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レ歴史に関するMyPLBのブックマーク (296)

  • 資金力なく技術者でもなかった実業家が、「地下鉄の父」と呼ばれるようになった理由

    1982年、埼玉県生まれ。東京地下鉄(東京メトロ)で広報、マーケティング・リサーチ業務などを担当し、2017年に退職。鉄道ジャーナリストとして執筆活動とメディア対応を行う傍ら、都市交通史研究家として首都圏を中心とした鉄道史を研究する。著書『戦時下の地下鉄 新橋駅幻のホームと帝都高速度交通営団』(2021年 青弓社)で第47回交通図書賞歴史部門受賞。Twitter @semakixxx News&Analysis 刻々と動く、国内外の経済動向・業界情報・政治や時事など、注目のテーマを徹底取材し、独自に分析。内外のネットワークを駆使し、「今」を伝えるニュース&解説コーナー。 バックナンバー一覧 私事で恐縮だが、15日放送のテレビ朝日「林修の今でしょ!講座」に解説役として出演した。番組のテーマは「地下鉄の父」こと早川徳次の生涯。早川がに宛てた手紙や、記入したメモなど、おそらくテレビでは初公開の

    資金力なく技術者でもなかった実業家が、「地下鉄の父」と呼ばれるようになった理由
  • WEBニュース特集「戦前の大須にタイムスリップ 古地図でよみがえる娯楽のテーマパーク」 | 東海NEWSWEB | NHK

  • “発掘”された米軍基地 | NHK | WEB特集

    福岡市に隣接し、ベッドタウンとしても人気が集まる福岡県大野城市。太宰府天満宮がある太宰府市も隣にあり、古くからこの地域の要衝として栄えてきました。 街の中心部には弥生時代などの遺跡があり、貴重な住居跡などが見つかっていますが、ことしの調査では当時の遺構とともにある意外なモノが“発掘”されました。 それは76年前に終わった戦争に関するものでした。 (福岡放送局 記者 野依環介)

    “発掘”された米軍基地 | NHK | WEB特集
  • 「日本の鉄道史」は関東大震災によってどう変えられたのか

    1982年、埼玉県生まれ。東京地下鉄(東京メトロ)で広報、マーケティング・リサーチ業務などを担当し、2017年に退職。鉄道ジャーナリストとして執筆活動とメディア対応を行う傍ら、都市交通史研究家として首都圏を中心とした鉄道史を研究する。著書『戦時下の地下鉄 新橋駅幻のホームと帝都高速度交通営団』(2021年 青弓社)で第47回交通図書賞歴史部門受賞。Twitter @semakixxx News&Analysis 刻々と動く、国内外の経済動向・業界情報・政治や時事など、注目のテーマを徹底取材し、独自に分析。内外のネットワークを駆使し、「今」を伝えるニュース&解説コーナー。 バックナンバー一覧 今年9月1日で関東大震災から98年目を迎えた。約100年前に起きた大地震は、日に甚大な被害を及ぼすとともに、その後の日の鉄道史を大きく変えることとなった。(鉄道ジャーナリスト 枝久保達也) 関東大

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  • 初代Macのアイコンを生んだ伝説のデザイナー、スーザン・ケアを知ってるかい? | POPEYE Web | ポパイウェブ

    カルチャー スーザン・ケアを知ってるかい? 初代Macのアイコンを生んだ伝説のデザイナーの仕事。 2021年6月16日 text: Kosuke Ide artwork designed by Susan Kare, kareprints.com coordination: Aya Muto edit: Yu Kokubu カリフォルニア州ロスアルトスでスティーブ・ジョブズら3人によってアップル社が創業した1976年から80年代にかけては、現代から見ればまさしく“神話の時代”という他ないけれど、そこに登場する伝説的な“神々”の一人が、今回紹介するスーザン・ケアだ。80年代初頭、初代MacintoshのGUI(グラフィカル・ユーザー・インターフェース)のためのグラフィックをデザインしたケアは、何とまだ20代の若者だった。 Photograph by Norman Seeff ・1984年、ア

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  • 音のライブラリー

    青函連絡船音の図書館 青函連絡船の音のライブラリーです。 音源は、当法人会員の横山光政氏による録音を同氏の好意により提供いただきました。 今は懐かしい当時の貴重な音をお楽しみください。 なお、著作権は横山光政氏に帰属します。個人使用以外で音を利用されたい方は、当法人にご連絡ください。 タイトル 録音場所 録音日 八甲田丸の汽笛 ①出港30分前の汽笛:青森2岸、5便(S62.8.13) ②出港の汽笛:青森1岸出港、7便(S62.12.18) 大雪丸の汽笛 ①出港の汽笛:青森1岸、3便(S62.3.29) ②入港、着岸、出港:青森2岸(S62.11.21) 摩周丸の汽笛 ①出港の汽笛:青森2岸出港、21便(S62.2.7) ②出港の汽笛:函館1岸出港、2便(S62.8.17) 羊蹄丸の汽笛 ①出港の汽笛:青森2岸出港、5便(S62.11.21) ②入港の汽笛:青森20便(S62.12.18

