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語りの権力性と教養主義に関するcrowserpentのブックマーク (4)

  • バカほど「それ、意味ありますか」と問う | プレジデントオンライン | PRESIDENT Online

    私は「1986年分水嶺説」を唱えている。今年31歳になる「86年生まれ」と、それ以下の「86年以降生まれ」には、実は大きな違いがある。 「86年以前世代」は、阪神・淡路大震災や地下鉄サリン事件、援助交際ブームなどを経験しており、「社会は5〜7年ごとにガラリと変わる」という感覚を持つ。 他方「86年以降世代」は「社会はこのままずっと続く」という感覚を持つ。彼らが思春期を迎える97年頃から、日社会は「平成不況」が深刻化、以降の変化が乏しくなった。だから「どうせ何も変わらないのであれば、周りに合わせるしかない」という構えになりやすい。 世代はクリアカットに区切れないので、同じ傾向が30代前半から見られる。いずれにせよ先行世代は、若者の「劣化」を認識したほうがいい。具体的に説明しよう。 なぜ性体験のない若者が増えたか 「86年以降世代」は、物心がついたときからネットのコミュニケーションに依存する

    バカほど「それ、意味ありますか」と問う | プレジデントオンライン | PRESIDENT Online
    crowserpent
    crowserpent 2017/10/22
    「宮台先生もとうとう『近頃の若い者は~』を言い出したか…」と思いかけたけど、だいぶ前から言ってたような気もする。/こういうの読むと「他者の想像力のなさを断ずる」理屈は危険だなー、って改めて思うね。
  • 渡邊芳之先生ynabe39の「普通に考えて菅さんや鳩山さんや安倍さんや石破さんよりあなたのほうが賢いなんてことありそうもないじゃないですか。」

    北海道帯広市 · twilog.org/ynabe39 渡邊 芳之(わたなべ よしゆき、1962年4月22日 - )は日の心理学者。帯広畜産大学人間科学研究部門(人文社会・体育学分野)教授。博士(心理学・東京国際大学)。 佐藤達哉、尾見康博との共同研究を中心に心理学論、心理学史、人格心理学や血液型性格分類の批判的検討などの分野に論文・著作を持つ。趣味はレコード蒐集。 http://ja.wikipedia.org/wiki/渡邊芳之 渡邊 芳之 -帯広畜産大学- http://www.obihiro.ac.jp/ichiran/watanabe_yoshiyuki.html

    渡邊芳之先生ynabe39の「普通に考えて菅さんや鳩山さんや安倍さんや石破さんよりあなたのほうが賢いなんてことありそうもないじゃないですか。」
    crowserpent
    crowserpent 2014/01/27
    政治家批判者が政治家より「うまくやれない」からって、批判自体がダメってことにはならないよ。
  • 「知の権力」について - モジモジ君のブログ。みたいな。

    「知の権力」ですか。> http://d.hatena.ne.jp/mojimoji/20091008/p1#c1255838841 > id:kurahitoさんのコメント 追記:TBを受けて、末尾に。 「知の権力」というのは、いかにも形容矛盾な感じがしますね。「知」が「知」と呼びうるものであるならば、「右」ならば「右」としか言えず、「右」とも「左」とも言える恣意性の働く余地はないからです。たとえば、「共に生きる」ならば「分ける義務」が論理必然的に出てきます。「共に生きる」と「分ける義務の否認」は、どうやっても両立しえないし、両立するとしたら、それは「知」と呼びうるものではないでしょう。 一般に「知の権力」と呼んで批判されるのは、たとえば、「共に生きる」と「分ける義務の否認」を「知」として流通させることのできる権威であり、権威を支える制度です。重度障害者の「分配せよ」に対して「財源がない

    「知の権力」について - モジモジ君のブログ。みたいな。
    crowserpent
    crowserpent 2009/10/21
    この人が自らの語りの「暴力性」を見ないようにしていることだけはよく分かった。
  • 西ケニアにおける「女子割礼」について - 小田亮のブログ「とびとびの日記ときどき読書ノート」 2009-09-26

    アフリカの女子割礼について話題になっているようです。私は、ケニア西南部とタンザニア西北部の国境をまたいだ地域に住んでいるクリアという民族について、西ケニア側で現地調査をしており、1990年代後半に、クリア社会の男子割礼と女子割礼の調査をしたことがあります。 その成果の一部は、科研費の成果報告書ならびに博士論文という形で発表していますが、一般に読まれる形での発表ではありませんでした。アフリカの女子割礼への関心がすこしでも上がっているときに、現地調査したことのある人類学者として、現地の声を紹介する義務があるだろうと思い、緊急エントリーをアップします。 民族誌的事実を紹介する前に、まず、アフリカの女子割礼を廃絶するために人道的介入をすべきだという人権派と、現地の声や当事者にとっての意味を知ることが大切だという、文化相対主義的な立場をとる人類学者との間のディスコミュニケーションについて、私の意見を

    西ケニアにおける「女子割礼」について - 小田亮のブログ「とびとびの日記ときどき読書ノート」 2009-09-26
    crowserpent
    crowserpent 2009/09/30
    「(人道的介入というやり方では)現地の女性たちに矜持や自負を保持させるという目的をかえって達成できない」
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