難病に関する「記念日」が次々と誕生している。難病は患者数が少なく、治療が難しい。その存在すら十分に知られていない現状を変え、病気への理解を広げたい、との患者、家族らの思いが背景にある。 記念日の申請を受け付け、認定する一般社団法人「日本記念日協会」(長野県佐久市)によると、2017年は「ドラベ症候群の日」(6月23日)など三つが認定された。ドラベ症候群は、てんかん発作などが起きる。多くは1歳までに発病し、2万~4万人に1人とまれな病気で、他の病と診断されることもある。10分以上続く発作や脳症、突然死などで10人中1、2人は成人になる前に命を落とすと言われるが、患者家族会の黒岩ルビー代表は「発作がなければ大変な病気と思われない場合もある。一般の方や学校の先生にも理解してもらいたかった」と話す。 昨年から記念日に合わせ、会のフェイスブックに、患者の子どもたちの生活の様子を写真とともに紹介。一般
「補聴器の日」でもある2018年6月6日(水)より、パナソニックのWEBサービス「聴き鳥テスト」がスタートした。 当サービスは、加齢により最初に聞こえづらくなる音のひとつとも言われる野鳥のさえずりを使って、楽しく「聞こえor聞き取る力」を確認し、難聴の早期発見・補聴器の早期装着を啓発するもの。パナソニック補聴器では、当サービスを補聴器販売店などの店頭で実施する。 ▲鳥の鳴き声が聞こえるかを確認できる「聴き鳥テスト」。 当Webサービスは、現在地を測定しその近くで生息が確認されている野鳥を画面上に表示し、その中から鳴き声を聴きたい鳥を選んで”聴きとる力”を確認することができるものだ。 鳥の鳴き声による”聴きとる力”のテストのほか、地域ごとの鳥の鳴き声などの情報を確認できる「鳴き鳥MAP」、60種類の鳥データを収録した「聴き鳥図鑑」といったコンテンツも楽しめる。 ▲「聴き鳥図鑑」は”聴き取り難
昭和20年代に撮影された群馬県草津町の国立ハンセン病療養所「栗生楽泉園」全景写真のパネルが完成し、園内の重監房資料館で公開されている。かつて懲罰に使われた監禁施設「重監房」(特別病室)と居住地区の位置関係が分かり、当時の暮らしぶりの一端を知る貴重な資料になりそうだ。 設置されたパネルは縦1・2メートル、横3・6メートル。昨年、入所者自治会で発見された写真3枚をつなぎ合わせて合成し、一つのパネルにした。重監房をはじめ、一定期間しか存在しなかった建物も写っており、1950(昭和25)年前後に撮影されたと思われる。 3枚の写真のうち、重監房が写った写真は昨年5月、他の2枚は11月に発見され、3枚を横に並べると、それぞれの端の部分に撮影されたものが一致。同資料館は同一人物が同時期に撮影した写真と断定した。 後で見つかった2枚は、52年に作成された楽泉園開園20周年誌に掲載された写真と同じものだった
福島原発被害訴訟原告の藤原理恵さん(仮名、47)が子ども2人を連れて3月24~25日、ドイツの2都市を訪れ、東日本大震災から7年間におよぶ苦難の生活について講演した。藤原さんは被ばくから子どもを守るため、福島県いわき市から東京に「自主避難」中で、同じく自主避難の2組の母子とともに、国連人権理事会出席のために渡欧した。フランスでも講演し、深刻な放射能汚染や健康被害などの「福島に帰れない理由」を訴えた。(ドイツ・アーヘン=川崎陽子) 「3.11から7年後の問題の実情を知ることができた」と感想を述べる国会議員のオリバー・クリシャー氏東日本大震災が起きた時、放射能被ばくによる健康被害の予備知識があった藤原さん一家は、福島第一原発の冷却がおかしくなるだろうと予測し、すぐに車で風上に逃げた。 原発事故後も、自宅のあるいわき市には政府からの避難指示は出なかったため、東京の避難所では、同じく福島から避難し
厚生労働省のウェブサイトで1月に公表された、2017年の年間自殺者数(速報値)は、2万1140人。 「生と死」に揺れ動く中で、1人でも多くの人が「生きる選択」をしたのではと、胸をなで下ろす。しかし、すぐに、鉛を飲み込んだかのような感覚に襲われる。16年より減少と言っても「21140」人は、ただの数字ではないからだ。そこには、一人一人の人生が確かに存在していたのであり、1人でも自殺する人がいる限り、その対策は必要だと思う。 私が自殺対策を始めたのは20歳の時。“乳がん”の疑いと告げられた余命宣告に、大学病院からの帰り道、初めて世界が白黒に見えた気がした。現実が信じられないという感情を通り越し、生きている実感を失った。そんな中突然受けた、旧友の訃報。自らいのちを絶ったという。何も知らなかった。何もできなかった。後悔して後悔して後悔した結果、今こうしている間にも、自らいのちを絶とうとしている人が
HIV/エイズと聞いて「死」を連想する人は近ごろでは少ないだろう。だが20数年前ならそうはいかなかった。その時代に死んでいったのは、イギリスのロックバンド クイーンのフレディ・マーキュリー、アーティストのキース・ヘリング、学者のミシェル・フーコー、俳優のジャック・ドゥミなどの著名人を含む多くの人々。 社会派の映画を紹介する『GOOD CINEMA PICKS』では今回、そんな時代のエイズ問題を見て見ぬふりをする政府や、抗エイズ新薬の研究結果を出し渋る製薬会社と闘ったアクティビストたちを、ドキュメンタリーのようにリアルに、ハウスミュージックのビートを織り交ぜながら描いた映画『BPM ビート・パー・ミニット』をピックした。 80〜90年代のエイズ・エピデミック時代の若者たち 映画に登場するのはHIV/エイズ*1が発生してほぼ10年しか経っていない90年代初頭のパリを舞台に、世界的に「エイズ問題
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