いたいことは「『嫌韓』より『好韓』を」でもありません。私が稿で問いたいのは、「嫌韓」という言葉の妥当性です。 「嫌韓」という言葉は、例えば「嫌韓デマ」や「『嫌韓感情』を煽る安倍政権」といったように、民族差別扇動を批判する文脈でもごく普通に使われています。しかし、そもそも「嫌韓」という言葉は、「嫌韓流」や「大嫌韓時代」を思い出せば分かるように、元来は民族差別主義者側の言葉だったはずです。 誤解しないでください。私は、「嫌韓」という言葉が、民族差別主義者側の言葉であるから民族差別扇動を批判する文脈で用いるのは不適切である、と言いたいのではありません。「嫌韓」という言葉が、民族差別主義者側の言葉であるのには理由が

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  • 「暴力を表現すること」と「暴力で表現すること」は、別のものである。 - 車家ブログ Kurumaya Blog

    「セックスや暴力を描写した表現の自由を守るために、差別煽動表現は規制されてはならない」と言う人がいます。 「セックスや暴力を描写した表現の自由」が守られるべきであるのは、たしかにその通りです。しかし、だからといって、「差別煽動表現は規制されてはならない」とする考え方には、私は到底賛同できません。 「セックスや暴力を描写した表現の自由を守るために、差別煽動表現は規制されてはならない」と言う人は、大きな誤解をしています。つまり、それは「暴力を表現すること」と「暴力で表現すること」は、別のものであるということです。 表現の自由が人権として憲法で保障されるのは、それが自己実現の価値(個人が言論活動を通じて自己の人格を発展させるという個人的な価値)と自己統治の価値(言論活動によって個人が政治的意思決定に関与するという、民主制に資する社会的な価値)を有するからです。そして、それは究極的に個人の尊厳を確

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  • マイノリティの個人の尊厳は、ヘイトスピーチ対策法で初めて保障されるものではない。 - 車家ブログ Kurumaya Blog

    はじめにお断りしておきますが、私はヘイトスピーチ対策法が不要だと言いたいのではありません。私が稿で言いたいのは、マイノリティの個人の尊厳を保障するのは、法律ではなく憲法である、ということです。 もしかすると、「マイノリティの個人の尊厳は、国民の代表機関である国会がヘイトスピーチ対策法を制定することによって初めて保障される」と思っている人がいるかもしれません。しかし、それは誤解です。マイノリティの個人の尊厳は、国民の代表機関である国会によって与えられる権利ではなく、人間が人間であることから当然に有する権利である人権です。つまり、マイノリティの個人の尊厳を蹂躙するヘイトスピーチは、ヘイトスピーチ対策法が制定される以前から人権侵害なのです。 もっとも、ヘイトスピーチは、国家による人権侵害ではなく個人による人権侵害ですから、憲法を直接の根拠としてそれを規制することはできません。すなわち、ヘイトス

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  • 差別が許される「理由」など、そもそもない。 - 車家ブログ Kurumaya Blog

    www.asahi.com 朝鮮学校の授業料無償化除外について、安倍政権は「拉致問題の進展も見られず、(朝鮮学校が)朝鮮総連と密接な関係がある」ことを理由に正当化しています*1。おそらく、日国民の多くはそれを「もっともな理由」だと感じているでしょう。 しかし、安倍政権が並べる理由は、決して「もっともな理由」ではありません。 誤解している国民が少なくないのかもしれませんが、在日コリアンの民族教育に対する差別と弾圧は、昨日今日に始まったことではありません。それは、日の敗戦後間もない頃(1950年前後)から*2*3、(美濃部都政のような)若干の例外はあるにせよ、ほぼ一貫して行われてきたことです。一方、安倍政権が理由とする「拉致問題」が発覚したのは1980年頃であり、朝鮮総連が結成されたのも1955年のことです。つまり、日政府は、「拉致問題」や「朝鮮学校と朝鮮総連の関係構築」以前から在日コリ

