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知能と思考に関するkiku-chanのブックマーク (7)

  • 「あれもできる、これもできる」ではなく「あれもできない、これもできない」、しかし・・・: DESIGN IT! w/LOVE

    不確実な時代をクネクネ蛇行しながら道を切りひらく非線形型ブログ。人間の思考の形の変遷を探求することをライフワークに。 他人の話の文脈をとらえたり、あるいは、自分自身の考えや仕事がどういう文脈にあるものなのかを理解したりするのが苦手な人が多いように感じます。 相手の話や自分の思考の文脈さえ捉えられないのですから、もっと捉えにくい行動のコンテキストはまったくといっていいほど、捉えられません。 でもね、それで困るのは、西林克彦さんが『わかったつもり 読解力がつかない当の原因』で書いているように、<文脈がわからなければ「わからない」>からなんですよ。物事の読解力に欠けてしまうんです。 僕自身、そんな風な印象をもっているので、書家の石川九楊さんが『縦に書け!―横書きが日人を壊している』に書いているこんな文章もすごく納得感を感じます。 遠近法の欠如と併せて、距離感のなさも目につきます。たとえば道路

    kiku-chan
    kiku-chan 2008/01/30
    "「なぜ?」「どうして?」が問えないので、他人の話を聞いてネガティブな批判はできますが、他人の話から自分にとって意味のある問題を発見してそこから新たに自分なりの考察をすることができなかったりします"
  • 適切な判断力

    人間は、何かことに当たって判断をしなければならない場合、先ず同じ様な事態を経験したことがあるかどうかを思い出そうとする。もし似た体験があった場合にはその結果を思い出し、よかった場合には同様にし、悪かった場合にはその理由を考え、一部修正して判断する。経験がない場合には、理屈だけで判断するか、他人の意見を参考にしなければならない。この判断を下すまでの過程の中で、体験から結果を考える部分は身体的学習部分であり、その結果に理由をつけ正誤の判断をする部分は知的学習部分であると言える。これを図示すると次のようになる。 ただし、この疑似体験(以前の経験)が、今、判断しようとする事態に完全に同一であることはありえない。判断をしようとする人が、「最も近い現象である」と考えているだけである。もし、判断が他の多くの人達から「適当でない」と思われたならば、疑似体験がその事態からは掛け離れたものであったか、理屈が

  • 「収束的思考法」、「統合的思考法」

  • なんでも評点:若い女性は裸に近い姿になると思考能力が著しく低下することが実験により判明

    自分を客観的に見るのは、良いことのように思える。とりわけ、近頃の若い世代は自己を客観視する能力に欠けているなどという苦言もあちこちで聞かれる。しかし、こと“外見”や“容姿”に関しては、今の若い世代の方が旧世代より、はるかに自己を客観視できている。だが、これはあまり良いことではないらしい。 自分の顔は人並みに美しくないと客観視している場合もあるが、一番困るのは、自分のボディを客観視して、スタイルがよくないというネガティブなボディ・イメージを持っている場合らしい。ただし、比較の基準となるのは、自分の周囲にいる若い女性ではなく、テレビや雑誌やその他のメディアでナイスボディやグッドプロポーションやその他の女性美を誇らかにさらしている女優やモデルやタレントたちである。 自分のスタイルが良くないと客観視している女性は、自分の体つきが恥ずかしいと感じる“ボディ・シェイム”に陥いることがある。その結果、極

  • OKGRAM

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    kiku-chan 2006/09/24
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  • http://www.edu-c.pref.kumamoto.jp/edu-c/kokuryu/h17pdf/sawamura.pdf

    kiku-chan
    kiku-chan 2006/09/24
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  • 汝の隣人のブログを愛せよ | LOVELOG

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    kiku-chan 2006/09/24
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