「子どもの貧困とライフチャンス」の第3章は、「家族」に対する考えかた、価値観の相違について改めて考えさせてくれる。というのも、日本ではたとえば夫婦別姓問題をつうじて、「家族の絆」を主張する保守政治家の存在が浮き彫りになり、その一方で同性カップルを認める自治体が現れるなど、「じゃあいったい家族ってなによ」みたいな混乱がみられるからだ。日本の家族が根っこを「家制度」にもっていることはまちがいないし、それが制度として否定されたあとでは「子育ての単位」として法制度上の扱いを受けてきた一面があるのもまちがいないだろう。だが、子育ての単位としての家族は、伝統的な大家族にかぎらないのはもちろんとして、「核家族」が想定する「夫婦と子ども」というかたちだけでいいのだろうか。 たしかに、子育ての単位を夫婦と子どもとしておくのは、それなりにつごうがいい。けれど、現実にはさまざまな関係性のなかで子どもは育つ。とく