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  • 韓国国会議長に問われた「戦後民主主義」の欺瞞 - 車家ブログ Kurumaya Blog

    www.bloomberg.co.jp 日軍性奴隷問題について天皇の謝罪を求める文喜相韓国国会議長の発言は、戦後天皇制が戦前天皇制と非連続的なものではないことに鑑みれば(戦後天皇制を戦前天皇制は全く異なるものと考えている人も少なくないでしょうが、戦後天皇制は戦前天皇制から主権を差し引いたものにすぎず、すなわち「象徴天皇制」は戦前天皇制を象徴機能に純化したものであって、戦前天皇制と全く異なるものではありません。なお、戦前天皇制の象徴性と戦後天皇制の象徴性とは質的に異なると解するのが憲法学の通説ですが、しかし、両者に共通する権威主義的な国民統合という点に鑑みれば、はたして戦前天皇制の象徴性と戦後天皇制の象徴性とは質的に異なるといえるかどうかは甚だ疑問です。)、至極当然のことを言ったまでであって、「極めて不適切なもの」*1などではありません。むしろ、日軍性奴隷制という日帝による加害の歴史

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  • 株式会社FMGによる韓国人スタッフに対する人権侵害に、断固抗議する。 - 車家ブログ Kurumaya Blog

    チェジュ航空の日協力企業「慰安婦後援ブランドのカバン持つな」 | Joongang Ilbo | 中央日報 https://japanese.joins.com/article/641/249641.html この事件、卑劣な、あまりにも卑劣な、人間の尊厳に対する蹂躙です。 韓国・中央日報に記事によれば、空港地上支援業務を請け負っている日企業である株式会社FMGが、同社で勤務する韓国人スタッフAさんにした「マリーモンド*1のカバンを持つな」との指示は、(Aさんの話によると)「入社1年内に退社するとひと月分の月給より多い違約金を支払うことになっている雇用契約のため、異議を提起でき」ず、「入社前、会社側が外国人労働者ビザを受け入れたので違約金条項を甘受するよう強要し……仕事場を見つけなければならなかったため、使用側が提示した勤労契約書に同意するほかはない状況だった」という、入社して間もない

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  • 日本軍性奴隷問題は「国家間の問題」ではない。 - 車家ブログ Kurumaya Blog

    どうやら、日軍性奴隷問題を日韓国の「国家間の問題」と捉えている人が少なくないようです。 もっとも、日のマスメディアの報道に接していれば、そのように捉えてしまうのも無理はないのかもしれません。しかし、「国家間の問題」と捉えるのは、日軍性奴隷問題の質を見誤っています。 日軍性奴隷問題は、日韓国の「国家間の問題」ではなく、「〈国家〉対〈被害者(と被害者を支える市民)〉」の問題です。だからこそ、被害者を支える日の市民は未だ国家責任を認めず真摯に謝罪しない日政府を批判し、被害者を支える韓国の市民は被害者を蔑ろにして日政府と不当な合意を結んだ朴槿恵政権を批判するのです。 いわゆる「慰安婦問題日韓合意」についても、韓国政府はあくまでも被害者の「代理人」です。したがって、日軍性奴隷問題において韓国政府がいちばんに考えなければならないのは、「国益」などではなく「被害者の尊厳回復」で

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  • 「徴用工」は、日帝による植民地支配の問題である。 - 車家ブログ Kurumaya Blog

    「徴用工問題」について、「単なる悪徳企業とそれに搾取された労働者の問題なのに、どうして日政府がこれに介入するのか」といった声がよく聞かれます。たしかに、先般の徴用工訴訟は国家間の紛争ではなく、日企業とその被害者の間の紛争という民事紛争であり、日政府がこれに介入するのはおかしな話です。しかし、だからといって「単なる悪徳企業とそれに搾取された労働者の問題」と捉えてしまうと、問題の質を見失いかねません。 「徴用工問題」問題の質は、「日帝による植民地支配体制下における、日企業による被植民者の搾取」だという点にあります。つまり、形としては日企業とその被害者の間の紛争という民事紛争であっても、それは日帝による植民地支配と「切っても切れない関係」にあるということです。実は、日政府が日企業とその被害者の間の紛争という民事紛争に執拗に介入せんとするのも、それが日帝による植民地支配と「切って

