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が:外国人参政権とち:地方自治に関するdimitrygorodokのブックマーク (2)

  • 外国人住民投票権付与:松阪市長、条例案変えない - 毎日jp(毎日新聞)

    外国人にも住民投票権を付与する三重県松阪市の「市まちづくり基条例案」に市民から反対意見が相次いでいる問題で、山中光茂市長は3日までに毎日新聞の取材に「変えるつもりは一切ない。来年3月議会に提案する」と明言し、同3月議会で原案通り制定を目指す考えを示した。反対意見を踏まえ12月議会への提案を見送った直後の「強行路線」だけに、オール野党の市議会側や一部市民の反発は必至とみられる。 パブリックコメントは反対多数だった条例案に関し、山中市長は、シンポジウムや住民協議会での議論を経ていると指摘。「(条例案賛成の)サイレントマジョリティーと(反対の)声を出す少数派とのバランスも考える必要がある」と述べ、条例案は民意を得ているとの考えを示した。 また、外国人住民投票権と外国人参政権とを結び付けた批判があるとして「全くの誤解だ。外国人参政権は私も反対」と話した。 条例案については「外国人にも同じ住民とし

    dimitrygorodok
    dimitrygorodok 2011/12/04
    労働力としての外国人を欲しながらその声に全く耳を貸さないというなら奴隷制とどれ程の違いが?/"「地域特有の課題は政治家以上に現場の住民が理解している。『外国人だから』『日本人だから』ということではない」"
  • 「家族」レトリックについて追記 - 土曜の夜、牛と吼える。青瓢箪。

    前回の「家族レトリック」についてこんな意見をいただいた。 「家族会議に友人のレトリック」に関してはそもそも政治の場を「家族会議」とモデル化する時点で自称リベラリストとしては相当ぞわぞわ来てるんですけれども、感覚的な所だけではなくて、その「家族会議が持つべき私的排他性」という要素を民主主義(の中でも地方自治)という「公的な場」に対して無批判に、スッポリと当てはめている所が綻びの根源だと思います。 つまり、「家族の私的性格」というものを主張する必要性としては、「家族のことに対して国家が介入するのは最低限に留める」という観点から「国家の公的性格」と対置してこれを考えることによって私的領域を確保する必要性が導かれ、同時にその正当性も生じるのだと思いますが、このレトリックでは地方自治の「私的性格」に対応する「公的性格」の持ち主が見えて来ず、「私的性格」を打ち出す必要性を欠いているため、それを述べる正

    「家族」レトリックについて追記 - 土曜の夜、牛と吼える。青瓢箪。
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