言うべきかどうかずっと悶々と考えててやっぱりがまんできないから言うけど、女性(男性以外)や子どもの人権が蔑ろにされているこの状況で、「少女のすがたかたちを一方的に消費する」タイプの創作物を楽しんでますって堂々と公言するの、状況を加速させるとしか思えないのでどうにかしてほしい。
数日前に、「タイトルの一部をホモに変えるとこわい」という遊びがTwitterで流行して、そのときのトレンドに入ったことがあった。名が知られた作品のタイトルの一部を「ホモ」に取り替えて遊ぶという他愛ない内容であるが、ぼくはこれに反発して、このように書いた。 オタクが社会の底辺だなんて大ウソ。もっとひどい扱いを受けているひとはたくさんいて、それに加担しているオタクも大勢いる。たしかにいわれない偏見の被害者になることも多いけれど、他者に同様の偏見を抱いているひとだって少なくないはず。被害者意識ばかり高まらせるのはどうかと思うなー。 「タイトルの一部をホモに~」みたいな残酷な遊びを見ていると『りはめよりも100倍恐ろしい』という小説のタイトルを思い出す。つまり「いじり」は「いじめ」より100倍恐ろしい、という話。本人たちは気軽な「いじり」のつもりでひとを追い詰める。 たとえば「タイトルの一部をオタ
takashi murakami @takashipom 一つ言わせて下さい。僕をオタクを搾取したと言い続けた世代のオタク諸君。私は常に言い続けて来た。私が踏み台になって真のオタクのクリエーターがアーティストである、ということを立証したいんだと。SUPERFLATもその運動でした。 2010-05-28 23:20:56 takashi murakami @takashipom プロジェクトKO2という海洋堂のBOME氏とのコラヴォレーションは、オタクのセクシュアリティのディフォルメを『等身大にする』というコロンブスの卵で表現した。(海洋堂は私の発表前に綾波レイの等身大をWFで発表すると言う仁義無き闘いを展開したが、元ネタ的にも歴史的にもKO2が先) 2010-05-28 23:23:23
腐女子は「俺たち男だけで気楽にやっていた空間に、突如入り込んできてナワバリを荒らす不届き者」として男性ファンに散々叩かれてきた結果、自己のふるまいに気をつけるようになったんだろう。単に女性が二次エロという分野において新規参入者だったからだと思われる。これこそ「新規参入者」による勘違い。 ・コミケの参加者は常に女性の方が多い&小さな地方イベントやネットの同人サイトまで含めても明らかに二次オタは女性の方が多い。・「腐女子自重」文化が生まれたのは男性ファンによるバッシングとは無関係。ネットが無かった時代は男性オタと女性オタはあまり接点が無く叩き合う場が無かったし、宮崎事件のせいで男性オタクが世間から大バッシングを受けて大人しくしていた時代も腐女子はバッシングから逃れていた(というか無視されていた)けれどその頃から「腐女子自重」文化はあった。 「腐女子が男キャラをどうこうするのはダメだけどヒロイン
このお盆休み、旧知の友人達と飲む機会があったのですが…リアルの友人・知人にも隠している以上、Q 何で彼女作らないの?A エロゲプレイandレビューができなくなるからに決まってんだろうが!とは回答できるはずもなく、苦しい回答になりました。「休みの日には何をしているの?」と同様、プライベートに関する質問というのは、重度の隠れオタにとっては厳しい質問です。 元同級生のような友人からであれば、ある程度いい加減な返し方をしても許されるのですが、(年上の人を含む)職場等の人からも言われるのがちょっと問題。ゴシップ系のネタという意味以外では、誰も他人(私)のプライベートに興味などないでしょうから、軽く受け流せばいいんでしょうけど。 ただ、質問する側の意図が、(1)「お前に彼女なんてできるはずねぇ」というからかい のみならばまだ扱いやすいのですが、(2)「何で彼女を作ろうともしないの?何か理由があったり、
なぜ、腐女子は男尊女卑なのか? ―オタクの恋愛とセックス事情 (アフタヌーン新書 003) 作者: fujyoshi syndicate(腐女子シンジケート)出版社/メーカー: 講談社発売日: 2009/04/09メディア: 新書購入: 2人 クリック: 97回この商品を含むブログ (24件) を見る この手の本を出せば、内容が比較的に腐女子に親和的であろうと、少なからぬ反発を招くというのは、本書の編集者もさすがにわかっていただろうから、タイトルがこれでGOサインが出るというのは、ある意味宣戦布告なのかもしれない。 思った通り各所方面で批判に晒されている本書であるが、内容についてはとやかく言わない。俺(今回は暫時的に一人称は「俺」)が書きたいのはこの本についてではなく、この手の本が出る度に、批判を展開する人たちの側、つまり腐女子(と自らを言明する女性)についてだ。いや、もっと言えば、オタク
つい先日、エルサレム賞という、イスラエルの文学賞が村上春樹に対して贈られ、そしてその受賞スピーチの席上で、村上春樹が、イスラエルのガザ攻撃を批判したというニュースが話題になっていた。そのニュースによると、村上春樹は軍事力による攻撃や、分離壁の建設を「壁」とし、そしてその壁によって殺される者を「卵」として、「どんなに壁が正しく、どんなに卵が間違っていても、私は卵の側に立つ」としたそうだ。 それについてどう解釈できるかは、またこの文章の終わりに書くとして、日本におけるそれへの一般的な反応としては、まず、村上春樹はそういう生臭い政治的なものを忌避している代表のような文学者なのだから、今回の様なスピーチをするというのは意外だという声があり、そしてそれとは反対に、とくに最近の村上春樹は、そういう自分の範を超えた大きな「世界」に対してコミットメントするようになってきたから、今回の様なスピーチも意外では
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