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民族に関するkiku-chanのブックマーク (2)

  • 大学院に入ったら「日本人の民族性」の話はとりあえず疑うべき - こにしき(言葉・日本社会・教育)

    前口上 まず大前提として。以下の記事を便宜的に引用していますが、「晒しあげてやろう」という意図はありません。 これを書いた意図は、「日人性/国民性/日文化」に関する言説が、英語教育界やグローバル人材育成業界において、安易に再生産されていることへの危機感ゆえです。したがって、「嗤う」ために引用したものではないことをお断りしておきます。 ただ、結果的に「晒しあげ」の形になってしまいました。そこはあらかじめ謝っておきます。(まあ、「プロ」になってから間違えるより、修士のうちに間違っておいたほうが長期的に見れば収穫が多いはずなので、あまり気にせずに今後もポストを続けてください) 日人性? 日英語教育学会での発表と参会記 - 明海大学大学院応用言語学研究科 英語教材作成の方々など、様々な方が集まり、発表なさった中、誰しもが課題にしていたのは教育における何らかの「日人性」でした。その日人性

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  • ナショナリズムを考える基本としての四類型と日本の単文化主義 | Kousyoublog

    アーネスト・ゲルナー著「民族とナショナリズム」 「ナショナリズムとは、第一義的には、政治的な単位と民族的な単位とが一致しなければならないと主張する一つの政治的な原理である。」(P1) 「端的に言って、ナショナリズムとは、エスニックな境界線が政治的な境界線を分断してはならないと要求する政治的正統性の理論であり、なかんずく、ある所与の国家内部にあるエスニックな境界線によって――これは原理を一般的に定義したときに、正式にはすでに排除された偶発的なケースではあるが――権力の握るものが他の人々から切り離されてはならないと要求するそれである。(P2)塩川伸明著「民族とネイション―ナショナリズムという難問 (岩波新書)」(P22-26)によると、以上のアーネスト・ゲルナーによるナショナリズムについての定義を前提として政治的単位=国家の領域と民族的な範囲=ある民族の分布範囲の空間的な大小関係を基準とした場

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