「山崎行太郎という無名の評論家と論争しても公的異議はないから無視する」と、いかにも公的人物らしい立派な台詞を吐きつつ論争から逃げたにもかかわらず、小林よしのりは、無視・黙殺すればいいのに、性懲りもなく、「佐藤優の茶坊主」とか、「売れない文芸評論家」とか、様々な侮蔑発言を繰り返しつつ、小生に論争を挑んでいるようである。論争相手の名前も書けない小心の小便小僧の癖に、僕が名付けた「マンガ右翼」という言葉には深く傷ついているらしく、「マンガ右翼」という言い方は「マンガ」への差別だとヒステリックに喚いている。僕は、「漫画」も「右翼」も差別しないし、それ相応に尊敬し、評価するが、「マンガ右翼」は軽蔑し、差別してもいいと思っている。むろん、「マンガ右翼」という名称に値するのは、マンガで右翼思想や保守思想を低俗化して描いて、いい気になっている「小林よしのり」しかいない。さて、「風景は一つの認識的布置であり