関連記事: 天下晴れての人殺し 関東大震災時の朝鮮人に関するデマの中に、「朝鮮人が井戸に毒を投げ込んでいる」というものがあった。 常識的に考えて、来るかどうかもわからない、仮に来るとしてもいつどこに来るか見当もつかない大災害時の混乱を狙って大量の毒物を用意しておくなど、あり得るはずがない。 これは今だから後知恵で言えることではなく、当時の時点でも既に明確だった。医療評論家の橋爪恵(橋爪檳榔子)氏が震災後の新聞に書いている。 読売新聞 1923年11月2日 よみうり婦人欄: 汲んでも汲み尽せぬ 井戸に入れる毒 流言蜚語の優等賞 橋爪恵(上)そんな毒薬は手に入らぬ 今度の災害で、先ず何よりも多くの人々の脳裡にきざみ込まれたのは、化学品の恐るべく、あなどるべかさるの一事であった。(略) 更に奇怪極まる化学力の脅威は、鮮人や主義者が、未曾有な天変地異を利用して、井戸の水に毒薬を投げ込んだといふ言葉
第二部「大正デモクラシー」圧殺の構図 電網木村書店 Web無料公開 2004.1.5 第八章 関東大震災に便乗した治安対策 2 正力自身も『悪戦苦闘』のなかで、つぎのように弁明している。 「朝鮮人来襲の虚報には警視庁も失敗しました。警視庁当局者として誠に面目なき次第です」 これだけを読むと、いかにも素直なわび方のように聞こえるが、本当に単なる「失敗」だったのだろうか。以下では、わたし自身が旧著『読売新聞・日本テレビ・グループ研究』執筆に当たって参考にした資料に加えて、それ以後に出版された新資料をも紹介する。いくつかの重要な指摘を要約しながら、正力と虐殺事件の関係の真相にせまってみる。 興味深いことには、ほかならぬ正力が「ワンマン」として君臨していた当時の一九六〇年に、読売新聞社が発行した『日本の歴史』第一二巻には、「朝鮮人暴動説」の出所が、近衛第一師団から関東戒厳令司令官への報告の内容とし
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