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ブックマーク / number.bunshun.jp (5)

  • 藤井聡太二冠が「最後に泣いた相手」? “最年少棋士”伊藤匠新四段(17歳)とは(勝又清和)

    三段リーグを勝ち抜き、10月からプロ棋士となる伊藤匠新四段。藤井聡太二冠と同じ2002年生まれだが、誕生月が3カ月遅い伊藤が“現役最年少棋士”となる。 伊藤匠新四段とはどんな棋士なのか? 伊藤が7歳のとき、初めて出会ったという勝又清和七段が綴る。 2010年夏、「ときんの会親子将棋合宿」で伊藤匠新四段(17歳)と初めて出会った。これは保護者の方々の手作りの合宿で、手合や進行も全て親がこなした。伊藤の父親の伊藤雅浩さんも弁護士業の激務のなか一緒に参加し、手合係をこなし、自らも将棋を楽しんだ。 伊藤は「たっくん」と呼ばれ小学2年ながら有名な存在だった。利発で負けず嫌い、終盤が特に強かった。私が作った詰将棋などは秒で解かれてしまう。とにかく将棋が大好きで、ライバルの“こーせー君”こと川島滉生君と何番も何番も指していた。 たっくんは小学生大会で大暴れする。この合宿の約3週間後、全国小学生倉敷王将戦

    藤井聡太二冠が「最後に泣いた相手」? “最年少棋士”伊藤匠新四段(17歳)とは(勝又清和)
  • 柔道界のレジェンド・吉田秀彦が見た“静かなる革命児・井上康生”「最初に代表合宿を見たときは、これで勝てるのかな、と」(中村計)

    東京五輪で柔道全日男子チームを率いた井上康生前監督。柔道男子史上最多となる5個の金メダルをもたらした男は何者だったのか――。井上を近くで見てきた人々と人の言葉から、その“実像”を明かしていく短期連載「静かなる革命児」。 第1回はバルセロナ五輪の金メダリストで、シドニー五輪では当時22歳の井上とともに戦った吉田秀彦(パーク24総監督)の証言。井上監督時代の代表合宿を最初に見た時、吉田は思った。当にこれで勝てるのか、と。(全8回の#1/#2へ) 「僕らの時代は、いかに早く辞めるかばかり考えていた」 ――井上康生さんは、ロンドン五輪が終わった2012年の冬、34歳という若さで代表監督に就任しました。吉田さんは率直なところ、どのように思われましたか。 吉田秀彦(以下、吉田) おれと康生は、歳が9つ違うんですよね。昔の全日って練習自体がほんときつかった。どれだけ追い込むかという、努力、根性、

    柔道界のレジェンド・吉田秀彦が見た“静かなる革命児・井上康生”「最初に代表合宿を見たときは、これで勝てるのかな、と」(中村計)
  • 勇気や感動を与えるとか、よくあるフ…… - イチローの名言 - Number Web - ナンバー

    人の心を動かすとか、勇気を与えるとか、感動を与えるとか、よくあるフレーズですけど、無理なんです。それは、目的にはできない。目的となったら、そんなの与えられるわけがない。なるとしたら結果的にそうなるだけです。 イチロー(MLB) 2018/04/17 勇気や感動を与えたい──こんな言葉を口にするアスリートは多いが、イチローは「それが目的となっている人は、その目的は絶対に達成できない」と喝破する。「結局、受け手側がどう感じるかの問題ですから。受け手側が何かを感じれば結果的にそうなったと言えるだろうし、ただ、やる側がそれを目的としてやって、受け手側にそれが伝わるなんてことはない。無理なんです。だから、その価値観を持ってやること。それは達成できないということを知りながらしか、プレーできないということです」。プレーで多くの人に感動を与えてきたイチローだが、感動を与えようと思ってプレーしてきたわけでは

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  • 日本高野連から歓迎されなくても、新潟県が球数制限を導入した重み。(鷲田康)

    2018年の高校野球は大阪桐蔭の春夏連覇、夏の大会での秋田・金足農業旋風などに沸いた一方で、改めて高校野球そのもののあり方が問われた年でもあった。 特に夏の大会では地方予選の段階から、異常気象ともいえる猛暑による熱中症対策、また“金農旋風”の余波としてエース・吉田輝星投手の投げ過ぎがクローズアップされた。 その結果として大会主催者や監督などの指導者が故障や肉体的なダメージから選手をいかに守るのか、ということを強く問われた年でもあった。 その激動の2018年が終わろうとしている12月22日に、高校野球にとっては画期的な動きが地方から起こったのである。 新潟県高校野球連盟が来年4月に開幕する春季新潟大会で、投手の球数制限を導入することを明らかにした。 「やってみないと何も……」 「独自の取り組みとして、来春の大会で球数制限を導入する。やってみないと何も起こらない」 この日、新潟市内で開催された

    日本高野連から歓迎されなくても、新潟県が球数制限を導入した重み。(鷲田康)
  • 「人と比較せず自分の中で少し頑張る」イチローが野球少年に送った人生訓。(笹田幸嗣)

    イチロー自らが大会長を務める「イチロー杯争奪学童軟式野球」は、2016年末に21回目の大会を迎えた。 未来の野球界を背負う学童たちに、勝つことの喜び、負けることの悔しさ、また、野球というスポーツが持つ様々な要素を体験してもらい、そこから多くを学んで欲しい――。 大会長にはそんな強い思いがある。 だからこそ、閉会式には自らが毎年足を運び、学童の目線に立ちメッセージを贈る。メジャーの世界でも最高峰の立場に上り詰めた実体験から発せられる言葉の重みと説得力は、まごうことなき金言である。 イチローは人の2倍も3倍も努力したわけではない!? 2016年12月23日。 愛知県西春日井郡豊山町で行われた閉会式には、同大会からプロ野球選手となったDeNAの関根大気外野手(21歳)も駆けつけたが、その際のイチローのスピーチは学童だけでなく、性別に関係なく、野球好きか否かにも関わらず、幅広い世代の人間の胸に訴え

    「人と比較せず自分の中で少し頑張る」イチローが野球少年に送った人生訓。(笹田幸嗣)
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