  • 【独自】最古の跨線橋、まもなく終着 半田駅に明治末期から110年:中日新聞Web

    愛知県半田市のJR武豊線半田駅にある一九一〇年建造の跨線橋(こせんきょう)が、六月五日を最後に役目を終えることになった。JR東海によると、建設時と同じ場所にある鉄道の跨線橋としては国内最古で、引退は武豊線の高架化事業で駅舎が取り壊されるため。将来は駅前に完成する公園に移築し保存される予定だが、地元では「寂しさを感じる」と惜しむ声も聞かれる。 (高田みのり) 上半分はクリーム色がかった白色で、下半分は深い赤色。大人の頭より高い位置に並ぶ窓は、階段部分のみ、傾きに沿った平行四辺形をしている。誕生が明治時代だったことを考えれば、当時としてはモダンなデザインだったはずだ。

    【独自】最古の跨線橋、まもなく終着 半田駅に明治末期から110年:中日新聞Web
  • 東濃鉄道廃線跡のご紹介 | 東濃鉄道株式会社(東鉄バス)

    ・廃線跡探訪には1日乗車券のご利用がおすすめです。 ・旧駄知駅車庫、東鉄タクシー車庫をご見学の際には、事前に東濃鉄道までメールにて問合せをお願いします。(問い合わせページへ) ・日帰トンネルまでは急斜面等足場が悪い山道ですので、地面が濡れている時の見学はお勧めできません。 ・見学は自己責任でお願いします。見学時の事故について東濃鉄道は責任を負いません。

  • 大阪城の石垣貫く水道管は? コレラ鎮めた明治の遺産 とことん調査隊 - 日本経済新聞

    大阪城内を散策していたら、2の鉄管が堀を横切って石垣を貫いている場所を見つけた。「国の特別史跡でなんと無粋な」。聞けば、明治時代に敷設された水道管で今も現役。コレラなどの感染症から人々を救い、ものづくりの技術を育んだという。近代・大阪の原点ともいえる水道管の歴史を探った。大阪市水道局で見せてもらったのは1895年(明治28年)、大阪市に上水道が開通した時の敷設図だ。大阪城を基点に2の太い線

    大阪城の石垣貫く水道管は? コレラ鎮めた明治の遺産 とことん調査隊 - 日本経済新聞
  • 保存めぐり注目「高輪築堤」が持つ歴史的価値

    2020年7月、JR東日が進める品川開発プロジェクトの計画エリア内から、1872年に新橋・横浜間で開業した日初の鉄道を海上に通すため、現在の田町駅付近から品川駅付近まで約2.7kmにわたって築かれた「高輪築堤」の一部(約800m)が出土した。 一部保存のうえ開発を進めるのか、全面保存を前提に開発計画を見直すべきか、日の鉄道のルーツそのものといえる遺構を巡って議論が巻き起こった。JR東日は4月21日、一部を現地保存するとの方針を表明したが、日考古学協会は同日、「築堤跡を活かした抜的な計画見直し」を求める辻秀人会長のコメントを発表。意見の隔たりはなお大きい。 そもそも、世界有数の鉄道大国として知られる日において、高輪築堤はいかなる価値を持つ遺構なのだろうか。 「高輪築堤」ができるまで その意義を理解するためには、日人と鉄道の出会いから振り返る必要があるだろう。 前述のように、日

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  • 半田市/JR半田駅跨線橋

    ~日最古の跨線橋、半田から各地への旅の玄関~ JR武豊線は明治19年3月1日武豊・熱田間が開通し、武豊・半田・亀崎・緒川・大高・熱田が営業を開始しました。列車は、客車と貨車の混合列車で1日2往復運転され、この間の所要時間は1時間45分であり、表定速度は毎時18.9キロメートルでした。また、明治20年の東海道線建設に伴い、武豊線は現在の武豊~大府間になりました。 半田駅の跨線橋は明治43年11月に設置された全国で最も古い跨線橋です。橋の支柱には「明四十三鐡道新橋」と鋳込まれています。またレンガ造りの油倉庫も同時に設置され、夜間信号機の火に使う灯油が保管されていました。 大正3年には半田市榎下町のカブトビール工場から半田駅まで私設軌道が敷設され、製品をトロッコで運びました。 (参考資料)武豊線物語(C11265蒸気機関車保存会・半田市・半田市教育委員会編集・発行) 所在地 半田市御幸町110

