『原理主義から世界の動きが見える』の中で、中田考先生が面白いことを指摘されています。 (・・・)日本というのは決して寛容な世界ではないわけです。日本に当てはまらないと思ったものに関しては、いかに残酷になりうるのかということを表している。 また、キリシタンの迫害のときに、仏教徒や神道派のなかから、「彼ら(キリスト教徒)はわれわれとは違うのだけれども、自由のために彼ら、そして彼らの意見は尊重しなければいけない」という議論はいっさい出てこ無かった。ここにも異質な部分に関しては受け入れないという事実が、日本には一貫してありましたね。 つまり、日本のいう「寛容」というのは、「あくまで人間同じなんだ、だからいっしょになれるんだ」というスタンスの「寛容」なわけです。 自分がぼんやりと感じていた違和感を上手く表現してもらえたようで、非常にストンと落ちました。 ムスリムではない日本人と話していて、少しいい加