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書評に関するkiku-chanのブックマーク (86)

  • 『犯罪の世間学』なぜ日本では略奪も暴動もおきないのか - HONZ

    90年代末以降、刑事司法の厳罰化が進んでいる。80年代からは量刑はざっと見て倍になり、00年の少年法改正を皮切りに法律改正のラッシュが続いた。10年には時効も廃止された。 犯罪が増加したわけでも、凶悪化したわけでもない。むしろ諸外国と比べても日の犯罪率は低い。東日大震災時に被災者が避難所で整然と行動していたことは海外メディアにも絶賛された。 治安の良さとそれにも関わらず起きている厳罰化の流れ。いずれも「世間」に日人が未だにがんじがらめになっているというのが刑法学者の著者の主張だ。 日には社会が存在せず、伝統的に世間が存在したとの指摘は阿部謹也が提唱した世間論で広く知られる。著者は世間を「日人が集団になった時に発生する力学」と定義しながら、「既読スルー」や「空気を読む」を例に世間論を紹介、特徴を解説する。 「世間」には「共通の時間意識」に基づく「人間平等主義」があるため、日人は能

    『犯罪の世間学』なぜ日本では略奪も暴動もおきないのか - HONZ
  • 死者に優しく、弱者に厳しい日本-『日本軍と日本兵』

    2011年春、東北の被災地に行ってきたことがある。 GW後ならば、私のような非力な人間でも需要があるだろうと思い、友人プロジェクトに参加させてもらう形で、規制線内に物資などの支援に行ってきた。 語弊があるかもしれないが、そこで見たのは、死者に優しく、弱者に厳しい世界だった。自衛隊員が絶望的な表情で、膨大な人力と重機で遺体捜索する一方、道路が寸断された向こう側では、眼鏡、スリッパ、毛布、サインボール等が散乱する海岸近くの砂地で被災者たちがテント生活を送り(公共施設からはみ出る形)、そこには水道もガスもトイレもなく、風呂はサウナ、電気は発電機で若干しかない状態だった。他方、上空では、海自のヘリがしきりに遺体捜索で飛んでいた。 元自衛官の友人は、「自衛隊は遺体捜索より、さっさと道路等のインフラを修復し、被災者の生活再建と向上に注力するべき」ではないかと呟いたが、私も同感だった。既に亡くなった方

  • 「ポストモラトリアム時代の若者たち」は僕の中で2012年一番のスゴ本だった-書評-ポストモラトリアム時代の若者たち - 技術教師ブログ

    いやー面白い。心理学、社会学、哲学を往復して現代の社会構造と若者の心理と問題を鳥肌が立つくらい綺麗〜に洗い出した一冊。なぜ腐女子が増えるのか、引きこもりは当にわれわれが想像しているとおりのキャラなのか、イケダハヤト氏や家入氏はなぜ生まれたかなど、これが答えであるとしか思えない内容が書かれている。 ポストモラトリアム時代の若者たち (社会的排除を超えて)posted with amazlet at 13.06.01村澤 和多里 山尾 貴則 村澤 真保呂 世界思想社 売り上げランキング: 198,183 Amazon.co.jpで詳細を見る 書、「ポストモラトリアム時代の若者たち」は、さまざまな社会背景の下、<モラトリアム>を自由に謳歌できなくなった若者たちの心理、環境、事例をあつかったもの。ちゃんと若者論3原則に則りながら、現在の若者について、教育や就職、価値観やヒエラルキー、心理的葛藤

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  • 『日本の男を喰い尽くすタガメ女の正体』を読んで - ohnosakiko’s blog

