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さ:差別とごもっともとし:自然災害に関するdimitrygorodokのブックマーク (2)

  • 「復興」よりも「回復」を - Arisanのノート

    ちょうど年度終りにあたっていた31日には、ぼく個人としても、耳を疑うひどい決定・判決が相次いだ。 雇い止め:非常勤の再雇用を認めず 京大元職員の職業観に言及−−京都地裁 http://mainichi.jp/kansai/archive/news/2011/04/01/20110401ddn012040044000c.html 宮城県朝鮮学校へ補助金打ち切り http://skip.tbc-sendai.co.jp/01news_2/20110331_13396.htm こういうニュースが相次ぐのを目にすると、今回の大災害と原発事故の以前に存在していたこの日社会が、いかにでたらめで矛盾に満ちたものだったかを、あらためて思い出すことになる。 それは、ひとくちに言って、人間の存在をないがしろにする社会であり、端的にいえば差別的な社会ということだ。 もちろん、世界には、他にもっと差別的な社会も

    「復興」よりも「回復」を - Arisanのノート
    dimitrygorodok
    dimitrygorodok 2011/04/04
    確かにこれだからファシズムというものはよくよく警戒されねばならない訳ですね
  • 「有事を作りだす国」にしないために - Arisanのノート

    震災が起きた翌日の土曜日、京都で行われた朝鮮学校への高校無償化の即時適用を求める集会に行ってきた。 こんな大災害のさなかだけに、開催するのかどうか分からなかったが、当日主催者に電話してみると、予定通り行うとのことだった。 集会が行われる三条大橋に着くと、数十人の人が集まっていた。だがスピーチを聞くと、状況を考えて、デモは中止とし、小規模な集会のみを行うとのこと。 何人かが発言やメッセージの紹介を行い、短時間で解散となった。 正直、ぼくも行くことを躊躇していた。 だから、話し合いの末、このような決定をした主催の人たちの気持ちは、よく分かる。 ただ、自分自身も含め、「こういう非常時に、抗議やデモなどは自粛すべきだ」という風潮が、この社会を現実に覆い始めていると思えることが、災害とは別の意味で恐ろしく、また心苦しい。 不当な差別や暴力による被害を受けた人が、救済され権利を回復するような社会を作ろ

    「有事を作りだす国」にしないために - Arisanのノート
    dimitrygorodok
    dimitrygorodok 2011/03/13
    "いま、緊急の救助・支援活動と共に、真剣に考え立ち向かうことが求められるのは、この長期的な「より巨大な有事(被害)」の阻止、ということでもある。"<同感。大日本帝国の15年戦争しかり、9.11以降の米国しかり。
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