アジア各国の英語メディアなどで、台湾・香港とカンボジアなどをめぐる人身売買事件が連日話題となっている。 これは数千人もの台湾市民が「高給な仕事」に騙されてカンボジアに渡航し、監禁・暴行を受けて、中国系犯罪組織による違法・犯罪行為を強制的に手伝わされている事件だ。借金による拘束や拷問、性的・身体的虐待、売春の強要、臓器売買など凄惨な状況が広がっており、複数の死者も出ているという。 今年1月以降、台湾からカンボジアに渡る人は計6,400人を超えており、月1,000人が渡航する異常事態が続いてきた。台湾当局なども事態の全容把握に至っていないものの、このうち少なくない数が人身売買に巻き込まれた可能性が高い。 この事件は、台湾メディアなどで「賣豬仔」(子豚売り)事件とも報じられている。「賣豬仔」とは、19世紀後半に人身売買の対象となった中国労働者である苦力(クーリー)の売買・流通を指す用語だ。苦力は
カンボジアに埋められた地雷の責任は誰にあるのか――。カンボジア内戦が1993年に終わって23年。終戦後の97年に地雷で左足を失ったカンボジア人男性トルさん(28)は「戦争には特有の事情がある。今になって誰が悪いとは言えない」と冷静に話す。しかしその言葉とは裏腹に、地雷被害者にとっては今も「過酷な現実」が存在する。 ■自責の念から撤去活動 トルさんが左足を失ったのは9歳の時だ。石を投げて地雷を爆破させる遊びを友だちとしていた際、誤って自分のそばに石を落とした。一緒に遊んでいた友だち4人のうち3人が命を落とし、1人が手足を失うことに。「その瞬間は何も感じなかった。気がついたら病院にいた」。その後、地雷で障がいを負った子どもたちの施設で育った。 この施設はシェムリアップにある。運営するのは、地雷の撤去活動で世界的に知られるカンボジア人、アキ・ラーさんだ。1973年にシェムリアップで生まれたアキ・
カンボジアで地雷撤去に貢献し、表彰されたアフリカオニネズミのマガワ。PDSA提供(2020年9月25日公開)。(c)AFP PHOTO /PDSA 【1月12日 AFP】カンボジアで地雷撤去に貢献し、表彰されたアフリカオニネズミの「マガワ(Magawa)」が先週末、死んだ。8歳だった。マガワを訓練したベルギーの慈善団体APOPOが11日、発表した。 APOPOによると、マガワは「穏やかに」死を迎えた。先週はいつも通り元気に遊んでいたが、週末前から動きが鈍くなり始め、昼寝が増え、餌にあまり関心を示さなくなったという。 昨年6月の引退まで、サッカー場42面分に相当する約22万5000平方メートルの土地の地雷除去に貢献。検知した地雷と不発弾は100個を超えた。 タンザニアで生まれたマガワは2020年9月、地雷や不発弾の撤去に貢献したとして、77年の歴史がある英国の動物愛護団体PDSAから、ネズミ
カンボジアで30年以上にわたって長期政権を続けるフン・セン首相は2日、陸軍司令官を務める長男に首相の座を引き継ぎたいという考えを明らかにしました。一方、引き継ぐ時期についての言及はありませんでした。 カンボジアのフン・セン首相は、2日、南部シアヌークビルで演説し、後継の首相候補について「選挙で選ばれれば、長男を全力で支援することを表明する」と述べ、自身の長男で陸軍司令官のフン・マネット氏(44)に首相の座を引き継ぎたいという考えを明らかにしました。 そのうえで、フン・セン首相は日本を引き合いに出して、ほかの国でも権力の世襲が行われているとして自身の考えを正当化しました。 一方、引き継ぐ時期についての言及はありませんでした。 フン・セン氏は、来月で首相に就任してから37年を迎え、在任期間が長期化する中、後継者として誰を指名するかに注目が集まっていました。 一方、長期政権を維持するフン・セン首
雲一つない炎天下に広がる朽ち果てた白骨の群れ。殺伐とした荒野には、直径3メートルほどの穴が幾つも並び、その中に数十体の白骨化した遺体が、無造作に投げ込まれている。緑色の汚水にまみれて累々と積み重ねられた腐乱死体からは、ものすごい臭気が漂っている。そこら中、死者の白骨とカサカサになった衣類の切れ端が散らばり、頭上には、人間の毛髪でつくられたと見られる鳥の巣が潅木の茂みに見える・・・この世のものとは思えぬ壮絶な地獄の風景に全身総毛立つ思いをした方も多いのではなかろうか? しかし、これは、映画の中だけの話ではない。豊かで恵まれた農業国と言われ、インドシナの平和のオアシスとうたわれた国で、現実に起こった出来事なのである。ポル・ポト時代のカンボジアでは、まさに、戦慄すべき地獄がこの世に現出したのである。わずか、4年間でこれほど多くの人間が殺され、破壊と憎悪が吹き荒れた国はないだろう。生き残った人々で
