要するにこれ、 書かれていることを正確に読み取るのが苦手なやつ(つまり国語の試験が苦手なやつ)は国語の試験問題を間違って覚えている という話なのでは
「作者の気持ち」問題のネタって別にネット時代に入ってから国語叩きに使われるようになったのではなく、ネット以前の80年代、90年代からあるネタなんだよね。 「自分の書いた文章が国語の試験に出題されたので自分で解いてみたところ、自分の答えは正解ではなかった」ってやつ。 作家本人が自分で話して持ちネタにしてる場合もあるし、周辺の人たちが又聞きという形でネタにしている場合もある。 評論文で筆者の意図を問う問題は普通だし、テストに抜粋された文章だけから読み取る問題と、それ以上の情報を持ってる筆者とでは、答える内容が異なる場合もあるだろうから、実際にそういうケースは主に評論文の試験問題ではよくあるのだろう。 これが伝聞を繰り返すうちに真相が不明になり、「物語で作者の気持ちを聞く問題ってどうなの?」などと国語叩きでマウント取るための道具だけに利用されるようになった。 ※小学生の国語で、例えば戦争文学の授
先日、東洋経済さんでこんな記事を拝読しました。 「作文」が書けない子に教えたい3つの言葉 文章を書くことは、観察し、驚きを見つけ、考えることです。これがステップ1からステップ3への手順に当てはまるのです。 (東洋経済オンライン) 正直なところ、この記事を書いた方は「作文が書けない子」のレベルをかなり高く見積もっているなあ、と感じました。 いや、文中のテクニック、文中の手法が悪い、というわけではないのです。ここに書かれていることは、それはそれで非常に有用、非常に有効なことだと思います。 「観察→深堀りと整理→考察」という思考法は、あらゆる表現、あらゆる論考で重要な手順です。 小さい頃からこの手順になじんでおくことはとても有益ですし、その際の教え方、かみ砕き方として、文中提示されているような言い方をするのも有効でしょう。そこについては何の文句もないんです。 ただ、ここでいう「作文が書けない子」
キュレーション(Curation)世代にとって剽窃(plagiarism)は当たり前なのか?(怒) わたしは、ある公益財団法人が主催する大学(院)生を対象とした顕彰論文事業の審査委員長を務めています。 今年度の審査で、最終論文選考に残った応募論文のうち、2件で、悪質と判断される「剽窃(plagiarism)」を発見しました。 2016年11月、キュレーションサイトWelqが大きな問題となりましたが、ネット上に学術的情報(もちろん玉石混交)も溢れかえり、いつでもどこでもアクセスできる状況で育った学生たちの中には、レポート、論文において、参照した資料・文献に言及しないで「キュレーション」することを当然と思っている学生も少なからずいるように思われます。 しかし、他者が苦心して紡ぎだした言葉を、きちんと言及せずに、あたかも自分が紡いだかのように書く行為は、「剽窃(plagiarism)」であり、学
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