ポツダム宣言の受諾、日本国憲法の制定、国連加盟は、日本の国家方針を「大日本主義」から「小日本主義」に転換した。アジア・太平洋戦争は「大日本主義」の総力戦であり、その敗北は「大日本主義」の終えんとなった。 「保革」「左右」を超えた野党再編の対立軸は何か/上 「小日本主義」を国家方針とする日本国憲法と55年体制 なかでも、憲法は国民主権・基本的人権の尊重・平和主義の原則を定め、明確に「小日本主義」の国家方針を定めるものであった。石橋湛山が示した「小日本主義」の民主主義・個人の尊重・植民地全廃・軍備撤廃・国際協調のすべてを憲法は備えていた。憲法9条について、石橋湛山は憲法の「最大の特色」との認識を示し「痛快極まりなく感じた」と評している(注18)。 もはや、日本の国家方針は「小日本主義」で決着した一方、資本主義と社会主義という異なる対立点が大きくなった。アメリカを中心とする資本主義陣営と、ソビエ