    話題の新書。amazonでの評価は分かれている。「評価が高い有用性のあるレビュー」(星4つ)が内容を手際良くまとめてあるので、どんなことが書いてあるか知りたい人にはおすすめ。 日の男を喰い尽くすタガメ女の正体 (講談社+α新書) 作者: 深尾葉子出版社/メーカー: 講談社発売日: 2013/04/23メディア: 新書 クリック: 1回この商品を含むブログ (14件) を見る 筆者の主張を簡単に言えば、「高度経済成長期以降に増えてきた男性の自殺、離婚、DV、ネグレクト、晩婚化・非婚化の要因は、結婚が専業主婦やそれを志向する女性にとって、生存競争を生き抜くために「幸福の擬装工作」までして男性を”搾取”するシステムとなってしまっているからだ。物質的・経済的な条件に左右される「幸福の指標」は『箍』となって、男性だけでなく女性自身をも呪縛し、今日の日社会の閉塞状況を引き起こしている。これは、戦後

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  • 日本の歴史をよみなおす - 情報考学 Passion For The Future

    ・日歴史をよみなおす 「聖徳太子は倭人であっても日人ではない」 中世までの日史観を大きく変えた網野善彦の名著の文庫版。続編も収録。 日の社会は十四世紀の南北朝動乱以前と以降では大きく変容しており、その転換期を調べることで、中世日のイメージをとらえなおす。そこには教科書的常識とは大きく異なる、現代と異質の文化・社会が広がっていた。 民衆の生活や風俗に目を向けることで、時代の質が見えてくる。たとえば被差別対象の非人はかつては違った意味を持っていた。著者は非人とは中世以前はケガレに関する職能であったと指摘する。日文化のケガレとは「人間と自然のそれなりに均衡のとれた状態に欠損が生じたり、均衡が崩れたとき、それによって人間社会におこる畏れ、不安と結びついている」ものだが、十四世紀を境に社会が文明化されるに従い、ケガレに対する見方が畏怖、畏敬から、汚く汚れた忌避すべきものという現代の感

  • オタクの電脳ブログ

    2020年9月30日をもってオタクの電脳ブログはサービス終了いたしました。 長らくの御愛好誠にありがとうございました。

    オタクの電脳ブログ
  • http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0239.html

  • 『江戸時代の天皇』 - HONZ

    昨今の「維新流行」はいったい何なのだろうか。政権交代からTPP、政治家の自己アピールまで、なにかと言えば平成維新だ、平成の開国だ、奇兵隊だ龍馬だと、幕末・維新期になぞらえる。江戸時代は由らしむべし、知らしむべからずの封建的・圧政的時代であり、「鎖国」によって激動する世界史の流れにも目を瞑った時代。それを打ち破ったのが明治維新であり、近代国家日の夜明け、日の青春であるという、いわば「維新史観」が厳然と根を張っていているらしい。だがそれは、維新になぞらえてしまえばもうそれ以上深く考える必要もないという、思考停止の作用を働かせてはいないだろうか。維新=善であると。言うまでもなく、維新とは政権を奪取した側が権力闘争と内戦の勝利を「御一新」と呼び、やがて「維新」と呼んだに過ぎず、そもそも善と悪という基準で判断するようなことではない。歴史の流れに「以前と以後」という断層を安易に設定してしまうことに

    『江戸時代の天皇』 - HONZ
    kiku-chan
    kiku-chan 2011/11/09
    麻木さんって、教養人だったんだなあ。
  • 【速水健朗氏インタビュー】ラーメン神話解体――丼の中にたゆたう戦後日本史

    国民として君臨するラーメン。そのスープの1滴、麺の1から、戦後の経済史、社会史、メディア史を見通す。速水健朗氏の新著『ラーメンと愛国』(講談社現代新書)は、ラーメンとナショナリズム、グローバリゼーションとの葛藤を詳密に読み解いた意欲作だ。3年半に及ぶ執筆期間に、いかにして論考を熟成させ、論点をトッピングしていったのか――著者の速水氏に伺った。 ラーメン文化を支えるのは評論家? ヤンキー? ――新著『ラーメンと愛国』は、ラーメンを通して戦後現代史をなぞる、知的興奮に満ちた1冊です。10月18日という刊行タイミングは、ラーメンガイドブックのリリースラッシュともちょうど重なりました。速水氏の読者層以外のラーメンフリークからも反響があったのでは? 速水健朗氏(以下、速水氏)■いやいや(笑)。「ラーメン」と冠したではありますが、激ウマなラーメン屋の情報についても書いていませんし、ラーメン史にエ

