そもそも株式会社とは、岩田規久男 オリンパス問題などで、最近また、企業統治とはどうあるべきか、という議論が盛んに行われるようになってきた。そこで、今日は株式会社や企業統治についてのわかりやすい本を一冊紹介しよう。 この本が書かれたのは、ライブドア・ショックや村上ファンド事件で、「会社は誰のものか?」という議論がにぎやかだった時だ。大学教授らしく、たんたんと株式会社の歴史や、企業統治の考え方に関しての日本やアメリカ、ヨーロッパ諸国でのちがいなどをわかりやすく解説している。 ファイナンス理論というのはそのほとんどがアメリカで作られたもので、そういったファイナンスの教科書に従えば、会社とは株主のものである。英米などではこれは極めて当たり前の考え方で、株主の利益を最大化することこそが経営者の仕事となる。株主というのは、会社の取り引き先、従業員、債権者(負債の利子)、政府(税金)、に利益を分配した後
10月に会社を辞めて、11月からオンライン英会話のラングリッチ http://langrich.com/ で働くことが決まりました。 最近「会社やめました。」の記事が流行しているようなので私も書きました。
10月21日、弊社でインターンをしていた香川大学の院生である [twitter:@sanryuu_] くんの招待で、香川大学で講演をさせて頂きました。 大学に進学しなかった自分が大学で講演をするというのも人生の面白さで、90分の講義x2コマの180分、200人近くの学生を前にお話させてもらいました。 対象となるのは、工学部情報科の1年生と3年生ということで、あまり技術寄りな話ではなく、これからの人生を生きるヒントに使ってもらえるようなお話をしようと思いまして、今回のタイトルである「ソーシャル・スキル -時代変化の考察と対応-」になりました。 というわけで、折角なのでお話した内容を記事にして纏めておきたいと思います。 目次。 企業が求める人材は時代によって変化する スペシャリストとゼネラリスト 知識を持っているだけでは何も偉くない 起業とニートは同じ選択肢 料理で学ぶ建設的思考 文章力・礼儀
福田尚久さんインタビュー 「スティーブ・ジョブズさんのスピリットは生き続ける」 福田尚久さん,93年アップルコンピュータ入社,97年同社事業推進本部長,99年同社マーケティング本部長,01年米国本社副社長,02年退社 現在は日本通信株式会社専務 10月12日の放送「世界を変えた男 スティーブ・ジョブズの素顔」では、97年から2002年までジョブズさんとともに仕事をした福田尚久さんにインタビュー取材をさせていただきました。ジョブズさんの人物像に迫るあまりにも貴重なインタビューのため、放送で紹介できなかった部分も含めて、福田さんの許可を得て特別に掲載させていただきます。 理想と現実がちがうことを悔いていたジョブズさん 2人で話しているときに、彼が「自分には1つだけ悔いの残ることがある」と言ったことがありました。それは「85年にアップルを辞めてしまったことだ」と。「もしあのときに自分が辞
This entry was posted by Jun Mukai on Monday, 17 October, 2011 ときどき何もできないことがある。 メールを読んで、Google+を眺め、twitterをチェックして、ニュースとかを読み、Google+にコメントをかいて、メールを読んで……みたいなのを繰り返し、一歩も進めなくなる。そんな時がある。 そんなこんなであるとき、なんか今日、メールとか読んでばっかりで全然仕事できてないんですよね、などと愚痴っぽく話したところ、それはもろに射撃しつつ前進だねと指摘された。そんな話だったっけ?とすっかり忘れた頭で読み直したら全くそのとおりの話だったのでおかしかった。忘れすぎだ自分。 射撃しつつ前進というのは優れたエッセイだと思うけれど、けっきょく何が言いたかったのかはよくわからない。最後のデータアクセスストラテジーがどうこういう話、ありゃ何な
アップルの会長、スティーブ・ジョブズが死去した。今さら彼についての説明は不要だろうが、日本のビジネスマンにとって切実な問題は、どうしたら彼のようなイノベーターが生まれるのかということだろう。短い答は、それは不可能だということだ。モーツァルトのまねをしようとしても不可能なように、ジョブズのような天才を他の人がまねることはできない。 しかしアップルの奇蹟は、彼ひとりでできたわけではなく、いろいろな偶然が重なってできたものだ。ジョブズは1977年にアップルを創業したが、1985年にはアップルを追放され、1997年に経営陣に復帰した。いったん会社を追放された経営者が、もとの会社に戻って実権を握るということは、普通はありえない。それが可能になったのは彼が偉大だったからではなく、アップルの経営が悪化して経営を引き受ける人がいなかったからだ。 アップルは、ジョブズを追放してからも内紛が絶えず、経営者が交
松井博 Brighture English Academy 代表。趣味はウクレレとかハイキングとかDIYとか旅行などなど。在米20年。シリコンバレーに住みつつ、日本とアメリカとフィリピンで会社経営しています。最近は英語教育がライフワークになりつつある。 詳細プロフィールを表示 Steve Jobsが亡くなってしまいました。 なんというか本当にショックです。 私はアップルで16年間働いていました。そのうち半分以上はカリフォルニアの本社で管理職でした。Steve Jobs と話をしたこともあります。そんな体験を振り返ってアップルにおけるSteve Jobs ってどんな感じの存在だったのか私なりに綴ってみたいと思います。 Steveがどんなふうな人なのか、という話をするには、まず彼がアップルに復帰する前の社内の様子を書いてみたいと思います。 その頃のアップル社内というのは、船頭のいない船、とでも
