凹凸ちゃんねる 発達障害・生きにくい人のまとめ 発達障害と心の病、LGBTからコミュ症まで。メンタルヘルス&現代のマイノリティに関するまとめサイトです。 ※旧「発達障害ちゃんねる」
複雑化する発達障害の定義 高度なコミュニケーションが求められるいまの日本がそうさせているのでしょうか。発達障害と診断されたり、自分のことを発達障害ではないかと考える人が、大変な勢いで増えています。 現在の分類では、発達障害には、ADHD(注意欠如・多動症)、ASD(自閉スペクトラム症)、LD(学習障害)の3種類があるとされていますが、この呼び名にしても、ASDの中にはアスペルガー症候群が含まれたり、Dのdisorderを「障害」と訳すか「症」と訳すかなど、さまざまに変遷を重ねています。 ADHDとASDの区別の付け方も一般の人には分かりにくく、発達障害をめぐる状況は、発達障害の人を対象とした発達障害ビジネスが活況になるのと比例して、混乱を増しているといってもいい状況です。 そんななか、発達障害の当事者のみならず、定型発達者(発達障害ではない人)にとっても大いに参考になる、コミュニケーション
ASは「理解」を例外なく当たり前に求めることが多い。 隠すことはむしろ少なく、自分から診断名や自分の大事なことをオープンにして、関わる全ての相手に理解を求める。 あるASの当事者が障害者施設の中でカミングアウトを希望し、私が相談に乗った。本人の中にもカミングアウトへの不安と理解を求める思いが交錯し、迷っていた。 理解を求める思いは非常に強く、実際より小さい施設で実験的にカミングアウトを試みたときには本人に精神的な成長が見られた。 しかし今度は規模も大きく、いろいろな人が出入りする環境で、より世間に近い。実際にカミングアウトしたとして、それが原因で周囲の職員や当事者が疎遠な態度を取るようなことがあれば、理解を求める分だけダメージは大きくなる。 ASの世界理解には、「相手の都合を考慮しない」という特徴があるように思う。自分のほうから見た世界だけで方針は決定され、「相手がどう受け止めるか」につい
ジャイアンは「出来れば責任を回避して丸投げしたい」という基本的な志向を持つので、相手がやってくれると言えば何でも「ラッキー」とばかり丸投げする。 逆に現実的に自分が不得意なことで相手が快くやってくれることを任せるのは「利用」であり、この「利用」はジャイアンにとっては(世間の多数派にはどうかはともかく)「健全」な行動と言える。 この違いについて考えていたが、結局ポイントはジャイアンの尊厳たる「自己責任の原則」に反するかどうかの問題であると分かってきた。 例えば割り勘の計算を任せること、また私の場合は新築の自宅の設計の相談などをカミさんに「丸投げ」したのだが、これは相互納得の上での「利用」に近いと考える。 反対に、「不健全」な丸投げは、例えば最近テレビをにぎわしていた某芸能人のように、「自分のステータスを夫の社会的地位に丸投げする」というようなことである。 この違いの根本にあるのは、「そのこと
2004.10.21 投影(Projection)と投影性同一視(Projective Identification) (2) カテゴリ:カウンセリング心理学~大学院編~ この間、フロイトとボルビーについてお話した「投影と投影性同一視」について、その二つの違いが、見分け方がよく分かっていない部分もあって、最近、ずっと考えていました。 偶然にも、この間、学校の方のスーパーバイザーと会って、詳しく投影と投影性同一視の話をしたところ、参考になる文献を、その時ちょうど持っているという事で頂きました。まさに、その文献の題が「Clarification of Projective Identification(投影性同一視の明確化)」というもので、そこには、防衛機制の”投影性同一視”を、どのように”投影”と違うのかを、ケースを交えながら、分かりやすく説明されています。 ★投影とは、基本的に自分の中(感
