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ジャイアンと考察に関するdaisukeeHTNのブックマーク (4)

  • 女をモノ扱いするのは男の仕様、あるいは男の性の脆弱性と所有欲について - ohnosakiko’s blog

    今週は、女をモノ扱いし女の人格を尊重しない男が世の中には多いので、女性にとって性的に欲望されることは単純に歓迎できないという話のブクマタワーがどんどん高くなっていくのを、あっけにとられて見ていた。 おそらくここでも、内容の是非というよりは話法を巡って(もちろん話法は立ち位置に深く関係する)対立や齟齬が生じていると思われるが、それに深入り言及するのは避ける。 一つだけ、ブコメやハイクでid:simplemindさんが、何の得にもならないのに焼け石に水的な介入と議論整理の努力をされているのに少し感動した。特に感心したのは(別の記事のメタブだが)これ。 自分の事を「殴るどころか怒った事もない優しい性格」だと長年思ってたけど単に人と距離を置いてただけだと結構最近気が付いた/自分の暴力衝動とどう付き合うかは強さとか優しさだけじゃなく経験とか技術も要るよね http://b.hatena.ne.jp/

    女をモノ扱いするのは男の仕様、あるいは男の性の脆弱性と所有欲について - ohnosakiko’s blog
  • 中間または合併① | 意味不明なヒトビト

    私は多くの発達障害の方と接してきて、ADHDとASについて考え続けている。その中で、「ADHDとASの中間または合併(両方)ということを考えるか」という問題は一番大きな問題だ。 私は中間や合併の診断をしない。その理由は、「その人の困っている問題の解決やコーチングを行ううえで、両方ともいった診断が使いにくいから」だ。 実際には当事者も多様であり、「注意欠陥だけでくくればADHDに分類するべきだが対人関係の特徴を見るとAS的」というような人(受動型AS)も居られ、逆に私がADHDのACやAS被影響症候群のADHDと呼んでいる人は表面上注意欠陥は目立たずADHDっぽくない。 だからいっそのこと「パーツの組み合わせ」という考え方にして、「ここだけはADHDでここはAS」という表現も確かにある。 しかし私が引っかかっているのは、例えばこれまで記述してきた、「バラバラの認知と関連付けすぎの認知」、「人

    中間または合併① | 意味不明なヒトビト
    daisukeeHTN
    daisukeeHTN 2016/10/13
    "注意欠陥だけでくくればADHDに分類するべきだが対人関係の特徴を見るとAS的というような人(受動型AS)も居る" "「ここだけはADHDでここはAS」も確かにある" "微妙な位置づけとなるのは「自己正当化型ADHD」「受動型AS」"
  • のび太とジャイアン2 | 意味不明なヒトビト

    のび太とジャイアンの関係を図示することをずっと考えてきたが、やっと図が完成した。 https://docs.google.com/open? id=0ByyeK0qS9vvSekFqWndqSUpnMkU https://docs.google.com/open? id=0ByyeK0qS9vvSaHJNN3dYc2dlU3M (上記の改行をくっつけて閲覧してください。同じものです) さて図の意味は、以下の通り。 1.ADHDは能力の特徴でのび太とジャイアン予備軍に分かれる。その違いは状況察知能力である。いわゆる空気が読めないADHDがのび太で、自分の有利不利だけは察知できるのが「ジャイアン予備軍」だ。 2.のび太は理解の乏しい環境で二次障害が重症である場合は「のび太AC」となり、逆に理解された寛容な環境では「合理的ADHD」に成長する。 3.ジャイアン予備軍の中で、「合理的な説明があり例

    のび太とジャイアン2 | 意味不明なヒトビト
    daisukeeHTN
    daisukeeHTN 2016/09/12
    "この図に記した「ジャイアン」は全て能力と環境の相互作用で出来た二次的な適応型であり、環境と適応型のスタイルをリセットすれば、合理的なADHDに回帰することが出来る" http://bit.ly/2cwMgMy (ADHDtable120527.doc)
  • のび太とジャイアン1 | 意味不明なヒトビト

    私はこれまで「ADHDとASはどこが違うのか?」を中心テーマとして考え続けてきた。 私自身ADHDとして、自身の他者への無関心さ、自己中心性、「上から目線」への過剰とも言える反応(怒り)、その結果としての中心志向の自己突っ込み(ジャイアン的な諸特徴)に私自身苦しみ抜いてきた。 また私の母に見られる救いがたい浅薄な表面的認知、「世間体」と自己正当化にしか関心がない特徴も同じADHDの一つの特徴として考え続けてきた。 私が「ジャイアン」と呼んできたものはこれらの情緒的な自己中心性、常に相手より優位を保とうとする行動特性、または常に自分に大多数の関心を引き続けることへの強迫性を併せ持つADHDの姿であった。 これらの一見情緒的で「他者との関係に強迫的になるように見える」認知と行動の特性がASとどこが違うのだろうか、という関心がこれまでの私の中心であった。 今やこの問題の答えは、「ASは個体同士の

    のび太とジャイアン1 | 意味不明なヒトビト
    daisukeeHTN
    daisukeeHTN 2016/09/08
    (ジャイアン)"他者への無関心さ、自己中心性、「上から目線」への過剰反応(怒り)...中心志向の自己突っ込み" (のび太)"「自分に何が有利なのかを見抜く状況察知能力が非常に乏しい」" 続→http://bit.ly/2c2KHk3
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