先日、こうつぶやいた。 そしたらこんな返事があった。 そうか。最初は「そういうメールを集めた本があったら、めっちゃ読みたいな!」って思ったんだけど、上のツイートをもらって、「だったら募集しちゃえばいいんだ!」と思い至った。 というわけで、みなさんの退職挨拶メール、募集します! 誰かが人生の転機に真剣に考えたことは、次の誰かの人生の転機につながるはず。 ★★★ <退職挨拶メール&ブログ> (順番は送っていただいた順です。最新のは一番下に追加していきます。) 01) “Google Japan, 2年半, 25歳”の場合 02) “広告制作会社プランナー、9年半、34歳”の場合 03) “ITコンサルタント, 9ヶ月, 35歳”の場合 04) “野村證券、3年半”の場合 05) “東芝、3年半、27歳”の場合 06) “人材紹介、5年、27歳”の場合 07) “マイコミジャーナル、4年半”の場
株式会社クラステクノロジー代表の四倉氏の連載コラム「第151回」が、とても興味深いのでご紹介します。 【第151回】35歳定年説の真実-株式会社クラステクノロジー 詳しい内容は上記コラムをご覧頂きたく。 プログラマ35歳定年説とは 上記の四倉氏によれば、プログラマ35歳定年説とは「1Step,1Stepの生産性に比例するので、長い間労働すれば高いアウトプットが出せ収入が増える。体力が下り坂になってきて徹夜や残業ができなくなるのが、大体35歳前後。体力低下と共に収入も下り坂。それに限界を感じてIT業界去ってしまう」ということのようです。これをプログラマと呼ぶのかとか、ステップ数(笑)という憤りもあるでしょうが、「ステップ数と売上が比例するため、いっぱいコードを書けば収入が増える」という理屈は腑に落ちました。是非の問題ではなく、確かにその理屈なら体力勝負という表現も理解できる。 そして、この理
ベンチャーはお金がない ベンチャー企業ていうのはお金がありません。 しかし、最近、IT革命というものがあったらしく、起業のコストが劇的に下がりました。コストがさがることで、リスクも劇的に下がり、サラリーマンと起業家のリスクの差がどんどん縮まっています。 いろいろなツールが無料や少額のお金で使えるようになりました。ベンチャーはお金がないので、どうしても無料で揃えたくなります。しかし、実際はお金を少しかけたほうが、効率的になり、時間のコストが下がるということを忘れがちだったりもします。 そこで、僕がベンチャーを立ち上げて使ったものや、金かけてでもやっておいたほうがよかったなーというところを紹介します。 登記の手続き まず、登記は絶対、司法書士の先生に頼んだほうがいいです。 「自分でやったほうが安いし、経験になるかな〜(^◇^)」と思ってやってみたのですが、これが地獄でした。何度も間違えを訂正さ
2011年秋、世界経済株式会社・本社ビルの廊下。中堅社員の日本君がペットボトルのお茶飲料を飲みながら休憩を取っていると、いきなり肩をバンと叩かれました。 米先輩「よう!ニッポンちゃ〜ん、お疲れさん。どうした、しょぼくれた顔して。最近元気ないねぇ。」 日本君「あ、アメリカ先輩。お疲れ様です。…なんか最近…、僕の仕事が少なくって…。」 米先輩「あー、イマドキの新入り連中は仕事憶えるの早いからねー。」 日本君「ていうか聞いて下さいよ。あいつらズルいんですよ。」 〜〜〜回想シーン〜〜〜 韓国君「チョリーッス、ニッポン先輩。この仕事の仕方ぁ、オレに教えて下さいよチェケラッチョ。」 日本君「あ、韓国君。君は勉強熱心だね(ちょっと生意気だけど…)。この仕事かい?。いいよ。これはね、こうやって次にこうやって、それでこう仕上げて。」 韓国君「Hey,YO。こうやってこうやってこうっスね。わかりっしたぁ。じゃ
2011年9月14日 強烈な成功へのこだわりが氷解していった。ぼくは今日、リタイアを宣言します テーマ: ノマド 2011年の、9月7日。この日は僕の36歳の誕生日だったのだが、この日、僕は個人的に大きな考えをまとめた。 実は、僕はこの日を持って、リタイアすることにしたのです。 えっと思うかもしれない。でも本当だ。 リタイアすることにした。 リタイア宣言である。 36年間、ずっとリタイアする日を待ち望んでいたし、そのために仕事もお金も稼いできたが、ようやくその夢がかなった。 といっても、みなさんが想像するリタイアとは違う。ぼくは資産の運用で食べれるほど資産はまったくない。年金もない。不労所得もない。 じゃあ、どうすればリタイアできるのか? それには考え方を大きく転換させる必要がある。 リタイアの本質について考える前に、僕がずっと憑かれていたリタイア幻想について、恥ずかしさ
今日は、いつもよくしていただいている皆さんに、ちょっとした報告があります。 大和田純は、サイジニア株式会社を退社することになりました! 入社するまで ぼくが学生であった最後の年の、夏。ぼくは東京に滞在して、当時はほとんど「人がいて、机と椅子と夢があるだけ」くらいのサイジニアのオフィスで、ワーワーと騒いだりしていた。立ち上がったばかりの頃の会社のお手伝いをしていた。年齢がひとまわりくらい上の、創業メンバー6人を相手に「お前らウェブの最先端だのなんだの言っているけれど、ぜんぜんウェブのことを分かってねーじゃねーか」みたいなプレゼンをして、その場にいた、日本語が分からない Martin が、資料にあった「Get Real!」だけを覚えていて、ぼくのことを「狂った若者」だと認識していた。 (そのとき、オフィスのベランダで流しそうめんを楽しみました) さらにさかのぼって、大学の学部生のときの、研究室
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