さて、最後に 定型発達者から教えて貰った、人心掌握法について 記載したいと思う。 定型発達者Aが言うに、 メリット(利益)の提供をする際、留意する点があるという。 どうすればいいかというと、 多少大げさでもいいので、 相手への忠誠心を見せるべし、との事。 具体的に書こう。 例えば、 「ごめん、出来たら昼休み中に 荷物を運んでおいてくれない?」という依頼を受けたとする。 その際、「分かりました」と言うのではなく、 「えぇー昼休み中ですか!? まぁ・・・先輩の頼みだったら、俺やりますよ!」 と言う風に、 "本来なら、したくない事ではあるが、 あなたの頼みであれば喜んでやります" という旨を伝えると相手は気分を良くし、また好感度も上がる、らしい。 定型発達者A曰く、 どうせ依頼を受けるんだったら、 出来る限り感謝される状態に持っていった方がいいでしょ? 「はい分かりました」とかいう返事じゃ、たい
アスペルガー症候群の好みの女性や男性はどんなタイプなのでしょう? アスペルガーでも好みは人それぞれなので一概には言えないと思いますが・・・ アスペルガーの好みの女性や男性 自閉症スペクトラムは基本的に自分の言う事を聞いてくれるような人を選ぶのではないでしょうか。 自分が自閉症スペクトラムだと知らなくても、意見をなんとしてでも通すタイプだとは気付いているはず。 だから言い争いにならないような彼や彼女を選んでしまうのです。 少しは自分の事が分かっているからなのかもしれませんね?! アスペルガーが絶対に選びたくない相手 私は女性の発達障害なのですが、まず選ばないのは 俺について来い!!! なんていう人。こんな人とは対立しかしない事を知っているので恋人としては選びません。 やっぱり一緒にいて楽しいと思える人がいいですしね(汗) 次に、あまり近寄り過ぎない人。 発達障害は自分のやりたい事が最優先なの
私はADHDである。ADHDの一大特徴は、「人に執着しない」ということである。小さい頃から母親が不在でもあまり泣かず、親に頼らず自分で何でもしようとする。 思春期には人とつるまず、孤立していじめにあったりする。結婚は成り行きで「ただそのとき一緒にいたい」から。夫婦冷却してもカネのためと割り切って離婚しないこともある。最終的には自分の好きなモノがあれば無人島でも平気で暮らせる。 究極の「猫的生き方」であると私は思う。オオカミ的な群れは作らず、干渉されなければ無駄な戦いもしない。来るものは拒まず去るものは追わない。体育会系の人にはさぞ自己中に見えることだろう。 愛着の対象とそれ以外の極端な差別を持つオオカミ的なアスペルガーとは対照的である。私はADHDとASの鑑別にこの特徴(人に対する執着の有無)をよく用いる。 下記に関連記事あり http://www.geocities.jp/yanbaru
ジャイアンの脳は本来「責任を取りたくない」性質を持つ。 責任を負うと、うまく行かなかった時に自己突っ込みをしなければならず、また、失敗のときに他者から攻撃されても反論できない。 だから、(責任を負っていたとしても同じだが)「うまく行かなかった時だけ人のせいにする」という特有のみっともない行動パターンとなる。 と言いながら、「仕切る」ことは好きなので、ああしろこうしろと口だけ出したりする。うまく行ったときは自分の功績にして自慢したがったりもする。 自分の子供でさえ、ジャイアンは当たり前の親としての責任を自覚しない。極端には「問題」がなくなると忘れてしまったりする。自分が不安にならないことのほうが優先するので、パートナーでも施設でも、出来ることなら「丸投げ」したいと考え、実際丸投げすることも多い。 他者の責任逃れには異常に厳しいのに、自分が丸投げしていることについては無頓着で、問題に気づきさえ