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    MyPLB 2021/05/14
    「日本最古の跨線橋」
  • 国土開発の先駆者 水害から大阪を救った豪商、河村瑞賢 

    大阪平野は大小の河川が流れ込み、古来、水害に悩まされてきた。そこで江戸時代前期、治水事業を展開し、大坂の水害防止に貢献したことで知られるのが江戸の豪商で土木家の河村瑞賢(ずいけん、1618~99年)だ。治水工事で生まれた新たな水路は、船運に貢献し、商都・大坂の発展を支えた。瑞賢は州の大半をカバーする航路を初めて開発し、物流を飛躍的に拡大することにも貢献しており、多彩な活動は国土開発の先駆者だったといえそうだ。 (上坂徹) 度重なる水害に治水を 江戸時代の延宝年間、畿内はたびたび、激しい水害に襲われた。特に2(1674)年の水害は激しかった。大阪平野の北側を流れる淀川が増水し、下流にかかる橋が次々と流されて、左岸の堤防は決壊、現在の枚方市から大阪市までがすべて水没した。被害は甚大だった。 度重なる水害に対し、新たな治水方針を決めるため、幕府(将軍・徳川綱吉)は天和3(1683)年、若年寄の

    国土開発の先駆者 水害から大阪を救った豪商、河村瑞賢 
  • 漁師町・下之一色をデジタルで残す 魚市場、市電、伊勢湾台風:中日新聞Web

    かつて伊勢湾有数の漁師町として栄えた名古屋市中川区の下之一色。そんな往時を回想してもらおうと、地元・正色(しょうしき)学区の住民有志らがインターネット上で昔の写真が見られるデジタル地図「下之一色町案内」を作製した。三月末の閉鎖が決まっている魚市場や昭和時代の市電下之一色駅といったレトロな風景の数々。有志らは「懐かしさを住民と共有しながら地域の魅力として発信していきたい」と力を込める。

    漁師町・下之一色をデジタルで残す 魚市場、市電、伊勢湾台風:中日新聞Web
  • 都営初の地下鉄「都営浅草線」、開業日の始発が午後になった理由

    1982年、埼玉県生まれ。東京地下鉄(東京メトロ)で広報、マーケティング・リサーチ業務などを担当し、2017年に退職。鉄道ジャーナリストとして執筆活動とメディア対応を行う傍ら、都市交通史研究家として首都圏を中心とした鉄道史を研究する。著書『戦時下の地下鉄 新橋駅幻のホームと帝都高速度交通営団』(2021年 青弓社)で第47回交通図書賞歴史部門受賞。Twitter @semakixxx News&Analysis 刻々と動く、国内外の経済動向・業界情報・政治や時事など、注目のテーマを徹底取材し、独自に分析。内外のネットワークを駆使し、「今」を伝えるニュース&解説コーナー。 バックナンバー一覧 60年前の1960年12月4日、都営地下鉄浅草線(当時の呼称は都営地下鉄1号線)の押上~浅草橋間が開業した。浅草線は都営地下鉄として最初の、そして郊外私鉄と相互直通運転を行った初の地下鉄でもある。通常、

    都営初の地下鉄「都営浅草線」、開業日の始発が午後になった理由
  • 【鉄道遺構や土木技術の伝承を】JR東日本、高輪築堤の保存策を検討

  • 明治神宮が、初詣で毎年300万人が訪れる「超人気の神社」になった理由(平山 昇) @gendai_biz

    2020年の正月にも300万人以上が初詣に訪れ、初詣人出ランキング首位を占めた明治神宮は、12月31日から1月1日にかけて、恒例の「終夜の開門」を取りやめると発表した。これは戦時中以来76年振りのことだが、そうせざるを得ないほど明治神宮が初詣先として人気の神社だということを示している。 以下、初詣の成立と明治神宮の人気の歴史的背景について、拙著『初詣の社会史』(東京大学出版会、2015年)の内容にもとづいて説明していきたい。 明治神宮の誕生がいつか、ご存知ですか? 1990年代前半に、当時大学生だった山口輝臣氏(現・東京大学准教授)が明治神宮の初詣客に「この神社がいつ誕生したと思いますか?」とアンケートをしたところ、ダントツで多い回答は「明治時代」だった(山口輝臣『明治神宮の出現』吉川弘文館/正解は大正時代)。初詣客の大半は「明治神宮って名前だから、明治に完成したんじゃね?」くらいの感覚で