    【速水健朗氏インタビュー】ラーメン神話解体――丼の中にたゆたう戦後日本史
  • Passion For The Future: 誇大自己症候群

    誇大自己症候群 スポンサード リンク ・誇大自己症候群 長崎の中学生による児童殺人事件、佐世保の小学6年生による同級生の殺害事件。 「普通の子」が突然、残酷で猟奇的な事件を起こして次々にニュースになる。精神鑑定をしても何らかの障害と診断される程度には至らない」という結論が出されているらしい。 だが、従来の基準では病気と言えなくても、こうした子供には共通する特徴があるという。 1 現実感の乏しさ、自己愛的な空想 2 低い自己評価とそれを補う幼児的万能感 3 他者に対する共感性の乏しさ、罪悪感の欠如 4 突発的に出現する激しい怒りや過激な行動 5 傷つきやすさ、傷つきへのとらわれ などである。こうした一連の特徴を持つ人格を、著者は誇大自己症候群と名づけて、最近の異常事態の根底にあるものだと述べる。誇大自己症候群とは、発達の過程で現実的な自尊心や自信の形成に失敗し、それを補うために幼少期の誇大自

  • Amazon.co.jp: ネオリベラリズムの精神分析: なぜ伝統や文化が求められるのか (光文社新書 314): 樫村愛子: 本

    Amazon.co.jp: ネオリベラリズムの精神分析: なぜ伝統や文化が求められるのか (光文社新書 314): 樫村愛子: 本
  • 男性のオウチ進出 - 『喜婚男と避婚男』を読む - ohnosakiko’s blog

    喜婚男と避婚男 (新潮新書) 作者: ツノダ姉妹出版社/メーカー: 新潮社発売日: 2011/05メディア: 単行購入: 6人 クリック: 124回この商品を含むブログ (7件) を見る オビの文句は「愛を叫ぶか、愛を避けるか。バブル世代のマーケッター姉妹が「男×オウチ」の時代の世相を読み解く。」。 ああまた60年代生まれの女性ライターによる当世男子結婚談義か、この世代の女って「今時の男」について語るのが好きだよねぇ、深澤真紀氏(草男子)といい、牛窪恵氏(お嬢マン)といい、白河桃子氏(婚活)といい、澁谷知美氏(童貞)といい‥‥と思いつつ、ジェンダー入門の授業のネタにはなるかと読んでみたら、意外と面白かった。 「女の時代」ともてはやされた80年代以降、バブルの追い風もあって「女性の社会進出」は進み、消費の中心にいるのは女性で何かと「女の生き方」が語られた。女性のライフプランの選択肢は増え

    kiku-chan
    kiku-chan 2011/05/20
    コメ欄。。。
  • 「認められたい」の正体 ― 承認不安の時代 - 情報考学 Passion For The Future

    ・「認められたい」の正体 ― 承認不安の時代 ソーシャルネットワークとコミュニケーション重視の時代の問題提起。 「家族や仲間の承認のみを求め、それ以外の人々の承認を求めないのは、多くの人間の賞賛を求める野心とは無縁な、ある意味で堅実な生き方のように思えるかもしれない。理解してくれる人が少しでもいればそれでいい、という思いも十分に理解できる。しかし、見知らぬ大勢の人々の承認など不要だとしても、自らの行為に価値があるのかないのか、正しいのか間違っているのかについて、身近な人間から承認されるか否かのみで判断し、それ以外の人々の判断を考慮しないとしたら、それはとても危険な考え方である。」 価値ある行為を行う、それに対して、他者から承認を受ける。この基ルールでの人間の成長が難しくなってきている。価値観の多様化によって社会共通の価値観が崩れ、「価値ある行為」が限定的なものになってしまったことに原因が