AC、人格障害関連 ジャイアンの「面倒を見たい」衝動 2008/1/23 AC、人格障害関連, ADHD関連, AS(アスペルガー)関連, その他(医療関連), 研究, 診療 コメント: 39 合理的なADHDが実にさっぱりと「人にこだわらない」(例えば嫉妬心が無い等)のに対し、ジャイアンは特にASの人に対して「放って置けない」「離れられない」「引き寄せられる」感情が確かにある。 私はジャイアンとASの違いについて診断分類を突き詰めて考える作業の中で、この感情(衝動)について考えてきた。 現段階の結論は、これは「面倒を見たい衝動」とでも呼びうるような衝動である。いくつかの複雑な感情が入り混じって、渾然一体となったような非常に複雑な感情だ。 この衝動には、①好奇心、②仕切りたい(コントロールしたい)③守ってあげたい、④依存したい、の各側面があり、なおかつ「このうちのどれか」だろうと特定しにく
受動型ASは「非言語的フォロー」というジャイアン猫が飛びつくマタタビを持ち、小出しに出されるとジャイアン猫は簡単にマタタビ依存症にかかる。 ただここに大きなジレンマがある。「必要」がはっきりした後はマタタビは無くなるのだ。 「釣った魚に餌をやらない」という表現は受動型ASの行動を非常に良く表している。受動型ASからすれば、「相手(ジャイアン)からの自分の必要」が保証されるまでは非常にやさしく(非言語的なマタタビいっぱいの)サービスをするが、いざ結婚するなりを期に「必要」が保証されれば、今度は受動型ASの側が依存できるわけで、サービスはぱったりしなくなる。 しかもこの依存は「面倒を見てやっている」「自分のおかげで生きていられるだろう」という共依存なので、思い切り偉そうで上から見下ろすような恩着せがましい態度に「豹変する」という結果が必然的に起こる。 ジャイアンから見てこれが腹に据えかねること
最近私は発達障害当事者に「冷たく」なっている。ADHDにもASD(自閉症スペクトラム)にも、私が以前に行動してきた「事実、行動」としての配慮を「本来するべきではない」と考えるようになってきたからだ。 ADHDの場合、KY(状況察知能力の不足)が重症なケースは、「やってくれるのが当たり前」という風に認識してしまう。 相手が私でなくても要求する可能性があり、また相手が私でなければ要求しないのであれば私もしないほうが良いだろう。またASDの場合は、「この個人的関係では当たり前」という風に認識されることが多いだろう。 いずれにしても、その瞬間に「依存」が生じ、これは当事者自身のためにマイナスでしかないのだ。 基本原則としては、「理解はするが配慮はしない」という風にするのがベストと考えつつある。 他方で私は発達障害の中学・高校生の主治医としては、例えば「高校入試の配慮で1.3倍の時間を要求する」 な
共依存を正当化する周囲の人や自分自身を誤魔化すための言い訳は多彩で、一見するともっともらしいように見える。 特にジャイアンは一見もっともらしい言い方をされると言葉に騙されて真に受けたり、またこれ幸いと丸投げに乗ってしまったりする。 例えば「無償の愛」とか、「恋愛」、「(親の面倒を見る)社会的な義務」「まともなコミュニケーション」等、多数派の世界ではある程度共通の理解を得られるあいまいな言葉が共依存を正当化するために使われることが多い。 私はつとめてこういうあいまいな用語を使わないようにしている。何故なら誤魔化しの世界で議論しても意味が無いからだ。 言い訳や自分を誤魔化すための用語は排除したほうが良い。 特に、ジャイアンは「自己中で自分の欲だけに忠実な野良猫のような存在」であり、またASも「どんなに努力しても自分勝手な共依存的で支配的な愛し方しか出来ない」ことは明らかなので、われわれ発達障害
いろいろな角度からASとジャイアンの共存の可能性を最近考えてきて、何となくポイントが見えてきた。 共存の障害① 根本的な思考のあり方 ジャイアンはASの、「自分が多数派側に立つ」「自分の考えは一般的普遍的である」というような思考を、激しく独断的(「井戸の中」と呼びうる)と認識する。「何の根拠があってそう言えるのか?」、「あなたは神様か?」という不合理さへの反発とともに、「中心の方向から蔑まれている」という激しい反発が起こることは避けられない。(ただしこれはASが徹底的に合理的な環境で鍛えられた場合には例外は生じうると私は思う)。 共存の障害② 表現方法 ジャイアンはASの「非言語的な表現」に過剰反応する。ここのコメントの中でもmario氏の主張に対して、ネット上の言葉での書き込みであるにも拘らず、「その言葉の背景に感じられる思考の前提」や「ちょっと漏らした本音的なためらいの感情」などの部分
