ボスニアはかつてユーゴスラピアといわれた国の一部です。第二次世界大戦後、スロベニア、 クロアチア、モンテネグロ、セルビア、マケドニア、そしてボスニア・ヘルツェゴビナという 6つの民族共和国がチトー元帥の率いる社会主義国家として一つの連連邦国に統一されました。 ところが1980年代後半に起きた東欧民主化の波をかぶる中で、バラバラの状態になり、 それぞれ独立していったのです。そして内戦の勃発。なかでも、とくに深刻だったのがボスニアでした。 ボスニアの民族構成がイスラム教徒であるモスレム人が4割、セルビア人が3割、クロアチア人が2割と、 ボスニアでは3つの民族の勢力が拮抗して同居していたからです。更に宗教の間題もありました。 独立を宣言したイスラム教徒と、それに反対するセルピア人との戦いが続き、 内戦は泥沼化していったのです。そして、その激戦地となったのがボスニアの首都サラエボでした。 サラエボ
先日、BS-TBSの「世界の旅行会社が選ぶ世界で最も美しい街ベスト10」で紹介されていた街をご紹介! 第10位 ロヴィニ(クロアチア) ロヴィニ(Rovinj)は、クロアチアの西海岸に位置する街です。イタリア人が人口の約11%を占めていて、市内ではイタリア語も公用語として話されているそう。 第9位 アルバラシン(スペイン) アルバラシン(Albarracin)は、古代ローマ都市のロベトゥムの近くに位置しており、町は断崖に築かれている。赤みを帯びた建築様式が、街の特徴になっています。 第8位 クヴェードリンブルグ(ドイツ) クヴェードリンブルグ(Quedlinburg)は、ドイツ中央部に位置し、1994年にはユネスコ世界遺産に登録されました。ロマネスク様式の美しい建物や地下聖堂など観光の見所もたくさんあります。 第7位 グアナファト(メキシコ) グアナファト(Guanajuato)は、メキシ
クロアチア紛争で最も戦闘が激しかった街の一つヴコヴァルの給水塔。画像は2003年に撮影したもの クロアチア紛争(クロアチアふんそう)は、1991年から1995年にかけての、クロアチアのユーゴスラビアからの分離独立、および国内でのクロアチア政府とセルビア系住民による自治政府の対立をめぐる紛争である。 背景[編集] 第二次世界大戦まで[編集] 1918年にクロアチアの政治指導者は、第一次世界大戦中にセルビア王国が発表した、戦後のバルカン地域における新国家としての南スラブ人による連邦国家の創設という提案に同意し、セルビア人・クロアチア人・スロベニア人王国の成立を支持した。この王国は1929年にユーゴスラビア王国と名称を変更するが、当初からこの王国においてはセルビア人とクロアチア人の民族対立が内政問題として存在した。ユーゴスラビアは旧セルビア王国の国王を頂いており、一般的にクロアチア人には首都の所
昔はパイロットになりたいと本気で思っていた@and_ex_です。 今回はトラベルハックがお送りする◯◯の舞台シリーズの第二弾! 美しい海、青い空、情緒ある街と三拍子そろったアドリア海の街。 クロアチアのドブロブニクという街をご紹介します。 アドリア海の真珠 ドブロブニク
絶景といわれる美しい景色は世界中にいくつも存在するが、この地球上に「楽園」と呼べる場所があるとすれば、それはクロアチアのプリトヴィツェ湖群国立公園かもしれない。 この国立公園は、ヨーロッパの南東部にある自然公園のなかでは最も古く、ボスニア・ヘルツェゴビナとの国境近くに位置する。大小16の湖と92もの滝が特徴的で、1979年には世界自然遺産に登録されている。 このあたり一帯は石灰岩などからなり、この地質とバクテリアなどとの光合成によってできた堆積物が自然のダムとなって湖群を形成しているのだ。それぞれの湖の美しい色は、ミネラルの量や、日の照り具合などによっても様々に変化するという。つまり、何度訪れても毎回同じ光景が見られるというわけではないのである。 公園内にはホテルが3つとキャンプ場が備えられているため、なんとこの楽園に滞在することができるのだ。絵に描いたかのようなこんなにも美しい自然に囲ま
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