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民族主義に関するkiku-chanのブックマーク (6)

  • 韓中の反日行動が逆に日本の教科書問題を助長

    「民族=想像の共同体」と主張して世界的に名を知られた米コーネル大のベネディクト・アンダーソン(69)名誉教授(東南アジア政治学)が、初めて訪韓した。 アンダーソン教授は、民族は古代から続く血縁共同体でなく、近代資主義の発展によって作られたと説く。 アンダーソン教授は、韓国東南アジア研究所(所長:ソウル大人類学科呉明錫教授)と西江(ソガン)大東亜研究所(所長:同大政治外交学科辛尹煥教授)から招請され、26日午後、西江大で「東南アジアのブルジョア寡頭制」というテーマで特別講演を行った。 講演前日の25日の夕、アンダーソン教授と会い、最近「歴史紛争」でかまびすしい東アジアの状況について質問した。 アンダーソン教授は、民族主義の批判者らしく誰が正しく誰が間違っているのかに重点を置くことなく、全体的に冷ややかな口調で質問に答えた。 --日の扶桑社が出版した教科書の内容のせいで、歴史歪曲と領土問題

    韓中の反日行動が逆に日本の教科書問題を助長
    kiku-chan
    kiku-chan 2015/05/09
    参考にとブクマしたら、勘違いして韓国批判するバカが湧いてしまった件
  • 宮台真司が語る沖縄の生きる道「問題は基地反対の先にある」 - 本と雑誌のニュースサイト/リテラ

    11月16日に投開票を控える沖縄県知事選挙。現職・仲井眞弘多知事による、米軍普天間基地の辺野古移設を目的とした埋め立て承認の是非が最大の焦点だ。この推進・反対をめぐり県内保守勢力が分裂。国内米軍基地の7割以上(面積比)が集中する沖縄で、基地返還への熱気が近年最大の盛り上がりを見せている。 一方で「問題は基地が還ったその後にこそあります」と指摘するのは、社会学者の宮台真司だ。10月には作家・仲村清司との対談『これが沖縄の生きる道』(亜紀書房)を上梓し、従来とは別の角度から沖縄を論じている。琉球諸島へ何度も足を運び、元知事・大田昌秀氏とも議論するなど、深い場所から沖縄の考察を試みる宮台にインタビューを敢行した。話題は沖縄だけに留まらず、地方の〈ヤンキー〉、ネット右翼問題、そして〈劣化〉問題へと発展。前・後編にわたってお届けする。 ……………………………………………… ──まずは今回の沖縄県知

    宮台真司が語る沖縄の生きる道「問題は基地反対の先にある」 - 本と雑誌のニュースサイト/リテラ
  • アイヌ研究者による「アイヌ民族とは何か?」

    丹菊逸治 @itangiku 札幌市民として件の市議、「金子快之@札幌市 kaneko_yasuyuki」氏の8月11日のツイートについてちょっと考えてメモしておく。「アイヌ民族なんて、いまはもういないんですよね。せいぜいアイヌ系日人が良いところですが、」という例のやつである。 2014-08-16 00:34:37 丹菊逸治 @itangiku .@itangiku 「せいぜいアイヌ系日人が良いところ」というのはどういう意味なのか。なぜ「せいぜい」なのか。「せいぜい」というのは何か程度が計れるものについて「程度を多く見積もっても」というような意味で用いられる言葉だ。 2014-08-16 00:37:35

    アイヌ研究者による「アイヌ民族とは何か?」
  • ボスニアでナショナリズムについて考えた 週刊プレイボーイ連載(154) – 橘玲 公式BLOG

    6月16日午前0時。ボスニア・ヘルチェゴヴィナの首都サラエボの中心にあるショッピングセンター前は群集で埋め尽くされていました。多くは20代の若者ですが、高齢者や女性の姿も混じっています。 広場に据えつけられた巨大なモニターにブラジルのサッカー会場が映し出されると大歓声があがり、発炎筒が焚かれ、花火が何発も打ち上げられました。ワールドカップの舞台にボスニア国歌が流れる歴史的な瞬間が訪れたのです。 ユーゴスラビア解体で1992年から95年まで続いたボスニア内戦は、20万人の犠牲者と人口の半分に迫る200万人もの難民を生み出しました。これはセルビア人、クロアチア人、ムスリムの“民族紛争”とされていますが、彼らはもともと異なる民族ではなく、南スラブ人として同じ容姿、同じ言葉、同じ文化を持っています。 そんなひとびとを隔てるものは宗教です。地域性や歴史的経緯から、バルカン半島の北西部ではセルビア正教

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  • 争奪の地、アルザス・ロレーヌ地方の今 国境と国益(第13回) | JBpress (ジェイビープレス)

    我が国が北方領土返還を求める根拠としてよく説明に使う言葉に「歴史的に見て、我が国固有の領土である」というものがある。確かに、択捉、国後、歯舞、色丹の諸島は、太平洋戦争終結前後に旧ソ連が占領する以前は、一度も外国領土とはならず19世紀の日露交渉の中でも争いなく「日の領土」と相互承認されてきた。 しかし、事実は事実としても、説得力ある根拠として「固有の領土」を挙げるのは、欧米の人々にピンとこないようだ。というのは、ヨーロッパは中世から近代、そして20世紀半ば以降に至るまで、国境線(民族国家が形成された上での)はずっと同じところに固定されているものではなく、紛争や周辺諸国との力関係で変動するものだからだ。 そもそも現存する国家そのものが、ある時代にはまるまる他国領土内に組み込まれていたりするし、国境を挟んだ両方の地域にほぼ同一の民族(使用言語が共通である)が分布したりもするので、海で区切られた

    争奪の地、アルザス・ロレーヌ地方の今 国境と国益(第13回) | JBpress (ジェイビープレス)
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