  • ぼくたちが望んだ無縁社会 – 橘玲 公式BLOG

    宇野重規『〈私〉時代のデモクラシー』を興味深く読んだので、忘れないうちに感想を書いておきたい。 宇野はこので、19世紀フランスの政治思想家アレクシ・ド・トクヴィル(『アメリカのデモクラシー』)を導き手とし、私たちにはあまり馴染みのない現代ヨーロッパの政治哲学者・社会学者の議論をひもときながら、だれもが「自分らしく」生きることを追及する「〈私〉時代」のデモクラシーの可能性を論じている(以下は私なりの解釈で、宇野のの正確な要約ではない)。 18世紀の産業革命によって経済(市場)は爆発的に拡大し、ひとびとは身分制(階層社会)の桎梏から解放され、人類史上はじめて「自由」と「平等」を理想として掲げることが可能になった。近代化とは、王制(神権政治)に対する社会改革=革命運動として始まった。 ところが第二次世界大戦後、社会がより豊かになると、ひとびとの関心は〈社会〉から〈私〉へと向かいはじめる。これ

    ぼくたちが望んだ無縁社会 – 橘玲 公式BLOG
    kiku-chan
    kiku-chan 2011/01/31
    再帰的近代を説明するのに@miyadaiさんは「合せ鏡」と書いていた気が。企業のQC活動もわかり易い例かな?PDCAサイクルでカイゼンを繰り返すうちに以前なら気にならなかったような問題が大きな問題に感じられるようになる
  • 頼むから裸はやめてと言ったから明治維新は着衣記念日 - 虚無回転レシーブ

    『刺青とヌードの美術史 江戸から近代へ』を読みました。これは個人的に大ヒットでした。面白い。 刺青とヌードの美術史—江戸から近代へ (NHKブックス)posted with AZlink at 2011.1.24宮下 規久朗 日放送出版協会 売り上げランキング: 233633 Amazon.co.jp で詳細を見る 序章でいきなり打ちのめされた。 私はかつて裸で歩き回るのが好きだった。(中略)しかし、上半身だけ裸になって新宿の繁華街を自転車で走っていたところ、誰かが通報したのか、パトカーに追いかけられて呼び止められ、警官に取り調べられたことがある。下半身は黄色っぽいズボンをはいていたのだが、遠目には何も身につけていないように見えたらしい。 また、一時は裸足で外を歩くことに凝り、裸足で電車に乗ったり大学に行ったりしたものだが、美術館に行ったとき、警備員がスリッパを持ってやってきて、無理に履

    頼むから裸はやめてと言ったから明治維新は着衣記念日 - 虚無回転レシーブ
  • 「それでも、日本人は「戦争」を選んだ」 - H-Yamaguchi.net

    このウェブサイトは山口 浩の個人的な考えを掲載したものであり、山口が所属ないし関係する機関、組織、グループ等の意見を反映したものではない。サイトは投資の勧誘ないし銘柄の推奨を目的とするものではなく、サイトに掲載された情報(リンク先ないしトラックバック先の情報を含む)をもとにして投資その他の活動を行い、その結果損失をこうむったとしても、山口は責任を負わない。サイトの記載内容は、予告なく追記、変更ないし削除することがある。サイトに寄せられたコメントおよびトラックバックは、いったん保留した上で公開の可否を判断する。判断の基準は公開しない。いったん公開した後でも、一存によりなんらの説明なく削除し、当該IPを投稿禁止に指定することがある。 このworkは、クリエイティブ・コモンズ・ライセンスの下でライセンスされています(帰属 - 非営利 - 派生禁止 2.1 日)。 「もはや戦後ではない」

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  • ピースボートにハマる「イマドキの若者」とネットワークビジネスとの関係とは?

