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囲碁に関するHanaGeのブックマーク (4)

  • 囲碁七大タイトル 本因坊戦 ラグビー場が会場に 埼玉 熊谷 | NHK

    囲碁の七大タイトルの1つ、因坊戦の第2局が24日から始まり、初めて埼玉県熊谷市のラグビー場を会場に行われています。 熊谷市の熊谷ラグビー場で行われているのは、第77期因坊戦の七番勝負の第2局、タイトル11連覇がかかる井山裕太四冠と、一力遼棋聖の対局です。 24日は午前9時から始まり、先手の一力棋聖が黒の石を打つと、少し間をおいて井山四冠が白の石を打っていました。 対局が行われている熊谷ラグビー場は3年前のラグビーワールドカップの会場の1つで、ラグビータウンとしてPRしようと、初めて囲碁の対局が行われました。 会場はメインスタンド4階の皇族などが試合観戦に利用する特別室で、今回12枚の畳を敷き詰めて対局できるようにしたということです。 熊谷市の小林哲也市長は「ワールドカップのレガシーを感じてもらえる場所で、囲碁の最高峰の戦いをしていただけるのはスポーツと文化のコラボレーションとなり、とて

    囲碁七大タイトル 本因坊戦 ラグビー場が会場に 埼玉 熊谷 | NHK
    HanaGe
    HanaGe 2022/05/24
    ラグビー場のグラウンドの真ん中ではなかった。
  • レドモンド九段が通算500勝、欧米出身では初めて : 文化 : 社会 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    米カリフォルニア出身で、日棋院所属の囲碁棋士、マイケル・レドモンド九段(45)が23日、王座戦予選で小松英子三段(46)に先番7目半勝ちし、通算500勝(331敗2分け)を達成した。欧米出身ではほかに3人がプロ棋士になっているが、500勝到達は初めて。日棋院では史上85人目。 レドモンド九段は10歳のころ、物理学者で囲碁ファンだった父親から手ほどきを受けた。14歳で来日、プロの登竜門である院生となり、81年、入段を果たした。初勝利は同年6月。 新人王戦準優勝、第13回世界囲碁選手権・富士通杯で国内予選を勝ち抜いて日本代表となるなどの成績を挙げてきた。テレビの囲碁番組の解説者としても人気がある。 レドモンド九段は「囲碁は変化が無限にあり、やってもやっても分からないのが魅力。次は1000勝をめざしたい」と話している。

  • asahi.com(朝日新聞社):張栩名人が史上初の五冠達成 囲碁十段位を奪取 - 文化

    七大タイトル戦で史上初の五冠を達成し、対局を振り返る張栩名人=16日午後、愛知県蒲郡市、竹谷俊之撮影  囲碁の張栩(ちょう・う)名人(29)=天元、王座、碁聖をあわせ四冠=が16日、十段位を奪取し、七大タイトル戦史上初の五冠を達成した。挑戦中だった第47期十段戦五番勝負(産経新聞社主催)の第4局が同日、愛知県蒲郡市で打たれ、高尾紳路十段(32)に157手までで黒番中押し勝ちして3勝1敗と勝ち越しが決まった。  現行の七大タイトルがそろったのは77年。以来、趙治勲二十五世因坊、小林光一九段、加藤正夫名誉王座が四冠を達成したが、五冠挑戦にはことごとく失敗していた。  張名人は台湾台北市出身。10歳で来日し、林海峰名誉天元門下となり、14歳で日棋院初段に。03年の因坊獲得により23歳で九段昇段(最年少記録)。04年に名人となり、現在は名人在位4期目。

  • 精魂の譜 : 教育 文化 : 九州発 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)

    囲碁の頂点を極めた、福岡県出身の棋士加藤正夫(日棋院理事長)が2004年暮れ、急逝した。享年57。早すぎた死を惜しむ声は、今なお強い。彼が頂点を目指した道程は、日が、戦後の復興と経済成長を成し遂げていった道に重なる。加藤は“団塊の星”でもあった。「殺し屋」の異名があった棋風とは対照的に温厚そのもの。現役プロとして碁盤に向かいながら、棋院改革に取り組むさなかの死だった。芸道の深奥を求めた加藤のひたむきさ、多くの人々に支えられ、それに応えて輝いた、ひと筋の光芒(こうぼう)をたどってゆく。(文中敬称略)

    HanaGe
    HanaGe 2008/12/20
    加藤正夫
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