    明治神宮が、初詣で毎年300万人が訪れる「超人気の神社」になった理由(平山 昇) @gendai_biz
  • 真珠湾攻撃で戦死、「2階級特進」から漏れた6人の真実 史実追求の先にあったもの

    1941(昭和16)年12月8日のハワイ・真珠湾攻撃で戦死認定された航空兵55人には、冷徹なまでの「死後の選別」があった--。79年前のきょう、太平洋戦争の戦端を開いた戦果を受け、攻撃に加わって亡くなった彼らに対し、軍部は異例の「2階級特進」を適用した。だが、この処遇から6人だけが除かれ、1階級の進級にとどまっていたことが分かった。敵前逃亡など、あからさまな咎(とが)があったわけではない。同じ作戦に基づいて、同じ戦闘に、同じ航空部隊から参加して命を落とした兵士に、なぜ明確な格差が生じたのか。(小川 晶) 神戸新聞社の神戸社11階、文化部フロアの片隅に、年季の入った1台のコンピューターがある。1990年代のデスクトップパソコンのような、厚みのある外観。社内では「マイクロフィルム」の名で通る。過去の新聞記事が焼き付けられたフィルムを、コマ送りで見ることができる装置だ。 航空機事故を取材する新

  • 高輪ゲートウェイ駅前再開発で”出土”した 鉄道開業当初の築堤【空撮映像・独自取材】 : 奥ゆかし廃探索記

    奥ゆかし廃探索記 「奥ゆかし」の元の意味は、奥+ゆかし(行かし)で、「ゆかし」は見たい、知りたい、聞きたい、そして心惹かれるという意味合いを持っています。すなわち「奥に行きたい、より奥が見たい、心惹かれる…」そんな廃線、廃道、廃墟探索的な「廃」物件の探索などをメインに、さまざまな情報をだらだらと気楽に記録していくサイトです。 当サイトに掲載している全ての情報に関して、合法性、正確性、安全性等のいかなる保証も致しません。また当サイトによっていかなる損害を受けた場合にも一切責任は負いませんのでご了承ください。閲覧についても自己責任です。 (注)当サイト内の写真、文章の無断転載はこれを禁じます。 【お問い合わせ:obsoletetransport@gmail.com】 日最初の鉄道の跡地が都心の再開発で遂に大発掘…! 鉄道開業時の築堤 日に鉄道が開業したのは今からおよそ150年ほど前、187

    高輪ゲートウェイ駅前再開発で”出土”した 鉄道開業当初の築堤【空撮映像・独自取材】 : 奥ゆかし廃探索記
  • 【独自】「海の上を走る列車」の跡 高輪ゲートウェイ駅の再開発工事で出土:東京新聞 TOKYO Web

    JR高輪ゲートウェイ駅周辺の再開発工事現場から見つかった高輪築堤跡=いずれも東京都港区で、社ヘリ「おおづる」から 1872(明治5)年の国内初の鉄道開業時、東京湾の浅瀬に線路を敷設するため造られた「高輪築堤(ちくてい)」の遺構が、東京都港区の再開発現場から出土した。かつて「列車が海の上を走る」と東京名所に数えられたが、一帯の埋め立てで姿を消していた。遺構は断続的に約1.3キロメートルにわたり確認。保存状態も良好で、開業時の鉄道の様子や土木技術を知る貴重な手掛かりになりそうだ。(梅野光春)

    【独自】「海の上を走る列車」の跡 高輪ゲートウェイ駅の再開発工事で出土:東京新聞 TOKYO Web
  • 桑栄メイトの誕生と閉館、そしてその後・・・ - 三重県に暮らす・旅するWEBマガジン-OTONAMIE(オトナミエ)

    OTONAMIEのライターが、7月末に閉館される桑名の駅ビル「桑栄メイト」の店舗を取材して、様々な記事を書いています。 閉館後にお店を移転せずに店を畳む飲店には、もうすことができなくなるからと、連日沢山の行列が並んでいます。 私は少し違った視点で、桑名駅前に立つ「桑栄メイト」の生い立ちと、閉館後の桑名駅前の未来図を書くことで、街の記憶遺産として残していこうと思います。 私のメイトの思い出を 私は生まれも育ちも桑名なので、「桑栄メイト」にはたくさんの思い出があります。 小学生の時は3階の床屋「プラージュ」で頭をスポーツ刈りにし、帰りに「ぱいいち」で焼き鳥か「新味覚」の餃子を母と買って帰るのが定番コースでした。 成人した時には両親から「山榮堂」で彫った実印を贈られて、大人になったのを感じました。 就職してからは、観光課で「観光案内所」の移転について管理組合さんにお願いに伺ったり、ランチで「

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