中国やタイに続くアジアの「新・新興国」として注目度が増すカンボジア・ラオス・ミャンマー。急速な経済成長が期待され、頭文字を取って「CLM」と呼ばれる。 日経リサーチは2012年にミャンマー最大の都市ヤンゴンで生活実態調査を実施したのに続き、13年6月にカンボジアの首都プノンペンとラオスの首都ビエンチャンで定性的な家庭訪問調査を実施。日常生活の様子や所有物、生活意識などをヒアリングした。 10月にはプノンペンで25~34歳の男女を対象にグループインタビューを行い、「いま興味があるもの」について幅広く若者の意見を聞いた。今回はプノンペンでの調査結果の一部を紹介したい。 プノンペンではまず、世帯月収400~500米ドルという中間層の家庭を訪問した。市の中心部から車で20分くらいの郊外にあり、新築したばかりのトタン屋根の一軒家だった。対象者の女性(35歳)は夫と7歳の息子との3人暮らし。近所の縫製
Photo by Bernard Gagnon インドで廃れた仏教はアジア諸地域へ 前回の記事「仏像の姿形はどう変わっていったか」では、仏教発祥の地インドで、いかに仏教が広がり併せて仏像が発達・衰退していったかを書きました。 インドで消滅した仏教は、アジア諸地域に渡り当地で独自の仏教美術を開化させていきます。 今回は特に、南アジアと東南アジアでの仏教と仏教美術の特徴をまとめていきます。 1. 釈尊の死後の仏教 教団の分裂 釈尊が亡くなって約100年の間は、直弟子や直弟子に学んだ者たちが教団をまとめたため、釈尊の教えは変わらずに生き続けていました。この期間を初期仏教とか原始仏教とか言います。 ところが、100年ちょっと経ったころに教理や戒律の異説が生まれ、革新派のマハーサンギカと保守派のテーラヴァーダに分裂。前者は後の大乗仏教、後者は上座部仏教です。 この2派はどんどん分裂していき、前1世紀
【AFP=時事】画期的な航空機搭載レーザー技術を使用した考古学調査によって、1200年前にカンボジアの霧に覆われた山中で栄え、その後失われた中世の都市が発見された。記者とカメラマンが調査への同行を認められた豪紙シドニー・モーニング・ヘラルド(Sydney Morning Herald)が15日、世界的なスクープとして伝えた。 関連記事:「アンコールワットの大きさは想定の3倍」 研究結果 同紙によれば、数世紀にわたって密林の中に隠されてきたカンボジア・シエムレアプ(Siem Reap)州にある「マヘンドラパルバタ(Mahendraparvata)」には寺院などもあり、その多くはまだ盗掘・略奪などの被害に遭っていないという。 今回の調査を率いたロンドン (London) に拠点を置くNPO、Archaeology and Development Foundation(ADF)のジャンバティ
クメール王朝(クメールおうちょう、アンコール王朝とも)は、9世紀から15世紀まで東南アジアに存在していた王国で、現在のカンボジアのもととなった国であり、これより以前にあったチェンラ王国(真臘)の流れを受け継ぐクメール人の王国である。 歴史[編集] 802年頃、ジャヤーヴァルマン2世(英語版)王がシャイレーンドラ朝から解放し、プノン・クーレン丘陵で即位した[1]。これがクメール王朝の始まりである。王都はハリハラーラヤ(英語版)。 889年、ヤショーヴァルマン1世がヤショーダラプラ(英語版)に遷都。 928年から944年の期間、ジャヤーヴァルマン4世(英語版)の時代に一時チョック・ガルギャーに遷都していた。 950年頃、スーリヤヴァルマン1世王がラヴォー王国を占領した。1010年から約十年間、ハリプンチャイ王国がラヴォー王国に援軍を送り、ラヴォー王国を再びモン族勢力下に取り戻そうとクメール王朝
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