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  • 辺野古新基地建設は、「環境保護」と「沖縄の民意」の問題でしかないのだろうか? - 車家ブログ Kurumaya Blog

    mainichi.jp まず、はじめにお断りしておきますが、私は、辺野古新基地建設が「環境保護」と「沖縄の民意」の問題であることを否定するつもりはまったくありません。辺野古の豊かな海を破壊し、「沖縄の民意」を踏みにじる日政府の暴挙を許せない気持ちは、私も同じです。 しかしながら、辺野古新基地建設を「環境保護」、あるいは「沖縄の民意」の問題としてしかとらえない昨今の風潮には、私はどうしても違和感を覚えてしまいます。それというのも、辺野古新基地建設は、「環境保護」、あるいは「沖縄の民意」の問題にとどまらない問題だからです。もちろん、私は「『環境保護』、あるいは『沖縄の民意』の問題にとどまらないのは、辺野古新基地建設が『国益』にかかわる問題だからだ」などと言いたいのではありません。私が言いたいのは、辺野古新基地建設は、なによりもまずアメリカ戦争に日が加担することであって、それは「全世界の国

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    Jcm
    Jcm 2019/01/26
    賛同。この観点を無視して語ると、仮に辺野古での基地建設が中止に至ったとしても、いずれ他の場所で似たような過ちを犯してしまうことになると思う。
  • 「レーダー照射問題」は、ほかならぬ日本自身の問題である。 - 車家ブログ Kurumaya Blog

    [コラム]韓日間レーダー照射論争の自画像 : 社説・コラム : hankyoreh japan 日では、昨年の暮れから連日のように報道されている「レーダー照射問題」。この問題に関する日国民の関心は、おそらく「日が正しくて、韓国が間違っている」かどうかということでしょう。たしかに、揃いも揃って「日が正しくて、韓国が間違っている」という論調の日のマスメディアの報道に日夜接していたら、そのような関心しか持てなくなるのは無理もありません。しかし、私が思うに、日国民が当に問うべきなのは、「日が正しくて、韓国が間違っている」かどうかではなく、もっと別のことです。すなわち、それは「不確かな話を基に日の政府とマスメディアが国民の韓国に対する敵意を煽り、国民が政府の思惑通りに煽られている」ということです。 2018年12月28日付けの時事通信社の報道によれば、“韓国政府は11月、日韓合意に

    「レーダー照射問題」は、ほかならぬ日本自身の問題である。 - 車家ブログ Kurumaya Blog
    Jcm
    Jcm 2019/01/08
    政府の動きやそれを無批判に垂れ流す各種メディア報道、どこまで「国民」を煽れるかなっていう試し行為をしてるようで、物凄く危険だと思う。
  • 「政治の話」ではなく、「人権の話」だ。 - 車家ブログ Kurumaya Blog

    www.nikkan-gendai.com そもそも、「芸能人は政治的発言をしてはならない」というのがどうかと思いますが、それはさておき、私は辺野古新基地建設問題を「政治の問題」と捉えることに、どうしても違和感を覚えます。 辞書的な定義によれば、「政治」とは「ある社会の対立や利害を調整して社会全体を統合するとともに、社会の意思決定を行い、これを実現する作用」です(デジタル大辞泉)*1。そうだとして、はたして辺野古新基地建設問題は「ある社会の対立や利害を調整して社会全体を統合するとともに、社会の意思決定を行い、これを実現する作用」についての問題でしょうか。 思うに、辺野古新基地建設問題は「社会の対立や利害」の問題ではなく、「全世界の人民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利」という平和的生存権、すなわち「人権」の問題です。そうだとすれば、「国益」あるいは「国民のため」など

    「政治の話」ではなく、「人権の話」だ。 - 車家ブログ Kurumaya Blog