    街中や居酒屋などで「ピースボート 地球一周の船旅」のポスターを見たことがある人も少なくないだろう。日数や寄港地などによって値段は違うが、なんといっても最低料金99万円(約80日間)で世界一周ができるという点に目が引かれる。そんな「地球一周の船旅」に参加した大学院生がいる。現在、東京大学大学院に在籍している古市憲寿氏だ。 参加したのは2008年5月14日に横浜を出航した「クリッパー・パシフィク号でゆく 第62回ピースボート 地球一周の船旅(この時の最低料金は148万円)」。彼は、この乗船体験と自らの業である社会学の分析をもとに今年8月に『希望難民ご一行様 ピースボートと「承認の共同体」幻想』(光文社新書)を上梓し、その内容は、論壇界隈でちょっとした話題になっている。今回、ピースボートに乗る現代の若者とそこから見える現代の日について古市氏に話を伺った。 ──ピースボートには、どのような経緯

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  • 残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法、橘玲 : 金融日記

    残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法、橘玲 僕の好きな作家である橘玲さんの新刊がでていたので、今日さっそく買って、さっそく全部読んだ。 結論からいうと大変面白いだった。 おそらく橘玲の社会論、あるいは人間論の中では最高の出来栄えではないだろうか。 橘玲の現代社会論の集大成のようで、それでいて最近のホットな話題を網羅している。 勝間和代現象を代表とする最近ずっと続いた自己啓発ブームとその底流に流れる社会の変化、リナックスのようなオープン・ソースに関わる優秀なハッカーたちとそのコミュニティーのルール、日の終身雇用と世界的に高い自殺率、ツイッターのような新しいコミュニケーション・ツール、オウム真理教のようなカルト教団や円天のような詐欺商法・・・ 話題は非常に多岐にわたる。 それでいて全体としての統一感があり、とても読みやすい。 様々な社会現象をもっとも根源的な人間原理、つまり人間という動

    残酷な世界で生き延びるたったひとつの方法、橘玲 : 金融日記
    kiku-chan
    kiku-chan 2010/09/29
    「黄金の羽」は金持ち父さん的自己実現思想の梯子外しだったけれど、今回はカツマー的自己実現思想の梯子外しっぽいね。これはポチろう/遺伝子至上主義的ニセ科学臭がこのエントリーからは臭うのが気になるが
  • 本田由紀を読む 4 ハイパーメリトクラシー化 - 高校公民Blog

    コンテストの能力 私はこのところ、授業でコンテストという企画を挿入し、その結果を成績に反映させています(詳細はこちらで コンテスト1、2、3、4)。 つまり、これを簡単に言うとこういうゲームです。 いま、あなたにこういうお題を投げましょう。 「なぜ、友達が喫煙しているのを、体に悪いのに、止めないのか?」 この質問に答えるのです。しかも、その質問を学年のみなさんの投票に当てます。そして、一位に選ばれた人にテストの点数にして30点分を進呈しましょう。 さて、これは、大変な能力です。ただ書けばよいのではありません。支持されなければいけません。それも、特定の誰に支持をえる、というのではありません。不特定の支持を取り付けるのです。そのための文章能力が必要になります。陳腐なみんなと同じような文章では支持は得られないでしょう。 さて、そのときに、みなさんは、 これを一年後に、実施します。その結果で東京大

  • 本田由紀『多元化する「能力」と日本社会』 - 晴耕雨読-ある社会学者の日常

    田はこので、現代日がハイパーメリトクラシー、すなわち人々のどんな種類の能力も何でもかんでも測定して評価する、そういう社会に変貌しつつあると主張している。興味深い部分もあるが、理論とデータの扱いにおいて少々問題を感じるところも多い。 1 田は、ハイパーメリトクラシー社会への変化を、「近代型能力」と「ポスト近代型能力」という二分法で描き出そうとする。前者はこれまでのメリトクラシー社会で主に評価されたいわゆる「学力」であり、後者は文科省が「生きる力」と呼んだような種類の能力である。 田が述べるように、日において、企業と文科省が1980年代後半から2000年頃まで、「ポスト近代型能力」を重視する方向できたことは疑う余地もない。しかしそれが先進国に共通する変化か、と言うと大きな疑問である。 田は、ベックやギデンズを引用し、見田の「情報化/消費化社会」の議論を引用しながら、どうして日

    本田由紀『多元化する「能力」と日本社会』 - 晴耕雨読-ある社会学者の日常