自己正当化型ADHDケース③パニック障害様 年配女性に多いパターン。本人の主訴はパニック障害様の身体症状と軽度のうつ状態で、毎回カウンセラーにDVの被害や、セクハラ、夫や子供の愚痴、結婚前の別の男性への思い等をひとしきり話し、周囲の人のせいで自分はどれだけストレスがあるか、そのせいでいろいろな症状に苦しんでいることを訴えていく。「更年期かしら」という感じで心療内科に受診する。 こちらからの何かの助言を求めるわけでもない。話を肯定して聞かないと立腹してドクターショッピングのように通院先を変える。 ひとしきり話せば満足して、それ以上の治療は求めない。薬は抵抗がないが、自分の勝手な好みで薬を要求し、副作用を大げさに訴えるので薬剤調整は難しい。 通常は「社会不安障害」とか「パニック障害」という診断名で、重症の精神科的病名を嫌う。自分には問題はなく、周囲の人が問題であるので自分は被害者被害者としてス
私の仕事新卒で入った会社は、PCサポート兼事務職で、約10年間ずっと議事録を作る仕事をしていました。 会議ごとに自分の所属している部署とは別に会議名の付く委員会があり、その会議の末席でひたすら議事録を書く仕事をしていました。議事録書きといっても単純な記録であれば、慣れればそれほど難しくはないのですが、この会社はがちがちに組織が硬くて、組織の意思決定の議事録というのは人間関係にとても気を使いました。 私が書いた議事録はまず主査と主任代理にチェックをもらって直しを受けます。そして主任、調査役、課長代理、課長代行、課長補佐、課長、担当課長、別部署の主任代行、課長1、課長2、部長代行、部長補佐、部長補佐2、担当部長、副部長1、副部長2、部長、本部長代行、本部長補佐、本部長、常務、専務と順番に稟議されていくわけですが、当然1人でも却下されたら、また最初からやり直しとなります。その度に議事録の修正票を
逃げる、距離を置く、接触を断つ。 既にターゲットとなり、格下の人間扱いされている場合、モラハラ加害者の認識を変えることは難しい。 自己愛性人格障害は自分の非を認められない障害なので自分の障害もモラハラも認めない、自覚できないので治らない、脳の問題であり治療は不可能という説もある、一瞬反省しても一定期間経つと記憶が消去され同じことを繰り返す、などの理由から治療の継続が難しく医者もさじを投げます。死ぬまで治らないケースがほとんど。 できる限りのことを試し、自己愛性人格障害、モラハラ加害者の自覚を促してみて、それでもダメなレベルなら諦める。プライドを傷つけない形で距離を置き逃げて下さい。 ← モラハラ対策、解決策まとめ 既にターゲットになってしまった場合は手詰まり 自己愛性を持つ相手に対する接し方の改善点は、 既に相手にナメられているようならば、もう手詰まりです。 恐らく何があっても自己愛性を持
アスペルガー症候群の中でコミュニケーション能力が最も高いのが積極奇異型。ある意味で定型発達者を超えている、とも言えるかもしれない。幼少期から言語による理解力が高く、早熟。大人から見れば頭が良いという見かけで、いじめによる不適応などがない環境で生育すれば勉強ができて成績優秀。親から見てもしっかりとした優秀な子、学校でも教諭らから見たら学級委員長を任せられるようなリーダーシップを発揮できるタイプ。行動力があり、学童時代から負けず嫌いで、勉強以外に運動などもしっかりとすれば運動神経も高くなる。 発達障害者に限らず、コミュニケーション能力向上の鍵は「人との交流の量」。人は、より多くの人と雑多な交流をして、失敗や成功を繰り返すことでコミュニケーション能力を高めている。人との関わり方が奇異とは言え、対人緊張もなく積極的に人に近付いていく積極奇異型は、組織に受け入れられて順調に成長すれば、人との交流をあ
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く